2011年8月27日土曜日

声調再勉強(2)

私は英語の発音を暗記することが大嫌いだった。

英語試験の発音の問題は最も苦手としていた。

※「catのaと、nativeのaの発音は同じか」みたいな問題だ。

当たり前だ。ぜんぜん勉強していなかったのだから。
ヤマカンで答えて当たるはずなどない。

自慢ではないが、英語の発音記号を覚えたこともない。

もちろん、全くの日本人英語なので、偉そうなことはいえないが、
それでも、英語はなんとか、まあ仕事では普通に使えるレベルにはなった。

つまり、英語の発音に関しては「体で覚えて」通じるレベルになったということだ。

それで「中国語も同じようにやっていれば大丈夫」と
たかをくくっていたようなところがあったことは否めない。

実際、私は声調をどのくらい覚えているのか?

最初の中国語の教科書「漢語会話301句」を引っ張り出してきて、
各課の新出単語の声調を当ててみた。

結果は、自分自身でも驚くほどだった。

2011年8月20日土曜日

声調再勉強(1)

会話の学校は今でも続けてはいるものの、かなり限界を感じている。

何か、根本的にやり方を変えるべきなのではないだろうか。

しかも最近は、新しい中国語の本も買っていないし、夜家に帰っても
本を読むでもなく、テレビをみるでもなく、単にだらだらしているだけだから、
基本に返って、「短時間でもよいから何か毎日続ける」ことを考えなければ。


中国語を自分で話をするとき、何がネックになっているか。

一つは、もちろん、話したい内容に対しての表現がなかなか出てこないこと。
これは、実践での練習でしか向上できないであろう。

もう一つは、言いたい単語は頭に浮かんでいるのだが、
「えっと、これは二声だっけ? 四声だっけ?」
と悩んでしまうことだ。

間違った声調で話しても理解してