2011年12月31日土曜日

読書 经济为什么会崩溃(3)

最初、3人の生活はとても苦しい(生活很艰苦)。

島の周りに魚はたくさんいるが、素手で捕まえるため、
一人一日一匹とるのがやっとで、それを食べて何とか生きていける。

ある日"艾伯"は、もっとうまく魚を捕る方法はないかと考え、
木の表皮などを使って網を作りはじめる。

他の2人"贝克"と"查理"は"艾伯"をバカにするが、"艾伯"はがんばって作り続け、
一日かけてやっと完成した(织完了渔网)。

その日"艾伯"は結局何も食べられずに過ごしたが、次の日その網で魚を取り始めたところ、
どんどんとれる。

一日分の食料(魚一匹)はすぐとれてしまうので、残りの時間は余暇としてのんびり過ごすとか、
余分に魚を捕って蓄えておくとかいうこともできるようになった。

つまり、魚を捕る時間を犠牲にして網という資本を創り(通过自我牺牲创造了资本)、
結果として生産性が向上したので(生产力提高了)、生活が豊かになったということだ。

こうなると、他の2人ももちろん網がほしくなる。

ただ、"艾伯"のように飲まず食わずで網を作るのはいやなので、
網を作る日の分の食べ物として、"艾伯"から魚を借り受けることにした。

「網ができたら、あとから倍にして返すから(你借给我们一条鱼,我们会还两条)」

こうやって銀行業務の原型が誕生するとともに、その投資がうまくいって
3人とも網が使えるようになると、島の生産性がさらに向上し、生活の質も向上する。

2011年12月28日水曜日

新HSK(1)

以前も書いたが、中国語の進歩が止まってしまったように感じて、
勉強へのやる気を失っていたので、ここでひとつHSKの上のクラスに挑戦して、
モチベーションを取り戻すとともに、実力も上げられるようにしようと思い、
中国語学校の先生に相談し、普通の会話のクラスをやめて、
内容をHSK向けのものに切り替えてもらうことにした。

2年ほど前にHSK初中等を受けたので、今回はHSK高等を受けようと思っていたのだが、

先生から
「HSK高等は、もう上海で試験やらなくなったみたい」
「もし、高等の証書が仕事で必要とかそういうのでなければ、
新HSKを受けてみたどうですか?」

まあ、特に旧HSKへのこだわりもないので、そうすることにした。

来年2012年の3月に試験があるそうなので、それまで現在進行形で続けようと思う。

2011年12月24日土曜日

読書 经济为什么会崩溃(2)

"序言(前書き)"を読んでみる。

"凯恩斯(ケインズ)"という名前はよく聞いたことがあり、いまでも財政政策などの、
論拠になっているが、どうもそれに対抗する形で"奥地利(オーストリア)学派"というのがあり、
この本の作者(兄弟二人の連名)のお父さんがその学派の著名な経済学者だったらしい。

経済学は興味はあるものの、専門家じゃないので学派とかはよくわからない。

オーストリア学派とケインズ派はずいぶん派手にやり合っていたようなことが書いてある。

この本は作者のお父さんがもともと書いた本を、今の時代にこそ再度出版すべき、
ということで書いたのだそうだ。

内容は、実際の世界の比喩になるような、寓話風に書かれている。

無人島に3人の男がいる(从前、有三个人、住在一座岛上)ところから話は始まる。

2011年12月22日木曜日

新聞記事 12/21

深圳に出張して、上海に戻る飛行機の中で読んだ新聞の記事。

17歳の男性がネットで"メイド(女仆)"を募集した。

仕事は、
 ・メイド服を着ること(穿女仆装),
 ・「ご主人さま」と呼びかけること(称呼雇主"主人")
 ・お茶をいれること(泡茶和送茶)
 ・一緒にアニメを見ること(陪主人看)
だそうだ。

また、見た目は特に美人でなくてもよいが(不要求特漂亮)、
清純で萌えの要素があること
(一定要清纯、最好是时下最流行的""萝莉类型)、
が条件だそうだ。

 ※"萝莉"はロリータの意味であろう。

雇い主は、お金持ちの大学生らしい。

さらにすごいのは、募集に対して30人もの応募があり、
いま面接中で、その中の一人と労働契約を結ぶ(签订劳动合同)予定とか。

記事では、ご丁寧に弁護士()の見解をきいており、

 (色情服---日本語で何といえばよい?)など
 違法な内容が含まれなければ、通常の労働契約であり、何の問題もない


雇い主側は、当然だが、

 決して(推倒---押し倒す、の意味か)などの、
 いわゆる(身体交易---日本語でなんといえばよい?)
 はありません。

中国人はどちらかというと「思ったらまずは行動」で、
言動が直接的なので、アメリカ人に近いところがある。


日本では決してこういった話はないであろう。

新聞を読むといっても、堅い記事は読んでもよく分からないので、
こういう記事ばっかり読んでしまうが、
あまり役に立たない語彙ばかり増えていくような気がする。


2011年12月20日火曜日

読書 经济为什么会崩溃(1)

最近まで、仕事が忙しかったことと、若干気分が沈みがちだったこともあって、
新しい本に手を出す気にはなれず、以前読んだ村上春樹の中国語翻訳版を
読み直していた。

村上春樹で何度も読み返すのは初期の三部作("鼠"が出てくるもの)と
「中国行きのスロウボート」で、オリジナル日本語版は何回読んだか覚えていないほどだが、
今回中国語版でも2回目を読み終えた。

2回目は、1回目に比べてわかる部分がずいぶん増えた気がした。

最初は漢字の字面から意味を推測していただけの単語でも
今回はピンインが思い浮かぶものが増えた。

ただ、悲しいことに思い浮かぶのはピンインだけで、声調は全然思い浮かばない。
まったく、先は長い。

読み終えた後、次に何を読もうかと思って本屋に行ったのだが、
やはり中国の作家のものは、題名や短い紹介だけ見てもどういう話なのかよくわからない。

できれば、古典でも純文学でもなく、最近の中国の若い人の生活がわかるようなものが
読みたいと思って探したのだが、あんまり恋愛ばかりのものでもイマイチだ。

結局、アメリカの人が書いた経済学の本を買ってしまった。

原題は"How an Economy Grows and Why It Crashes"というが、
中国語の題名は後半だけを使っている。

"崩溃(beng1 kui4)"はよく目にする漢字だったが、読み方がわからなかったので、
これを機会にちゃんと”使える単語"にするようにしたい。

さて、どんな内容だろうか。

2011年12月13日火曜日

"绿洲"とは?

上海の路線バスには、たいていテレビがついている。

といっても、家のテレビでやっているチャンネルがそのまま流れているわけではなく、
バスに特化した内容のようである。

ニュースや天気予報の他いろいろな番組をやっているが、
バスの乗車時間にあわせてか、すべてが数分程度で終了する。

CMも大量に流れるが、種類が少ないので、20分乗ると同じCMを5回以上みることになり、
認知度アップにはとても有効と思うが、見飽きてしまってあまり面白くはない。

上海のバスはたいてい「CCTV移动媒体」と「东方明珠移动电视」の
どちらかのチャンネルを流している。

「东方明珠移动电视」は画面の角に時計を表示してくれるので、
個人的にはこっちの方がすきである。

さて、先日バスに乗っているとき、何気なくテレビを見ていたら、

"绿洲"成员兄弟反目

という字幕見出しが目に入った。

「"绿洲"ってなんだろうなー」と思った次の瞬間に目に飛び込んできたのは、
リアム、ノエルのギャラガー兄弟の映像。

なんという強烈なインパクト。

"绿洲"という中国語の単語は決して忘れることはないだろう。

何回も書いたことだが、外国の固有名詞の中国語訳には、本当にびっくりさせられる。

いくらなんでも、という気がちょっとするが...

2011年12月9日金曜日

小太阳

しばらく間が開いてしまったが、久しぶりに更新する。

上海であるマッサージ店にいったときのこと。

「寒いですか?エアコンつけますね」

上海の冬は結構寒い。

温度も東京よりも少し低いので、外も寒い。

さらに、屋内の暖房設備が貧弱なのと、家屋の密閉性が低く、
隙間から外気がどんどん入ってくるので、屋内が外と同じぐらい寒い場合がある。

エアコンつけても、やっぱり寒い。

「まだ寒いですか? じゃあ"小太阳"持ってきますね」

はて、小さな太陽とは?

文脈から考えて、暖房設備なのはまちがいない。

持ってきたのは、電気ストーブが、何というか日本にはない形状のものだ。
外観は扇風機に近い。

扇風機でいうと羽根を回す軸の部分に電熱線があって、後ろ向きに熱を放出する。
後ろ側の羽根カバーを形成する楕円形の部分がすべて反射板になっていて、
熱源から放出された熱を前方へ均等に反射するので、近くに行くと結構暖かい。

この説明じゃよくわからないですよね。ごめんなさい。

機会があったら中国の電気屋で暖房器具コーナーを見てみてください。

「ああ、これか!」とすぐわかると思います。いっぱい売ってるので。

このタイプの電気ストーブは、使っている状態で少し離れてみると
反射板全体が熱で赤く丸い形に光るので、まるで夕日を見ているようです。
「なるほど、小さい太陽とはよく言ったものだなあ」と納得すること請け合いである。

以前「大と小の用法」でもちょっとかいたが、中国の大小の使い方は本当に独特である。


※しかし、最近の内容は「学習記録」という感じではなくなってきたので、
タイトルを変えた方がよいかなあ、と思いつつある。


追記:再びその店に行ったら、他の人はその電気ストーブのことを"暖气"と言っていた。
これは他でも頻繁に耳にするもので、暖房器具の一般名称のようである。

2011年9月17日土曜日

声調再勉強(5)

日本の中検の試験は、ピンインや声調の問題がある。

今から2~3年前、上海赴任して少したったころだが、
日本で中検3級の問題集を買ったことがある。

前にもちょっと書いたが、リスニングは中国に住んでいる人にとっては、
語彙の問題を別にすると超簡単である。

なんといっても、スピードが「これはスロー再生か?」と思うほど遅い。
さらに、全部2回繰り返して読んでくれるので、考える時間がたっぷりある。

HSK(初中等)のリスニングとは天と地ほども違う。

※3級の問題集しか知らないので、たぶん1級とかになればまた違うのでしょうが。

当時、その中検3級問題集でピンインや声調の問題をやってみたが、
全く歯が立たなかった。

ほんとうに、全くわからなかったのである。

いかに、私がピンインや声調を軽視していたかがよくわかる。


今にして思えば「やはり、中検の試験問題作ってる人は、ピンインや声調の暗記が
重要なことをよく分かってるんだなあ」という感じである。

その問題集には「中検3級頻出単語」というリストがついて来ていたので、
とりあえずそのリストにある単語で声調を暗記中である。

※でも、そのリストを改めてみていると「4年上海に住んでるけど一回も
   聞いたことないなあ」という単語も結構あったりするが。

今度日本に帰ったら中検2級の頻出単語リストを買ってこようと思う。

2011年9月10日土曜日

声調再勉強(4)

とりあえず「漢語会話301句」の単語声調暗記を試みてみた。

このレベルだと、ほぼ全ての単語が日常常用単語ということもあり、
何回か繰り返せば、声調は当てられるようになる。

でも、次の日も残っているのはほんのわずかで、大半は忘れてしまう。

年齢のせいもあるだろうし、定着率が悪いのはある程度想定済みとはいえ、
何回やってもそのたびに忘れてしまう事実を認識させられると、
「自分はなんて頭が悪いのだ」とモチベーションがガタ落ちである。

ただ一方で、進歩みたいなところもある。

声調がある程度分かる単語についても何度も当てる作業をしていると、
最初は、単語(漢字)をみて「うーん」と考えて、「これは2声、4声だ」という
ように当てていたものが、何度目かから単語をみたらすぐ声調が
思い浮かぶようになる。

中国語の本をいっぱい出している相原茂先生が、確かどこかで「漢字をみた瞬間に
「声調つきピンイン」が頭に浮かんでくる」というような表現をされていたと思うが、
それに近い感覚なのではないかと思う。

結局のところ、中国語のリスニングやスピーキングで使える単語というのは、
この域に達した単語だけなのではないだろうか。

中国語は本質的に「暗記科目」なのだ。

まだまだ先が長いことだけは分かった。

2011年9月3日土曜日

声調再勉強(3)

なんと、こんなにも覚えていなかったとは。

「漢語会話301句」の新出単語はだいたい270語程度あるが、
その中の1/3程度で、ピンインは覚えていても正しく声調を言えなかったのである。

この本は、初心者向けなので、単語も全部基本的なものだ。

例えば...

"白(bai)"をずっと3声だと思いこんでいたが、実は2声だった。
"長(chang)"もずっと3声だと思いこんでいたが、実は2声だった。


実際の会話では、私は2声と3声の区別をきちんと発音し分けられないので、
これらの覚え間違いが「だから通じない」という原因とは思えないが、

「こんな超基本的な漢字でさえ覚えていなかったのか」

非常にショックだった。


これはまずい。

暗記が嫌いとか言っている場合ではない。

2011年8月27日土曜日

声調再勉強(2)

私は英語の発音を暗記することが大嫌いだった。

英語試験の発音の問題は最も苦手としていた。

※「catのaと、nativeのaの発音は同じか」みたいな問題だ。

当たり前だ。ぜんぜん勉強していなかったのだから。
ヤマカンで答えて当たるはずなどない。

自慢ではないが、英語の発音記号を覚えたこともない。

もちろん、全くの日本人英語なので、偉そうなことはいえないが、
それでも、英語はなんとか、まあ仕事では普通に使えるレベルにはなった。

つまり、英語の発音に関しては「体で覚えて」通じるレベルになったということだ。

それで「中国語も同じようにやっていれば大丈夫」と
たかをくくっていたようなところがあったことは否めない。

実際、私は声調をどのくらい覚えているのか?

最初の中国語の教科書「漢語会話301句」を引っ張り出してきて、
各課の新出単語の声調を当ててみた。

結果は、自分自身でも驚くほどだった。

2011年8月20日土曜日

声調再勉強(1)

会話の学校は今でも続けてはいるものの、かなり限界を感じている。

何か、根本的にやり方を変えるべきなのではないだろうか。

しかも最近は、新しい中国語の本も買っていないし、夜家に帰っても
本を読むでもなく、テレビをみるでもなく、単にだらだらしているだけだから、
基本に返って、「短時間でもよいから何か毎日続ける」ことを考えなければ。


中国語を自分で話をするとき、何がネックになっているか。

一つは、もちろん、話したい内容に対しての表現がなかなか出てこないこと。
これは、実践での練習でしか向上できないであろう。

もう一つは、言いたい単語は頭に浮かんでいるのだが、
「えっと、これは二声だっけ? 四声だっけ?」
と悩んでしまうことだ。

間違った声調で話しても理解してくれるのは、日本人の中国語に慣れている、
つまり間違った声調を、文意から修正して解釈してくれる学校の先生だけだ。

何度も書いたことだが、中国語では正しい声調でなければ、
一般的に通じない。逆に声調さえあっていれば、ピンインの発音は結構適当でも
通じるように思われる。

「話すときは声調をちゃんとしないと」というプレッシャーもあって、
声調がはっきりしない単語を話すのがためらわれるのだと思われる。

これは、自分で毎日少しずつやれば改善できるだろう。

よし、これだ! ということで、4年前に始めて習った会話教科書を
引っ張り出してきて、各章の新出単語の声調をきちんと覚えているか試してみた。

2011年8月13日土曜日

四と十

「これいくら?」と聞いて、「スィークァイ!」という答えが返ってくると、
四元なのか十元なのか区別がつかない。

※"kuai"は元の口語表現。街で買い物するとき、元(yuan)はまず使われない。

ピンインでいうと、四(si4)と十(shi2)で、本来これらは結構発音が違うように思う。

siは、スーという感じで発音
shiは舌を前歯の裏につけた状態でシーと発音

目の前の店のおじさんはどう聞いても「スー」と言っている。
でも、何となく変だ。そう、声調が四声ではないからだ。

これは四なのか十なのか?

「どっちなんだ?」と瞬間頭の中が真っ白になってしまう。

こういう時は「声調が優先する」というのは、
後から考えればわかるのだが、まだ体に身に付いていないので、
とっさに判断が出来ないのである。

話す方でも、shiの発音がうまくできないことと、声調を正しくできないことが
重なって、先方に聞き取り間違いをされるケースがある。

※さらにいうと、十(shi)と十一(shi yi)もヒアリングでは非常に紛らわしい。
  たいていの中国人は早口だし、yiは軽声ではっきり発音されないので。


先輩赴任者の実話として、レストランに電話して四人で予約したつもりが、
行ったら十人で準備されていた、というのがあった。

だから、ということでもないが、私は(日本語が通じない)レストラン予約の電話は
実はまだ自分でしたことがない。

2011年8月6日土曜日

面(麺)の概念

面は、麺の簡体字である。"面と向かって"の面の字も同じ字なので、
簡体字化によって、面と麺が合併して、両方の意味を面という字で
表すようになったということである。

さて、ここでは麺の意味で使われる面の概念について少し書いてみたい。

日本語で麺というと、小麦粉などで作られた細長い形をしたもの、という意味になる。
そばやうどん、ラーメンなどが代表的なもので、スパゲティなども含まれる。

さて、中国の面は、ラーメンのように細長いものもあるが、
裤帯面のようにきしめんよりさらに幅広いタイプが存在し、
一方、刀削面のように若干形容が微妙なものも含まれ、
さらに餃子やワンタンも含んだ広い概念である。

ビーフンのような原材料が米であるものは面とは呼ばない。
烧卖や小龙包などの点心も、面とは呼ばれないようである。

状況から推測するに、中国でいう面の必要条件は、

■主に小麦粉を材料とする
■(おかずでなく)主食としての地位を確立している

である模様だ。

※中国北方では餃子は主食である。餃子定食というメニューは
    多くの中国人にとってまだ受け入れがたい、と思う。
    確か「餃子の王将」が中国のどこかに出店していたと思うが、
    どんなメニュー構成なのだろうか。

※ただし、飲茶で出てくる「エビ餃子」みたいなのは例外的に、
    焼売とおなじグループにはいるのだと思う。主食って感じではないし。

ところで、この中国の面の概念は、イタリアの「パスタ」の概念と非常によく似ている。

パスタには、タリアッテレからベルミチェッリまで太さの異なる細長い系の種類が存在し、
かつマカロニなどの異形もあり、さらに具が中につまったラザニアも含まれる。

さきほど推測した中国の面の必要条件は、100%そのままパスタに通用する。

以前読んだ、玉村豊男というエッセイストの人が書いた本(題名忘れました)の中で、
「イタリアのパスタは、イタリア人のオリジナルでなく、
シルクロードを通じて東洋から輸入された後に発展させたもの」
というイタリア人が聞いたら怒りそうな説を展開していた。

真実はもちろん分からないが、少なくとも中国での面の概念とパスタの概念は、
偶然と呼ぶには似すぎているというのは確かであろう。

2011年8月2日火曜日

主語と述語

「彼の背は高い」という文の主語と述語は何か?
これはまあ明らかだろう。「彼の背は」が主語で「高い」が述語になる。

では、次はどうか。

彼は背が高い

「彼は」が主語で「背が高い」が述語と解釈される。
日本語では、一つの文(正確には節)も述語になりうるのだ。

ここは、英語と全く異なる。
英語の文章には常に動詞が必要で、述語は常に動詞となる。
先の文を英語にしても、be動詞が常に必要である。

 (不自然な文章だが) His height is high
                                 He is tall

これは"tall"がたまたま「背が高い」という意味を持つ形容詞だから成立する、
という話もあるので、もう一つ例を挙げてみる。

彼は顔が赤い
He has a red face (His face is red)

もはや英語では同じような表現ができないので、別の言い方をするしかない。

では中国語ではどうだろうか。
「彼の背が高い」「彼は背が高い」を中国語にすると、
それぞれ次のようになるだろう。

他的个子高
他个子高

最初の文は明らかとして、後の文の主語と述語が何か、
というのは議論があるところかもしれない。

"个子高"を節とみなして、その節が述語という考え方もできる。
最初の文から単に"的"が省略されただけで、"高"が述語なのだ、
とも考えられる気がする。

もちろん私は文法の専門家ではないし、「どちらでもよい」わけだが。

2011年7月30日土曜日

過去形がない

中国に来る以前から、ちょっと気になっていたことがあった。

中国人が書く英語には"already"が実に頻繁に登場する。

別に不思議に思ったとか、変だなーと思ったというわけではなく、
「なんか多いなー」と感じていただけだったのだが、
中国語を勉強して、なんとなく理由が理解できた気がする。

中国語には、時制がない。
英語は厳密な時制がある。
日本語は語尾の変化で過去と未来を区別できる。

我写信
他去北京

これだけを読むと「いつのことなんだ?」と時制を確認したくなってしまう。

我写信了
他去北京了

こう書くと、完了を表すことになる。

  I have written a letter
  He has left to Beijing

では、ハッキリと過去を表すときはどうするか?

我已经経写信了
他已经去北京了

のように副詞の"已经"あるいは"已"を追加するのが一般的である。

※中国では"已坏"と書いてある張り紙をよく見る(トイレとか、自販機とか)。
   もちろん「壊れています」という意味だ。

"已经"は英語ではもちろん"already"。

英語で過去を表すとき、動詞を正しく過去形にしていても、思わず、
"已经(already)"をさらに付け加えたくなってしまうのであろう。

2011年7月26日火曜日

"知道了"と"明白了"

中国に限らないが、東南アジア圏で頻繁に使われる英語のフレーズがある。

"noted"

※うちの会社だけかもしれないが。
   でもアメリカやイギリスではあまり聞いたことがない。

口語というより、メールでなにか頼んだり、情報を伝えたときの返事として使われる。
日本語で言う「了解」の感じだが、字面としては「書き留めました」なので、
内容を理解しているのか、本当にお願いを実行してくれるのか不安な感じがする。

"知道了"と言われると、"noted"と同様の不安を感じる。

なんか「知らない状態から知った状態に変わっただけ」という感じがして、
「こっちが言っている意味ちゃんと理解してんの?」と聞きたくなってしまう。

日本語の「分かりました」「了解しました」は"知道了"と"明白了"の
両方の意味を含むように思われる。

なので、概念として2つを明確に区別できないが、たぶんこんな感じなのだと思う。

"知道了"「わかりました」
"明白了"「(知ってはいたけれどいままで理解できなかったのを)理解しました」

きっと、ほんとは"知道了"も単なる"noted"の意味に加えて「理解しました」という
ニュアンスも入っているのであろう。

でも、やっぱり"知道了"といわれると少し不安だ。

2011年7月23日土曜日

テレビの活用(5)

天気予報はともかく、普通のニュースは毎日見ていてもちっともわかるようにならない。

7時のニュースは、まず最初に天気予報コーナーがあり、その後ニュースになる。

中国らしいというか、トップニュースは、多くの場合、上海市政府動向だ。

全人代みたいな国家イベントがある場合は大々的に特集とかしたりするが、
たいていは、国のニュースはなくて、上海市政府の動向ニュースがまず数本ある。

上海市政府の偉い人がどういう会議に出たとか、誰かを激励にいったとか、
晩餐会に出席したとか、そういうニュースがほとんどである。

「なんか、上海市って偉い人が二人いるんだなー」

と思って、学校の先生に聞いたら「それは市長と、市の党書記です」だそうだ。


ニュースがわかるようになるには、前提条件として背景知識が必須だ。

例えば、アメリカの大統領選挙の進め方についての知識がないと、
「今日はスーパーチューズデーでした」というニュースを見ても、
英語であれ、日本語であれ、なんのことだかわからないだろう。

大学時代、ITNの英語国際ニュースを見始めたときも、英語力のなさに加えて、
当時イスラエルとパレスチナがどういう状況にあったか、という背景知識が
ゼロだったため、本当に全く意味がわからなかった。

そのとき、イスラエルとパレスチナについて、いまぐらいの知識があったら、
英語力がなくても、「何のニュースなのか」がある程度わかっていただろう。

その意味で、私が持っている中国の政治制度の知識は少なすぎる。

かといって、上海市長と党書記の役割などについて
日本語で解説しているものもたぶんないと思うし、
これらのニュースを(表面上だけでなく)理解できるようになる日は、きっとこないであろう。

残念ながら。

2011年7月19日火曜日

テレビの活用(4)

また英語の話をして、話題がずれてしまった。

中国語の話にもどる。


いま毎朝出勤前に、上海TV(新聞総合というチャンネル)の朝のニュースを見るようにしている。

どちらかというと、中国語のためというより、天気予報で今日の天気や気温を確認したり、
地下鉄が止まってないか等情報を得るためと、定時に出勤するための時計代わり、である。

天気予報はさすがに毎日見ていれば聞き取れるようになってくる。

日本と違うのは「曇り」が2種類に分かれているところだ。

  "多云" 曇り
  "阴"  曇り

学校の先生に聞いたら「"多云"は雲が白いが、"阴"の雲は黒いのだ」そうである。

まあ、イメージはわかる。


あと「上海らしいなあ」と思うのは、天気予報の中で

「"能见度"は今日はxxキロ以上です」

という内容があることである。

"能见度"は日本語では何というのだろう。

見て字のごとくだが、「どこまで遠くが見えるか」という意味と思われる。

なんでかわからないが、上海は空気が白い。
冬とかは「これは明らかに霧だろう」という時もあるが、
それ以外の季節でも、やや遠くの高層ビルが白くてよく見えないことがよくある。

まあ、かといって一般人にとって多少白くても生活にあまり影響はないと思うので、
毎日天気予報で話さなくても、という気もするが。

仕事の関係で"能见度"が気になる人が多い、ということなのだろうか。

2011年7月16日土曜日

テレビの活用(3)

実は、英語のリスニングとして、テレビのニュース番組を見ていた時期もあった。

大学時代は主に神奈川に住んでいたのだが、当時TVKの夜11時頃から、
ITNニュースという30分の英語ニュースをやっていた。

これは、別にアメリカのニュース番組をそのまま持ってきた、というわけではなく、
国際放送用に作られた番組だったらしく、世界での主な出来事をあつかっていた。

もちろん、アメリカのニュースもあるが、それ以外のニュースが多い。
当時イスラエルとパレスチナのニュースを、毎日のように報じていた。

このブログで以前「外国の固有名詞」について書いたことがあるが、
いま考えてみると、英語でも「外国の固有名詞」は結構驚かされることがあった。

イスラエルでよくニュースに出てくるのは「エルサレム」であるが、
英語では「ジェルサルム」みたいに聞こえる。

同様に、南アフリカの「ヨハネスブルグ」は「ジョハネスブゥグ」という感じになる。

このITNニュースで頻繁に出てくる地名で、ずっとわからなかったところがある。

 "..... イン ジニーバ ........."

「どこだろうジニーバって...イタリアのジェノバのことではなさそうだし」などと思っていたが、
最初は調べるすべも全くなかった。

そもそも、このニュースを見始めた頃は、英語のリスニング能力もほとんどなく、
ニュースの意味そのものがさっぱりわからなかったので。

でも、毎日見ていれば、少しずつ手がかりが得られてくる。

「どうも、国際的な会議がよく開かれてるらしい」
「なんか、スイスにあるみたいだ」

調べてみて、ようやくわかった。

"GENEVA" 「ジュネーブ」

確かに素直にこれを読むと「ジニーバ」になるなあ、と妙に納得したことを覚えている。

2011年7月12日火曜日

テレビの活用(2)

まず、二カ国語放送がない。
海外のドラマでも、テレビでは全て吹き替えだけになっている。

その上で、吹き替えられた中国語の台詞が字幕として表示されるのだ。

これは、中国語には地方によって方言がたくさんあり、
基本的には全ての人は学校で普通語を習うからわかるはずなのだが、
お年寄りなど普通語が聞いてわからないひとのため、
と言われている。

私にとっては、この字幕がガンだ。

なまじ字を目で追えば意味がだいたいわかるため「字を見ずに音声だけ聞く」、
ということができないのである。

繁体字の字幕なので香港か台湾向けだと思うのだが、コナンとかの
日本のアニメをよくやっているチャンネルがある。

コナンだったら少しは分かるかな、と思って見たりするのだが、
しばらくすると、必死で字幕を目で追っている自分に気がつく。

全然音を聞いていないのである。

やはり、殺人事件とかを扱うので、専門用語が多い上に、
コナンは設定やトリックが複雑なので、字幕でも意味がわからない場合が多くて、
まったくストーリーについていけない。


また、韓国や台湾の現代ドラマは、内容がわかりやすいとか、
出ている俳優さんを知っているから、ということでちょっとみたりする。

※韓国ドラマの場合も、当然中国語吹き替え。

字幕を読めば、だいたいストーリーにはついていける。
ただ、ドラマが面白かったりしてそっちに興味がいってしまい、
やはり全く音を聞いていない自分に気がつく。

もちろん、ちゃんと聞き取れないからなのだが、この状況を続けていては、
いつまでたっても進歩は望めないように思われる。

では、テレビのニュースとかではどうだろう。

2011年7月9日土曜日

テレビの活用(1)

また英語の時の経験になるが、聞き取りの練習をするのに、
テレビ番組がとても役に立ったことがある。

いまから20年以上前の話だが、当時日本の地上波で放送されていたアメリカの
いわゆるSitcom(Situation Comedy)と呼ばれるファミリー向けのドラマは、
30分番組で、それほど長くもなく、使いやすかった。

その30分ドラマをビデオで録画して、最初は英語で見て、2回目は日本語吹き替えで
見て、3回目はもう一度英語で見る、ということをやった。

二カ国語放送というのは、なかなか役に立つ仕組みだと思う。

家族間の話題を主に取り上げていた、
「Family Ties」 Back to the FutureのマイケルJフォックスの出世作
「Cosby Show」 ビル・コスビーという当時人気があったコメディアン主演

は毎週録画してみていた。今週は長男が友達とけんかしたとか、
次の週は次女がはじめてデートするとか、身近なほのぼのした話題ばかりで、
語彙の難易度は低いが、日常の生きた言い回しが満載、という良い題材だった。

いまは、そういう内容のわかりやすいドラマはあまり日本で放送されていない
ように思う。もしかして、アメリカ自体にもう存在しないのかもしれない。

例えば、24なり、CSIで同じことをやろうとしても内容も語彙も難しいし、
時間も長いしかなり辛いと思う。

※内容的には「ビクトリア 愛と情熱の嵐」とかだったら簡単そうだが、
  あれはスペイン語だし...

一方、やはりというか、同じことを中国語でやろうとしても難しい。

2011年7月5日火曜日

uの発音

先生に"客戸(kehu)"のhuの発音を直された。

文字だとうまく書けないが、直される前の私のhuの時の口の形は、
「自然なままの形で少し開いた感じ」

正しい口の形は「丸く小さくすぼめた感じ」

以前にも一回書いたが、uの口の形には2種類あるように思われる。

※本とかに書いてあったわけではなく、単に経験からそう感じるだけなので
   学問的には間違いかもしれない。

zhuとかchuは今回のhu同様、小さくすぼめた形
xuやjuは、より自然なままで少し開いた感じ

同じuなのに2種類あるのはちょっと混乱する。

また、eの発音も聞き方によっては"う"に聞こえる場合がある。

"和(he)"、"河(he)"、"客(ke)"、"可(ke)"

これらは音としては"あ"と"え"と"う"の中間みたいな感じに聞こえる。

私は「"え"の口の形をして、"う"の音を出す」ことにしている。
うまくできないが。

uとeを聞き分けることは、結構重要だ。

河北(hebei)省と湖北(hubei)省
河南(henan)省と湖南(hunan)省

聞き間違いすると大変なことになる。

中国人もこれらの省名を話すときは、
普通よりはっきり発音しているような感じがするので、
Nativeでもやはり間違うケースはあるのであろう。

2011年7月2日土曜日

fの発音

これも、よく「huになってます」と注意される。

fの発音は日本語にはなく、英語ではじめて習う。

ローマ字では"ふ"をfuと書くが、日本語での発音からみるとhuが正しいように
思われる。どうしてわざわざfuに直したのだろう。"ひゅー"と発音されるのが
嫌だったのだろうか。

fの発音のポイントは、上の前歯を下唇にタッチさせるところにあるが、
口や舌の技術的難度において、かなり簡単な部類に入ると思う。

发展(fazhan)、法国(faguo)、回复(huifu)

英語で"friend"と言うときは、ちゃんと歯が下唇にタッチできるのに、
どうして中国語ではできないのだろう。

謎だ。

ピンインを忘れているわけではないのに。

ここはやはり、

■日本語のローマ字が"fu"なのに発音が"hu"だ、というのが
私の潜在意識に働きかけてそうなっているのだ

という説を採用したい。

まあ、原因究明はどうでもよくて、

「ピンインわかっているなら最初からはっきりfの発音しろ」

なのだろうが。

2011年6月28日火曜日

"大"と"小"の用法

中国語では、たぶん口語的用法と思われるが、

■ある一つの名詞が2つのものを指す、もしくは2種類に分けられる場合
  名詞の頭に大小をつけて区別する

ことが多い、というか「なんでも大小をつけて呼ぶ」ような印象すらある。

例えば、私が勤めている会社は、上海近郊に工場が2つあるが、
"大xx"、"小xx"
と大小を頭に加えてそれらを区別するのを聞いたことがある("xx"は会社の名前)。

何を根拠に大小をつけているか、詳しくは不明だが、工場そのものの大きさ、
もしくは、作っている製品の大きさ、であろうと思われる。

日本だったら、大小でなく場所の名前をつけて区別するだろう(世田谷工場と杉並工場、とか)。

かなりビックリしたのが、固有名詞の例だが、
"大威"、"小威"
新聞やテレビで時折見かけるのだが、これは実は人の名前、というか呼称である。

いきなり言われても何のことだか分からないと思うが、"威"は"威廉(Williams)"のことである。

これに大小がつくことによって本来は3文字になるのが、
中国語の「何でも2文字化する」傾向によって、"廉"の文字が取られたと思われる。

「大きなWilliams」「小さなWilliams」

スポーツ好きな方ならもうお分かりかと思う。

テニスのウイリアムズ姉妹のことである(もちろん大きい方が姉)。

2011年6月25日土曜日

小朋友们

前回の続き。

先日、"小朋友们"のちょっと違う使い方を聞いた。

仕事で、他社の人とMTG後に、一緒に昼食していたときのことだ。
その会社の人(若いけれどもそこそこ偉い)が、

「この業界には小さい企業がたくさんあるが、彼らは....」

という文の中の、「彼ら」のところで"小朋友们"と言ったのである。

その他社は、その業界ではやや新参者だが、その隣に位置する伝統的な業界では、
中国で二番目に大きい(見方によっては最大の)企業グループに属している。

彼の自分の会社に対する自信と、業界の小企業への優越感がよくわかる
言い回しだと思う。

まあ、MTGの場ではなく食事の場だったこともあって、
ついこのような言い回しをしてしまった、のであろう。

※このようにかくと、まるで私がその人と中国語でMTGや昼食の会話をしたように
  感じられるかもしれないが、決してそういうことではないので、念のため。
  私はいまだにHSK6級レベルから進歩していない。恥ずかしい話だが。

2011年6月21日火曜日

"朋友"のニュアンス

"朋友"は、中国語をはじめてすぐに覚える言葉の一つだ。

もちろん、友達という意味なのだが、
使い方の感じとしては英語のfriendに近いように思われる。

好朋友  good friend 好い友達(なかよし、という感じか)
女朋友  girl friend  彼女(文字通り、ガールフレンド)

だいたい、日本語で友達という言葉は実際滅多に使わないのに対して、

中国語の口語には頻繁に登場する。

また、中国(に限らないが、欧米以外の外国)で、買い物をする場合、
こちらが日本人なのを見て取ると、
「トモダチ、ヤスイネ」
などと声をかけてくるのが定番だ。

しかし、日本で誰かに向かって「トモダチ!」と呼びかけることはあり得ない。

でも、"朋友"にはそういう用法があるのだ。

大勢の人の前で挨拶をする場合、
「朋友们、大家好」
というのは一つの定番だ。

ここでの朋友们は、友達ではなく、「みなさん」の意味になる。

※まあ、実際に街でよく目にするのは若い女の子に向かって「美女!」と
  呼びかけている光景である。こういう呼びかけ方も日本語にはない。

家の近くのKFCには、子供が遊べる設備(滑り台みたいなやつ)がある。

ある時、夜遅かったにもかかわらず(たしか22時ごろ)、
そこで5人ぐらいの子供が叫びながら遊んでいて、とてもうるさかったのだが、
大音量には寛容な中国人でもさすがにキツかったとみえて、
KFCの店員のおばさんが、

「小朋友们~!太吵了!」

と怒鳴っていた。

日本なら「子供たち~!」と呼ぶだろうか。

2011年6月18日土曜日

読書 双面胶(4)

【注】ストーリーなど詳しい内容を書きます。

その後、親夫婦は一度実家に戻って、奥さんにとっては幸せな時間が戻ってくる。

だが、悲劇はここから始まる。

ダンナのお姉さんの夫の会社が投資を募っている、そのお金を集めないと
姉の夫はクビになるが、家には十分なお金がないということで、
奥さんの上海の実家に「投資に参加してくれ」という話が来るのだ。

ダンナに頼まれた奥さんは何度も断るが、最終的には実家のおかあさんの
貯金をその投資に回すように説得してしまう。

あまりに絵に描いたような転落の伏線である。

その後、ダンナのお父さんが病気になり、実家の病院では手の施しようがないが、
上海の大病院ならなんとかなるかも、ということで親夫婦は上海に戻ってくる。

大病院の医者は「何もせずに死を待つか、大金がかかるが治療するか」の
選択を迫り、ダンナは治療を選んで、どんどん経済的な困窮に陥いっていく。

まあ、もうあらすじを書くのはやめておく。

こういったストーリー展開は、テレビドラマには合っているのかもしれないが、
私はあまり読むのも見るのも好きではない。つらいから。

とりあえず「さすがに最終的にはハッピーエンドでは」
との期待を持って、頑張って最後まで読んだ。

使われている中国語は、かなり難しかった。
このレベルの本をもう少し理解できるようになりたい。

2011年6月14日火曜日

読書 双面胶(3)

【注】ストーリーなど詳しい内容を書きます。

この本の主人公の奥さんは上海出身、ダンナは東北地方出身である。

上海は伝統的に「女性が強い」と言われていて、結婚しても料理は
ダンナが作るもの、という話もよく聞く。

ダンナの親夫婦が来るまでは、この夫婦もそうやって暮らしていた。
奥さんが「お茶入れて」というとダンナが持ってくる。

中国でも、東北地方というのは田舎の代名詞のようで、保守的で男尊女卑の思想が
根強く残っているところ、というように描かれている。

また、ご存じのように中国は親子関係が日本より絶対性が強く、
基本的に親に対して子供は反抗しない、というところがあるが、
この面でも、上海(より日本に近く、絶対性は比較的弱い)と
東北(絶対性が強い)では異なっている。

ダンナの親夫婦が同居してから、共働きということもあって、
家事は基本的に姑が行うようになるのだが、

■姑が、ダンナが家で奥さんにお茶を入れたりするのを禁止する
■さらに、奥さんが家事をやるよう「教育」を試みる

ことなどで、亀裂が深まっていく。

家の借金を返すなど、経済的には奥さんが働くことは必須の状況なのに、
なぜこれほど違う扱いに甘んじなくてはいけないのか。

日本だったら、間に挟まれるダンナは、両方の言い分を聞くと思うのだが、
この本に描かれるダンナは親の言い分を奥さんに押しつけるだけだ。

少し不思議なのは、奥さんの方はそのことに対して不満があることを隠さないし、
面と向かってダンナの親に反抗的な態度をとるわりには、
結局、基本的にダンナの言い分を受け入れるところである。

日本なら即「実家に帰ります」になりそうに思う。

ダンナが奥さんに、何度もこう懇願する。

「お願いだからおれのメンツをたててくれ(求你给我个面子)」

日本では、こんなせりふを言っても全く効かないのではないだろうか。

2011年6月11日土曜日

読書 双面胶(2)

【注】ストーリーなど詳しい内容を書きます。

家族に関する中国語は非常に細かい。

奥さん(老婆)
ダンナさん(老公)
姑、ダンナのおかあさん(この本の中では公婆、と呼ばれているが、辞書では婆婆)
舅、ダンナのおとうさん(公公)

まあこの辺まではよいとして(これ以降は本には出てこないが)、

母方のいとこ(表姐、表妹、表哥(表兄)、表弟弟)
父方のいとこ(堂姐、堂妹、堂哥(堂兄)、堂弟)
父方のおじいさん(爷爷)
母方のおじいさん(老爷)
父方のおばあさん(奶奶)
母方のおばあさん(姥姥)

言葉を覚えるまえに、家族の分類の仕方を覚えなければならない。

日本も欧米と比較すると、それなりに細かく分類されていると思っていたが、
中国はその比ではない。もう覚える気にもならないぐらい複雑だ。

こういった、ある分野の物事に対する語彙の多さは、
その言葉を話す国、あるいは文化圏がその物事をいかに重要視しているかの証だ、
という話を聞いたことがあるが、中国はそれだけ家族間の関係が
重要だ、ということなのだろう。

それはともあれ、この本は基本的にある夫婦とダンナの親夫婦の関係を
描いた作品である。

嫁姑の確執、というのは日本でも普遍的なテーマなので、
それなりには入っていきやすかった。

物語はまず、奥さんに確認せずにダンナが許可して親夫婦が家に押しかけてきて
同居するところから始まる。

2011年6月7日火曜日

読書 双面胶(1)

【注】ストーリーなど詳しい内容を書きます。

最近読んだ本について、少し書いてみたい。

やはりこの本も、本屋でなんの予備知識もなく選んだものだ。

作者は"六六"という名前の女性である。

この本の前に既に何冊も本を出していて、帯に書いてある宣伝文句によると、
テレビドラマ化もされているとのことなので、おそらく人気があるのだろう。

この本を選んだのは、単に一番薄くて読みやすそうだったからだ。

まだ、(外国翻訳ものでない)中国人作家が書いた小説を読むのに
慣れていないし、状況が想像しやすいものが望ましい。

題名の中にある"胶"は、ゴムという意味である。

題名全体としては「ふたつの顔を持つゴム」ということなのだろうか。
嫁姑の間に挟まれてゴムのようになってしまうダンナ、という意味か?
読み終わった今でも、よくわからない。

上海を舞台にした、嫁姑の確執と、間に挟まれるダンナの話のようなので、
気軽に読めるかなあ、と思っていた。

が、大間違いだったことがあとで分かる。

2011年6月4日土曜日

HSK初中等(8) 結果

結果が出るまでには1ヶ月弱かかる。

最終的には、一見賞状っぽい、「あなたはxx級です」という証明書みたいな紙が
送られてくるのだが、Webサイトで見ると結果はもっと早く分かる。

そろそろ発表かな、という時期になったら、毎日のように結果サイトの
チェックに行ったものである。

結果はどうだったかというと...

  聞き取り 62
  文法    77
  読解   100
  総合   85
 総得点  332

予想通りというか、聞き取りの力不足がもろに露呈している。

学校の先生から「読解が満点なんてすごいですね」とほめられたのがせめてもの慰めだ。

総得点的には7級に届いているのだが、聞き取りが5級相当の点数のため、
最終的な級は5級より1つ上まで、というルールにより、6級になる。

実力通りで仕方ないと思いつつも、かなり残念だったので、
その当時は「聞き取りがんばって初中等で8級挑戦するか」とも思ったし、
学校の先生には「次は高等うけますか」とか勧められたりもしたが、
結局、その後一年半ぐらいは、受けずに過ごしている。

この試験のために勉強して改めて思ったのは、

「プレッシャーがないところに進歩はない」

普通の会話クラスでもたくさん勉強するのだが、試験というプレッシャーがないので、
必死で覚えることをせず、忘れるのも早い。

試験というのは練習問題をたくさんやるから、覚えた記憶を定着させる
効果もあるのだと思う。

HSK試験を受けた後、会話クラスに戻ったとき、以前と比較して
「少し上達したんじゃないか」という違いを感じた。

でも、またその後一年半停滞しているので、
そろそろ新たなプレッシャーが必要な気もしている。

2011年5月31日火曜日

HSK初中等(7) 試験会場

確か、私が受けたのは10月だったと思う。
会場は、上海交通大学の中にあった。

上海交通大学は、復旦大学とともに上海の名門大学と言われている。

私がHSKクラスを受けていた語学学校からは、結構たくさん受ける人がいたので、
先生がツアコンのように我々受験者を会場まで連れて行ってくれた。
至れり尽くせり、という感じである。

教室にはいると「鞄などの持ち物は全部教室の前に置け」と言われる。

筆記用具や時計など、試験に使うことが許可されているもの以外は、
自分の座る机のところにすらおいておけず、教室の前に広げられた敷物の上に
置かなければならない。

なかなか厳格だ。

カンニング防止のためには効果があると思うが、これは教室が比較的小さいから
出来るオペレーションであって、日本の大学受験みたいに巨大な教室では難しいだろう。

机には、聞き取り用のヘッドフォンが置いてあり、
「きちんと音が聞こえるかどうか確認してください」と言われる。

ワイヤレスのヘッドフォンだったので、ちょっと感動した。

スイッチをオンにすると、音が聞こえ、音質も問題なかった。
他の受験者でヘッドフォン交換を要求していた人もいたので、
それなりにトラブルもあるようである。

その後、試験が始まるのだが、問題は最初から最後まで全く休憩がないことだ。

まず、途中でトイレに行きたくならないように、試験前はコーヒーを
飲んだりしないように気をつける、とかが私の場合は必要だった。

また、全部で3時間近くかかる試験を休憩なしでやるのが、
集中力の持続、という点でとても厳しい。

高校時代なら、こういう長時間試験にも慣れていたと思うが、社会人に
なってからは「2時間以上一つの場所にいて集中し続けなければならない」
機会はゼロだから。

終わったら、教室の前に置いてある自分の持ち物を各自とって帰る。

後は結果が出るのを待つだけだ。

2011年5月28日土曜日

HSK初中等(6) 聞き取り(听力)

もっとも難しい。これに尽きる。

日本で行われている中国語検定(中検)二級の問題集を買ってやってみたことがある。
聞き取りだけについていうと、HSK初中等とは比較にならないぐらい易しい。

内容もさることながら、話すスピードが全然違うのと、
問題文などを2回ずつ読んでくれるからだ。

まあ、(旧)HSKの本来の趣旨は、中国で生活に困らない、みたいなところがあるから、
「一回で聞き取れないと話にならないでしょう?」というロジックがあるのは
ある程度理解できる。

確かにこの聞き取りがほぼ完璧に出来る人は、テレビのニュースも分かるだろうし、
生活する上で困る場面はないだろう。

聞き取りは、3つの部分に分かれている。
第一部分は、単文が読まれる
第二部分は、ふたつの文(二人のやりとり)が読まれる
第三部分は、ある程度長い対話、もしくは文章が読まれる

いずれの部分も、文が読まれるのに続いて、問題文が読まれる。
選択肢は全て解答用紙に書いてあるので、それを選ぶ、という方式である。

理想は「文が読まれる前に選択肢を全部読んでおく」ことだ。

そうすれば、読まれる文の内容(使われるであろう単語)が予測できるし、
練習量が増えるに従って「これはこのパターンの問題であろう」というように
問題のタイプが予測できるようになり、それに基づいて元の文を聞けるようになる。

で、文と問題文を聞いたらすぐに回答して、次の選択肢を読み始める、
というのが理想的な時間の使い方だ。

私の場合は、全然うまくいかなかった。

「聞いたらすぐに回答」できず、時間を食っている間に、
次の文が読まれるので、選択肢を後から読むことになり、さらに回答に時間を食う、
という悪循環から逃れられなかったのだ。

結局、聞いた文がきちんと理解できてないという、要するに力不足だったわけで、
それを小手先のテクニックで何とかしようとしても無理、ということだったと思う。

2011年5月24日火曜日

HSK初中等(5) 総合(综合)

総合は2つの部分に分かれている。

一つ目は、文章中の空欄に最適な語句を選択するもの
二つ目は、文章中の空欄に最適な漢字一文字を回答欄に書くもの

語句選択は、文法的な正誤(善し悪し)を問う場合もあるし、
意味的な正誤(善し悪し)を問う場合もあり、まさに総合的な問題と言える。

ここに対しては、文法の勉強と、読解などによって「このケースでは
こっちの単語の方が相応しい」等のユースケースを増やすこと、を基礎として、
練習問題で感覚を磨く、ということになるだろう。

一方の漢字空欄埋めは、問題の成り立ち的には上記と同じなのだが
「簡体字を書く」という非常に壁が高い問題をクリアしなければならない。

だいたい、会社でPCを使って仕事をすることが一般的になって以降、
日本語ですら「文字を書く」機会は一年に数回あるかないかぐらいの頻度だし。

簡体字は、日本語の漢字と微妙にちがう場合があるので、それがやっかいだ。

宮(宫)という字は、微妙だがまあわかりやすい。
経(经)という字の「つくり」は日本の漢字だと又と土だが、簡体字はスとエ
氷(冰)という字が、簡体字だと「にすい」に水
愛(爱)という字の簡体字は下が友

あと、簡体字はごんべんなどの「へん」が簡略化されていてわかりにくい。
     ごんべん       说、认、谈
     かねへん      铁、针、铃
     しょくへん      饭、饰、饺

これらは草書体的に簡略化されているので、いくらかいても
バランスが悪くなってしまう。

HSKを受けたのはもう一年半ぐらい前だが、直後学校の先生に出したメールを読み返すと、
「汉字填空写错了两个字,"轻"和"真",太可惜了」と書いてあった。

その後HSKは受けてないので、いまだにこれらの字はきちんと書けないであろう。

2011年5月21日土曜日

HSK初中等(4) 文法(语法)

学校のHSKクラスで、最も時間を費やすのは、文法の学習である。

これは一つには、文法は読解など他の試験項目の基礎でもある、ということもあるし、
文法は覚える項目が大量にある、ということでもある。

挙げていくときりがなくなってしまうので、それはまた別途ということにするが、
一つだけ書いてみる。

私は方向補語の感覚がいまだにつかめない。

上来、上去、下来、下去

いったいどう使い分けろと言うのか。

何かの動作を今後も引き続きやるばあいは「下去」
不正常な状態から正常な状態に戻ったときは「下来」

まあ、去と来は感覚的に理解できるが、なぜ下なのか...

こんなことをいちいち考えながら人と話すことなんてできないが、
試験で多少確信をもって選択肢を選ぶことぐらいはできるようになった。

「これがどの程度、現実に役に立つのかな...」という疑問は拭い去れないものの、
役に立つ方向なのは間違いないので、我慢して覚えよう。


文法の試験も、設問数と比較して時間が短いため、スピード勝負の側面が強い。
練習問題をたくさんやれば、パターンがわかってきて、
設問中にはパターンに当てはまるものが何割かはあり、それらは機械的に
回答することができるので、時間を食う問題を考える時間を確保できる。

時間を食う問題というのは、選択肢に書かれている句がかなり長く、
構成も少し複雑なので、全ての選択肢を注意深く読んで考える必要がある。
こういった問題が難しいとは限らず、回答を選ぶことは簡単な場合もある。

スピード勝負とはいえ、落ち着いてさえいればなんとかなる。

2011年5月17日火曜日

HSK初中等(3) 読解(阅读)

さて、試験の中身について。

なぜ、読解を最初に書くかというと、簡単だから。

日本人は漢字がわかり、かつ語彙が日本語と似ているものも多いので、

(1)簡体字がちゃんとよめること
(2)接続詞、前置詞のような基礎的な文法の知識がわかること

という条件を満たせば、文章の大意を理解することができる。

読解の問題は、文章の意味合いを問うものである。

■筆者は何を言いたかったのか、正しいものを選べ
■この文章の内容と異なっているものは次のうちどれか

みたいな感じで、当然のことながら「意味的に微妙な選択肢」というのは
あまりないため、正しい選択肢を選ぶことは比較的易しい。

ただし、結構量が多いので、

(3)大量の中国語の文章に辟易しないこと

も重要である。

ゆっくりやっていると時間が足りなくなるので、読むのも回答するのも
スピード勝負になる。

その点は、やはりある程度訓練して慣れる必要はあるだろう。

テクニック的には「まず設問を一度読んでから文章を読む」という方法もあるが、
私個人の経験だと、あまり凝った設問はないため、文章を読んでからやるのと
それほど効率に違いはないように思われたので、これは使わなかった。

2011年5月14日土曜日

HSK初中等(2)

(新でない)HSKで、多少中国語学習の経験がある人が受けるのは「初中等」である。
種類としては、この他に「基礎(基础)」「高等」がある。

私が受けたのも「初中等」である。

試験は、4つの分野からなっている。
「聞き取り(听力)」「文法(语法)」「読解(阅读)」「総合(综合)」

総合の一部を除いてマークシートによる選択式となっている。

選択肢は4つなので、適当に答えても25%は当たる確率がある。

マークシートであるがゆえ、よくわからない問題でも「これはあり得ないな」と
いうように選択肢を除外するテクニックがものを言うので、得点を上げたい場合は、
やはりHSK向けの勉強をすることが望ましい。

私は週末会話勉強のために通っていた学校で、会話クラスを中断してHSKクラスを
受講した。

学校で申し込みも代行してくれたし、模擬試験も開催してくれた。

また「マークシート用シャーペン」もくれた。

私が、当時「共通一次試験」と呼ばれていた大学入試を受けた時代は、
こんな便利なシャーペンはなかったので、普通の鉛筆で時間をかけて
枠を塗りつぶしたものである。

もらったシャーペンは、芯が円形でなく平ら(きしめんみたいな形)をしており、
一回横になぞるだけで、マークシート枠を全部塗りつぶすことができる。

最初にマークしたときはちょっと感動した。

ただ、でも使っていると芯が偏って減ってきたりするので、
端の方が塗りつぶせなくなくなってくる。

その時、端の部分を細かく塗ろうとすると、このシャーペンは芯が太いだけに
全く使えない。まあ、そういう用途ではないから当たり前なのだが。

結局その時はといだ鉛筆に持ち替えて塗ることになるので、
逆にちょっと面倒だったりする。

2011年5月10日火曜日

HSK初中等(1)

中国語の試験といえば、やはりHSKであろう。

HSKはアルファベットだけれども英語ではなく、ピンインの頭文字をとったものである。
「漢語水平考試(HanyuShuipingKaoshi)」

HSKは「中国語を母国語としない中国語学習者のレベルを測定する」というのが目的で、
だいたい英語のTOEICに相当すると思われる。

実はHSKには2種類ある。

「HSK」と「新HSK(HSK改进版)」

もともとのHSKは、中国に来た外国人留学生を対象にしたものなので、
レベルがやや高めに設定されていて、中国国外での学習者にはそぐわない、
という理由で、新しい方の試験が開発され、導入された、らしい。

いま、中国国内では両方の試験が受けられるが、日本のHSKサイトを見ると、
日本では新しい方しか受けられないみたいである。

ここで文句言っても仕方ないが、もし今後も両方続けていくつもりならば、
「新」とかを使わずにまずは名前をはっきり分けてほしい。

中国国内には両方存在するので、かなり紛らわしい。

私が受けたのは、古い方のHSKで、新HSKは断片的な知識しかないので、
このあとHSKについて書いた事柄は、すべて古い方についてのものだ。

2011年5月7日土曜日

中国語の本を読む(6)

英語原作の本ということでは、推理小説ではないが、もう一つある。

サリンジャー (塞林格) 「ライ麦畑で捕まえて(麦田里的守望者)」

これも、日本語でも英語でも何度も読んだ本だったので、ぜひ中国語でも
読みたいと思っていたが、なかなか本屋で見つけることができなかった。

内容的に許可されないのかなあ、と思っていたのだが、そうしているうちに、
原作者のサリンジャーが亡くなった、というのが中国でもニュースになった。

その後、本屋に行ったら簡単に見つけることができた。新たに入荷したか、
目立つところに置き場所を変えたのであろう。
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これで、「もともと好きな本」で中国語訳があるものは、ほぼ尽きてしまった。

このような形で翻訳書を読むのは、中国語に慣れ親しむことができるのと、
好きな本を読めるから楽しい、というところはよいのだが、
やはり中国人が書いた本を読んだ方が、例えば中国の文化を理解するとか、
日常会話における言い回し、みたいな知識が身に付くので、
もちろん、中国の作家の本を読む方が望ましい。

だから、これ以降は、本屋で中国人作家の小説を読むようにしている。

適当に手に取っているだけだから、題名や導入から想像していたのとは
違った展開になる場合もある。

また、やはりもともと内容を知っている本を読むのと違って、
意味が通じない部分が多いので、苦労しながら読んでいる。

もう少し後になったら、読んだ本についても、少し書いてみたいと思う。

2011年5月3日火曜日

中国語の本を読む(5)

欧米ものの推理小説も、もちろん日本のように「何でも全部そろっている」とは
いかないが、それなりにはある。

古いところでは、コナンドイル、アガサ・クリスティ、
エラリー・クイーン、レイモンド・チャンドラーなどはある。

※推理小説としてはマイナーな日本の「小栗虫太郎」や「夢野久作」
  まで売っているのにはビックリした。でも横溝正史はなかった。

特にクリスティは充実していて、ほぼ全部が翻訳されている感じだ。

ただ、それ以降の欧米ものはあまり充実していないように思われる。
まあ私も最近の欧米ものはあまりフォローしていないので、知らないだけかもしれない。

※ロバートBパーカーがあったら読みたかったのだが。
内容がちょっと暴力的だから許可されなかったのだろうか。

私が読んだのは、

クリスティ(克里斯蒂)  「ABC殺人事件(ABC谋杀案)」
                                「オリエント急行殺人事件(东方快车谋杀案)」
                                「スリーピングマーダー(沉睡的谋杀案)」
クイーン(奎因)      「Xの悲劇(X的悲剧)」
チャンドラー(钱德勒)  「長いお別れ(漫长的告别)」
                                「さらば愛しき女よ(再见,吾爱)」
                                「プレイバック(重播)」

「スリーピングマーダー」を除いて、全て日本語と英語で読んだことがある。

翻訳者との相性の問題かもしれないが、クリスティは非常に読みやすかった。

クイーンは、ドルリー・レーンシリーズということで、シェークスピアとか
演劇関係の話題のところがやはり難しかった。

チャンドラーは、日本語でも英語でも何度も読んだことがあるのだが、
元の英文が難解というところもあって、中国語も難解だったように思われる。

とはいえ、好きな本だと、少し大変でも読むのは楽しいものだ。

2011年4月30日土曜日

中国語の本を読む(4)

それ以降、大人向けの中国語の本に移行できたが、
最初の頃は、やはり「好きな本の中国語訳を読む」という状況だった。

中国では欧米の推理小説もそれなりに翻訳されているし、日本の小説の翻訳も
それなりにたくさん売っている。

大きい本屋には、小さいながらも日本人作家のスペースもある。

どういう基準で選ばれているのかわからないが、東野圭吾、島田荘司などが、
目立つように思われる。村上春樹も多い。1Q84は、日本で出たのとほぼ同時に
中国語翻訳版も出て、入り口のところで平積み、という力の入りようで、
人気のほどが伺える。

「徳川家康」とか戦国武将の名前を題名にした本も割と目立つところに
置いてある。中国人はきっと武将好きなのであろう。

日本人作家コーナーでなく、若者向けコーナーに、「涼宮ハルヒ」シリーズの本
の何冊か(もちろん中国語翻訳版)が平積みされていたときは、さすがに驚いた。
これは、もしかして上海だけ、なのかもしれないが。

日本からの翻訳もので私が読んだのは、

松本清張  「砂の器(砂器)」
森村誠一  「人間の証明(人间的证明)」
村上春樹  「風の歌を聴け(且听风吟)」
                 「1973年のピンボール(1973的弹子球)」
                 「羊をめぐる冒険(寻羊冒险记)」
                 「中国行きのスロウボート(去中国的小船)」

村上春樹の本は、日本語で既に何度も読んでいたので、
中国語を読んだ時に、日本語での表現を思い出す、という感じで楽しかった。

「砂の器」「人間の証明」は日本語では読んだことはなかったが、テレビドラマ
(それぞれSMAPの中居くん、竹之内豊が主演したやつ)を見ていたので、
だいたい内容がわかっており、それと比較しながら読むことができた。

日本からの翻訳ものは、英語翻訳ものと違って名前や地名が一発で分かるため、
その点の苦労が全くないのがよい。

2011年4月26日火曜日

中国語の本を読む(3)

この「シャーロックホームズ短編集」は、子供向け、かつ私は内容を全部よく
知っている、という条件があっても読み進めるのは非常に辛かった。

※英語の原書(ペーパーバック)をはじめて読んだときもすごく辛かったが、
  それと同程度ぐらいだろうか。

もちろん、私が中国語をはじめて1年も経っておらず、
語彙や文法が全く身に付いていなかったから、ということが主な原因だと思う。

時間はかなりかかったが、それでも、なんとか最後まで読み切ることができた。

こういった英語の翻訳ものを読む際、中国語初心者の私にとっての問題は、
「固有名詞」である。

※本当は具体例を挙げられればよかったのだが、この本なくしてしまったので...再度すみません。

いくら内容を覚えているといっても、登場人物や地名を全部覚えているという
わけではない。

これ、前にも書いたと思うが、中国語は単語を分かち書きしないので、
文を読んだときに、これは固有名詞の一部なのか、それとも文章の一部なのかが
わからなくて、もともと難しい解読が、より一層難しくなるからだ。

ただ、いま考えてみると、どうも英語の固有名詞を音訳する際に使われる漢字は、
「一般的にはあまり文章で使われない」ものが選んで使われているように思われる。

もしかして、程度の違いはあれど中国人も同様の悩みを抱えているのかもしれない。

2011年4月23日土曜日

中国語の本を読む(2)

まず、中国語の原書で、読みたい本がない。

もちろんこれは人それぞれの趣味の問題で、もともと「三国志が好き」、
とかだったら良かったのだが、残念ながら、私は英米の推理小説が
好きだった関係上、中国の小説にはまったく知識がない。

※三国志も日本語で読んだこともなく、あらすじもよく知らない。
  威張れるような話ではないのだが。

何か読めるものはないかと思って本屋に探しに行った。

上海にも、大きな本屋が何軒かあるが、その当時知っていた唯一の
本屋さんは南京東路にあった(いまはもうない)。

当時は、中国に来て半年ぐらいの頃で、中国語のレベルも非常に低く、
いくら漢字が分かって、そこから多少の類推ができるとしても、
普通の本を読むのは無理だった。

仕方がないので、子供向け本のコーナーに行ってみた。

日本同様、中国にも「名作全集」みたいなシリーズがたくさんあり、
国内外の古典を子供向けにしている。

欧米の話が元になっているものも、題名が漢字で書いてあるので、
一見よく分からないが、一つずつ確認していくと、ありました、わかるのが。

「シャーロックホームズ短編集」

※この本なくしてしまったので、中国語題名なしです、すみません。

中国語の本といっても、読書は結局好きな本を読むことになるのだ。

2011年4月19日火曜日

中国語の本を読む(1)

本を読むことが好きなので、外国語が少し分かるようになると、
すぐ原語で本が読みたくなる。

英語は、原書で読みたい本がたくさんあった。

推理小説が好きだったので、日本語訳で既に読んでいた
イギリスやアメリカの作家の本を原語で読みたかったからだ。

東京では、こういった英米系の原書は大きな本屋に行けば手軽に入手できた。

教科書を読むような"熟読"と違って、私の読書は、細かいところは気にせず
内容を把握して楽しむためのものなので、どちらかというと"速読"に属する。

「この単語の意味が分からない」などといちいち調べていると、
永久に読み終わらないし、進みが遅くなると達成感が乏しくなり、
モチベーションがどんどん下がってくる。

「10ページ読んだ」「この本の1/4読み終わった」「1/3読み終わった」
「半分終わった、あと半分だ」「あと100ページだ」「あと50ページ」

というように「進み度合い(達成度合い)が数値として実感できる」と、
前に進もうという気持ちもわいてくる。

実際は、例えば1冊読み終わったからといって、「語学を勉強する上で、
何を達成したのか」というと、明確なものはほとんど得ていないように思う。

あるいは、英語的な感覚とか言い回しとかを覚える助けには
なっていたかもしれないし、そう信じたいところではある。

大学生当時は数年間に渡って、何冊もこうして英語のぺーバーバックを読んだ。

最初は1ページ読むのに20分とかかかっていたのが、最後の方には3~5分程度で
読めるようになっていた。

私の場合は、「勉強するため」という目的ではなく、「本が読みたい」という目的が
主になっているからこそ、続けられたように思う。

でも、中国語の勉強には、この方法はいまいちだ。

2011年4月16日土曜日

外国の固有名詞(4)

中国でもバスケットボールやサッカーの人気は高い。

スポーツニュースには、NBAや、欧州主要サッカーリーグが頻繁に登場する。

ヤオミンはじめ中国人選手の活躍度合いの関係からか、やはりNBAが一番人気である。

NBAのチーム名はどうかかれているか?

Rockets (火箭)
Nets (篮网)
Lakers (湖人)

得意の意訳攻撃全開で、全てのチームを2~4文字の漢字で表現する。

でも、さすがにうまくいかないものもある。

Celtics (凯尔特人)
76ers   (76人)

セルティックスは、音訳する以外にどうしようもあるまい。

"76人"って、"76ers"は人数のこと言ってるんじゃないんだから、
どうみてもおかしな訳だが、他に書きようがなかったのかもしれない。

※"76年人"とかにした方が本来の意味に近いのでは。


欧州サッカーチームは普通の音訳が多いが、やはり、

マンチェスターユナイテッド 曼联
マンチェスターシティ     曼城
レアルマドリード              皇家马德里

のように、音訳意訳の組み合わせ攻撃の場合がある。

ただ、サッカーチーム名はNBAチーム名のインパクトと比べると、雲泥の差である。
外来語訳を担当する人のセンス、とかによるのだろうか。

2011年4月12日火曜日

外国の固有名詞(3)

私たちが勉強する際の、中国語のテキストには(中国にとっての)外国人が、
たくさん登場する。

日本の英語の教科書は、当然のことながらTomだのJohnだのという英米系の
名前ばかりだが、中国語テキストは、バラエティ豊かだ。

英米系の他に、韓国人や日本人もよく出てくる。

日本人の登場人物は「田中」さん、「山本」さん、「鈴木」さんなどだろうか。

ただ、もちろん主役は英米系人物である。

David 大卫dawei
Anna 安娜anna

アンナはもろそのままだからよいとして、Davidがdaweiとは?
Davidは「ディヴィッド」では? ダァではなく?

もっと違うのは、Johnである。

John 约翰yuehan

「ユエハン?」

思うに、英語系名の「ジョン」ではなく、ドイツ系の「ヨハン」から来ているのか。
Davidも英米系の「ディヴィッド」ではなくドイツっぽい「ダーヴィッド」からか。

日本のローマ字も、アメリカというより欧州から学んだ、という感じがするが、
中国のピンインもそうだし、こういった古くから使われていたと思われる外来語には、
アメリカというより欧州の影響が強く感じられる。

2011年4月9日土曜日

外国の固有名詞(2)

ニュージーランドを中国語でなんというか。

"新西兰"

この意訳と音訳の合わせ技が、中国語(的発想)の真骨頂である。

日本人にはこういう発想が決してできない。

まあ、もちろん日本語はカタカナでそのまま書けばよいだけだから、
そもそも必要がない、ということもあるが、仮に必要があって、
こういう方法を思いついたとしても、

「固有名詞を意訳するなんて、先方に失礼」

などといって絶対却下すると思う。


もちろん、さすがに通常はそういう荒技は使わない。

例えば、ロサンゼルス(Los Angels)は意訳して"天使たち"と書くことはなく、音訳する。

  "洛杉矶luoshanji"

何度聞いてもLosAngelsとは聞こえないが、
リズムという点では、英語に近い。

英語でLosAngelsは母音の数に対応して3拍だが、
中国語も3拍となる、一方、日本語は6拍になる。

一般に日本語でのカタカナ表記は、言語での母音子音の発音を忠実に再現することを
目指しており、その結果リズムは全く原語と異なるものになる。

中国語の中の英語は、発音はなんとなく近い、といった程度だが、
リズムは日本語と比較すると、かなり原語に近く再現できている。

英語を母国語とする人にとって、どちらがわかりやすいのだろうか。


2011年4月5日火曜日

外国の固有名詞(1)

もともと漢字以外でかかれている外国の固有名詞をどう表現するか。

主要な国名は日本語に近い感覚の漢字表記になる。

アメリカ 美国
イギリス 英国
ドイツ  徳国
フランス 法国

漢字の違いは、日本語と中国語の文字の発音の違いに起因していると思われる。

日本語の"欧米"に相当する言葉として、中国語には"欧美"があり、
"欧米人"と同様"欧美人"という言葉(概念)がある。

※固有名詞ではないが、ついでに言うと、中国語でも"白人"、"黒人"という
言い方もある。

この辺まではまだよい。

"巴西"という字を見て、たとえこれらの漢字のピンインを知っていたとしても、
これがどの国を指すのか推測するのは難しい。

Brazil ブラジル(burajiru)  巴西(baxi)

同じものを指しているとは全く思えないほど、日本語と中国語の発音は異なる。

2011年4月2日土曜日

ピンインと声調について(5)

最近のことだが、上海のバーガーキングでセットメニューを頼んだときのこと。

"小皇堡套餐xiaohuangbao taocan" (WhopperJrセット)

と言ったのだが、WhopperJrだけを紙袋に入れて渡された。

これはどうしてか。

おそらく"tao can(4声、1声)"の声調を4声、3声で発音してしまったため、
バーガーキングの女の子は"帯走dai zou(持ち帰り)"と理解してしまったのだ。

声調は、母音子音の発音に優先する場合がある、ということだ。


でも、声調はいつまでたっても身につかない。

単語を覚えるのに、

漢字を覚える→ピンインの発音(声調抜き)を覚える→声調を覚える

というような3段階が必要で、第2段階から第3段階へのハードルが
かなり高い。

これは、日本人だから、かもしれないし、個人的な能力とかセンスの問題、
あるいは年齢的な問題なのかもしれない。

例えば"実shi"は2声だが、私はこれを「字を見てすぐに2声であることを
把握する」ことができない。

まず、実を使った熟語「其实qishi(実は)」を頭の中で発音してみてはじめて、
「あ、2声だったんだ」と思い出す、という手続きを必要とするのである。

このような「体で覚えている」単語は非常に限られている。

結局「体覚える単語」を増やすという地道な努力しか方法がなく、
さらにそこに達するまでに必要な「覚えたつもりになって忘れる」サイクルが、
あまりに多いため、ほとんどあきらめの境地に達しつつある。

2011年3月29日火曜日

ピンインと声調について(4)

上海ではタクシーに乗る機会が多い。

最初の頃は、言葉で通じなかったら困るので、必ず行き先を漢字で書いた紙を
準備していたものだが、少し慣れてくると、面倒だから口頭で伝えるようになる。

2年ほど前だが、中国語の先生に、
「タクシーの運転手に行き先が通じなかったんですけど...」

と相談したことがある。そうしたら先生に

「あなたのjuの発音がzhuになってるからですねえ」

と指摘されて、ちょっと(かなり)凹んだ。


いろいろ調べてみるに、

zhu、chuといったuと、ju、xuといったuは実は別の系列に属しているらしい。

日本語の"う"の口の形に近いのはzhu側で、ju側はそれほど口をすぼめず、
自然な形のまま、のようである。

とはいっても、言うは易しで、今でもjuとzhuを言い分けられているわけではない。

2011年3月26日土曜日

ピンインと声調について(3)

中国語のピンイン表記には、なんとウムラウトもある(uの上に点ふたつ)。

大学時代に習ったドイツ語はほとんど全て忘れてしまったが、
たぶんドイツ語の(uの上に点ふたつ)の発音と似ているように思う。

たとえば"女"という字のピンインはこれを使う。

PCや携帯でのピンイン入力の際は、"ウムラウト付きu"キーがないので、
"v"で代用されるのだが、最初の頃はこのルールが分からなかったため、
かなり苦労した。

※PCの場合は、日本語モードで漢字を入れて、コピペしていた。

こんなの、自分で見つけるのは不可能である。
最初から誰かに聞けばよいことなのだが。

2011年3月22日火曜日

ピンインと声調について(2)

中国語にも"e"という母音がある。

例えば"和"のピンインは"he"である。

とはいっても"へ"の発音とは全然違っていて、
「はー」と「ふー」の中間に聞こえる。

※なんというか、"へ"の口の形のまま"ふー"という感じ

※中国語は、声調の影響もあって、"e"で終わる場合は長母音的な
  発音となるのが一般的なため、「は」ではなく、「はー」

また、よく使う単語に「とても」を意味する"很hen"というのがあるが、
日本人はローマ字読みしてしまうためか、たいてい"ヘン"と発音する。
でも、中国人の発音だと"ハン"に非常に近く聞こえる。

その他の一文字の母音(a、i、u、o)はまあローマ字発音に近いと思うが、
子音との組み合わせによって、発音が異なる場合がある。

"大" da  「ダー」
"演" yan 「イェン」
"阳" yang 「ヤン」

この辺はもう、暗記で覚えるしかない。

中国語には2文字以上の複合母音も多いが、上記同様子音との組み合わせに
よって発音が異なる場合がある。

"前" qian 「チィエン」
"强" qiang 「チィアン」

ただ、これは覚えてしまえば、「gのあるなし」の聞き取りで混乱する恐れがないため、
実は、かえってありがたい。

"陈" chen 「チェン」
"成" cheng 「チェン」

私には、この「gのあるなし」を聞いて区別するのは絶対無理だと思われる。

2011年3月19日土曜日

ピンインと声調について(1)

中国語で最初に覚えるのは、これである。
日本語でいうところの、ローマ字の役割を持っている。

中国語は漢字ばかりだが、仮名が存在しなくてルビを振ることはできないので、
本の中で「発音のしかた」を示す方法が存在しなかった。

この状態では初級学習者(中国人の子供も)は、音読学習ができない。

※もしかして、中国でこれだけ多くの「方言」があるのも、そのことと
関係あるかもしれない。漢字という書き言葉の標準はあったが、
読み方の標準がなかったわけだから。

英語は新しい単語でもアルファベットを頼りに声に出して読むことが可能だが、
漢字では不可能である。

ピンインは、漢字の標準的な発音のしかたをアルファベットと声調記号で
表現したものなので、日本語にとってのローマ字(もしくは仮名)を覚えることが
重要であるのと同等の重要性をもっている。

ということで、中国語入門書には、一番最初にこれが書いてある。

見た目、ローマ字みたいなので、日本人にとっては入っていきやすい。

でも、発音はローマ字とかなり異なる。

2011年3月15日火曜日

中国語学習の難しさ(4)

さて、では話す方はどうだろう。


もちろん、まずは声調含めた発音暗記作業が前提条件となる。

さらに、話す際には「声調含めて正しく発音する」という、これまた厳しい条件も加わる。

中国語の発音の難しさは、英語の比ではない。

もちろん「英語をNativeのように発音する」のは難しい(というより不可能)だが
「とりあえず通じる程度に発音する」のであれば、ローマ字発音でもそれなりに何とかなる。

中国語は「何とか通じる程度に発音する」までの壁が非常に高いのだ。

ただ、この辺は、何というか、私だけの問題なのかもしれない。

もともと、私は日本語を話すときも、声が低くぼそぼそ話すので、
一回で聞き取ってもらえないことがしばしばある。

一方中国語は声調が重要である関係上、大きい声で、トーンを高くして話される傾向にある。

まったく私に向いていないような気がする。

ただ、まあ、考えてみれば、大学生の時初めてアメリカに旅行して、
地球の歩き方をたよりに(かなり安い方の)ホテルに行って
「今日部屋はあるか」と一生懸命英語で聞いたのに、

「はぁ?、あんた、何いってんのかわかんないわ」

と、フロントのお姉さんに冷たく突き放された記憶を思い起こせば、
英語も最初の頃はかなり苦労していたのだから、
中国語も地道にやっていれば、いつか「はぁ?」と(あまり)言われなくなる日が訪れる...

と言い聞かせて前向きになるしかない。


2011年3月11日金曜日

中国語学習の難しさ(3)

中国語の発音の難しさは、まず聞き取りの難しさとして現れる。

ある文章を一回だけ聞いたとして、その中のある言葉の発音が下記のどれに当たるかを正確に(声調含め)聞き分ける能力を習得するのは、私には不可能に思われる。

Zhan
Zhang
Chan
Chang
Jiang
Qiang

結局のところ、前後の文章から「これは"強(qiang)"だろうなあ」と予想するしかない。

この「前後関係から聞き取りにくい単語の内容を推測する」こと自体は、どの言語でも必要なプロセスなのだが、中国語は似た発音がとても多いので、推測する際の候補がたくさんになってしまうのだ。

中国人であれば、声調と発音の聞き分けが正確に行えるので、私のように上記リストを全部検索する必要はないはずである。

2011年3月8日火曜日

中国語学習の難しさ(2)

英語はなんだかんだいって中学高校で基礎的な部分は十分カバーされている。

一方中国語は完全にゼロからのスタートになるので、その差も大きい。

読解に関しては、漢字の存在が大きな助けになることは確かである。
もちろん、簡体字を覚えるという前提条件があり、
私はその前提条件クリアまでに1年ほど時間がかかった。

とはいえ、簡体字と、ある程度の文法と、ちょっとした接続詞などを覚えることで、
読解はそれなりのレベルまではすぐ到達できる。


しかし、聞き取りは、本当にゼロから始めなくてはならない。

ここは英語と大きく違うところだ。
英語の場合「読んでわかる単語」と「聞いてわかる単語」の数は、比例する。
読んでわかる単語が増えれば、聞いてわかる単語も増える。

これは、英語は表音的なところがあるからだ。

たとえば、"condemn"という単語は、意味がわからなくとも、
だいたい「コンデン」と読むのだろうという予想は容易につく。
読解によって、文章の中での使われ方がわかるようになれば、
聞いたときの判別もつくようになる。

だが中国語の「责备」という単語をなんと読めばよいかは、全く予想がつかない。
読解では、前後関係から「こりゃ責めるって意味か」と理解することは可能だが、
それと聞き取りで理解することとの間には「この単語の発音を暗記する」という
英語にはないプロセスが必要だ。

聞き取りをきちんとするためには、この「発音の暗記」を全ての「読んでわかる単語」に行う必要があるということだ。まったく気が遠くなる作業のように思われる。

さらに、仮に暗記しても、同音の漢字が多い上に、似た発音も多いので、
多くの候補の中から文脈に沿って当てはまりそうな言葉を選ぶ作業が必要、
という次の難関まである。

2011年3月4日金曜日

中国語学習の難しさ(1)

上海に赴任しているといっても、私の場合仕事で中国語を使わなくてもよい環境にある。

上海は日本人も多く(少し前にニューヨークを抜いて世界一多いらしい)、
生活するのために必要な中国語は決して多くない。

ある意味とても恵まれた環境と言えるわけだが、
しかし、やはり多少なりとも中国語が出来るようにならないと、
日本に戻ったとき「中国に赴任してました」と言いにくい。

さらに、現在のような先の見えない状況では、いつリストラになるかわからないし、
そうなった場合「中国語が出来ます」というのは多少なりとも有利に思われる。

つまり、実のところ私には中国語を学ぶための「自発的な動機」はなく、
どちらかというと「やっぱやったほうがいいよねー」という受動的なものだ。


英語の場合は違った。

小説を読みたい、歌を歌いたい、TV番組をみたい、という語学の先の目的があったからだ。


私が中国にもう4年近くいるのに、いまだに中国語がこのレベル(実用にならないレベル)に
留まっているのは、このモチベーションの違いが一つの要因のように思われる。

でも、その他にも大きな要因がある。

2011年3月1日火曜日

家庭教師と学校

赴任当初、まず会社に紹介された家庭教師の先生に教わった。

その先生は平日は某有名監査法人で社員として働いていて、
週末バイトとして中国語を教えていた。日本語がかなりうまい。

その先生はとてもよい先生だったのだが、いくつかの理由で
一年ほどあとに学校に切り換えることになる。

・「困ったときに日本語で何とかする」という癖を
強制的に直すような環境にすべきだと思ったこと

先生が日本語が上手だと、どうしてもそれに甘える気持ちを抑えることができなくて、
うまく通じない場合日本語に切り換えてしまう。最初はある程度仕方がないが、
だんだんマイナス面が大きくなってくる。

さらに、ときどき日本語での雑談モードに入ることもあり、
それはそれで楽しいわけだが、
一方で「このままではまずい」との気持ちも強くなってきた。


・先生は本業が忙しい時期がときどきあり、希望通りの授業日程が組めなかったこと

「すみませんが、これから杭州の客先に長期出張なので、次回は1ヶ月後で...」
というのがちょっと困った。


上海には日本人向けフリーペーパーがたくさんあるが、そこに広告を出していた、
比較的家に近い学校に電話をかけて「無料体験授業」を受けてみた。

そのときの先生も実は日本語が非常にうまい先生だったのだが、
授業中は基本的に中国語のみで行われ、「ちょっと日本語で...」などという
甘えた態度が許容されにくい適度なプレッシャーがあった。

また、先生もたくさんいて、一週間前に予約すれば希望の時間に
必ず授業を受けることができる、ということなので、
1時間あたりの単価は少し割高だったが、この学校に行くことにした。

実際、先生の教え方のレベルはかなり統一されていた。
もちろん「授業中どのぐらい本題から脱線するか」は先生によって異なったし、
それを含めた会話のかみ合い具合もいろいろだが、
逆に先生によって脱線するときの話題がいろいろあったり、
頻繁に使用する語彙が異なっていたりするので、
一人に固定されるよりも学習効果は高いように思われる。

結局、それ以来2年半ぐらいずっとそこに通っており、いまも続けている。

2011年2月25日金曜日

中国語は英語と日本語の間(2)

動詞と目的語以外の語順に関しては、中国語はむしろ日本語に近い。

日本語 : 私は昨日彼の家で食事した
英語   : I had a dinner at his house yesterday
中国語 : 我昨天在他的家吃饭

中国語で、いつ、どこで、に相当する語句の文中の位置は基本的に日本語と同じである。

私は中国語を話す場合、語順が英語とごっちゃになってしまって、

「我吃饭在他的家昨天」

みたいな間違いをすることが非常に多い。

おそらく、

「日本語以外を話す」→「英語を話す」

という図式が私の中の脳にできあがってしまっていて、中国語を話すのと英語を話すことの区別がうまくできないからだと思われる。

なので、いま「中国語って英語に近いんだよね」という意見を聞くと、「そんなことはない!」と反論したい気持ちになるのを抑えるのに苦労している。

2011年2月22日火曜日

中国語は英語と日本語の間(1)

中国語文法を説明するのによく使われる言葉に

「中国語は英語と同じで、主語+動詞+目的語の順番」

がある。

確かに、動詞の位置、否定を意味する言葉(不、没)の挿入位置は英語に似ている。

日本語 : 私は本を読む(読まない)
英語   : I (don't) read a book
中国語 : 我(不)看一本书

あと、前置詞(介詞)句の作り方も、

日本語 : あなたの家で
英語   : in your house
中国語 : 在你的家

と介詞が前に来るところが、英語に似ている。

一方、中国語は日本語に似ているところもある。例えば疑問文。

日本語 : あなたは学校に行きますか?
英語   : Do you go to school?
中国語 : 你去学校吗?

英語は、文を話し始める際に疑問文であることを明確にする必要があるが、日本語と中国語は文の最後まで聞かないとわからない。

また、条件節を作る際、

日本語 : (もし)あなたが行くのであれば
英語   : if you go
中国語 : (如果)你去的話

英語では節の最後の変化だけで条件節にすることはできない(最初にifやsupposeをもってくる必要がある)が、日本語や中国語は、最初に「もし」や「如果」を使うoptionもあるが、使わなくとも最後に「であれば」「的話」を付加することで条件節化することができる。

あくまで感触としてだが、

日本語は「文の最終段で意味を確定することが多い」
英語は「文の頭の部分で意味を確定することが多い」
中国語は「両方の場合がある」

ように思われる。

2011年2月18日金曜日

簡体字の壁(2)

今回は、簡体字と日本の漢字の「微妙な差」について書いてみる。
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偏とつくりで構成される漢字で、偏の画数が多いものは簡略化されるケースが多い。

糸偏      纸 = 紙
食偏      饭 = 飯
金偏      铁 = 鉄
言偏      话 = 話

このように草書体っぽく簡略化されたものは書くのが難しい。
特に簡体字の言偏は、何回やってもバランスよく書くことができない。

さらに細かいものとして、たとえば

  经 = 経

のつくりは、日本語は「又+土」なのに対して、簡体字は「ス+エ」。
いったいこれは簡略化された結果なのか。

あとよく見るのは、

  宫 = 宮
  海 = 海

宮は、口と口の間の"ノ"が簡体字にはない。
海は、このフォントだとよく見えないが、真ん中の縦線が簡体字では2つの点になる。
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日本語もそうだが、いま中国語を書く場合は、ほぼすべてPCや携帯を使用するので、
手書きの文字を書いて、かつその微妙な差を問題にされるケースは
HSKや中検のような試験ぐらいしか存在しないので、
実際は「見てわかれば十分」である。

と思って甘く見ていたので、HSK初中等を受けたときは、
簡体字がきちんとかけなくて総合の点数はやはりよくなかった。

2011年2月15日火曜日

中国語が使えるかどうか

今日、上海の地下鉄駅で電車を待っていたら、
大きな荷物を持った青年に話しかけられた。
「ちょっと聞きたいのですが...」

話がずれるが、私は海外で道を聞かれることが多い。
アメリカでも、イギリスも、いまの中国でも。
中国では、まあ中国人と見かけの区別はつかないからわからないでもないが、
なぜイギリスでまで...

さて、本題に戻る。

その青年は私に、
「xxxにはどうやっていけばよいのか? この電車に乗れば行けるのか?」
と尋ねた。

しかし、「xxx」のところが聞き取れなかったので、やむを得ず、
「わかりません」と答えると、私の後ろにいたおばさんが、
「あー、そこはねえ、二号線に乗り換えるのよ。
ここは4号線だから"世纪大道"まで行って、二号線に乗れば"龙阳路"につくわよ」

"龙阳路"は、毎日通勤で通っているところだ。

あの青年は絶対"龙阳路"という言葉は使っていなかった。
もしかして、"リニアモーターカーの駅"などと言っていたのだろうか。

ほとんどわかっているのに、最も大切な部分が聞き取れず、
結局、全く聞き取れないのと同等の結果になった。

中国語が実用になるかならないかの差は、
ほんの些細なものだが、そこを乗り越えるまでにはまだ遠そうである。

2011年2月12日土曜日

簡体字の壁(1)

4年前、上海への赴任を命じられた。

それまで、中国語の知識はゼロ。

とりあえず「中国語入門」を本屋で買って持ってきた。
「中国も日本と同じく漢字を使用しています」
などと書いてあるわけだが、これを真に受けてショックを受けることになる。

中国で使われている漢字、簡体字は、記号にしか見えなかったからだ。

もちろん、日本で使われているのと同じ漢字も多いので、部分的にはわかる。

しかし、簡体字は、ものによっては省略のされ方が半端ではない。

"業"という字は簡体字では"业"になる。あんまりだと思う。

その一方で、「試合に勝つ」の「勝つ」を意味する"赢"という字などをみると、
「"業"はこのままでいいから、こっちを簡単にしてくれ」と言いたくなる。

ちゃんと勉強しなかったせいもあるが、簡体字をきちんと漢字として
自然に認識できるようになるまで、一年という時間を要した。

2011年2月10日木曜日

はじめに...

中国語と関わるようになってから既に4年近くが経つ。

それでも、未だに日常会話でさえも満足にこなせないレベルである。

最近上達が目に見えなくなって、思い切り下がってしまったモチベーションを引き上げたい、というややnegativeな目的のためではあるが、これから、いままで中国語をどのように学習してきたかを振り返りながら、現在進行形の内容についても少し書いていきたいと思う。

中国語学習に関する情報は既にネット上に溢れるほどあるので、ここに書かれるであろう内容に新鮮味があるとも思われないが、もし縁があって読まれた方が多少なりとも共感していただけたりするのであれば幸いに思います。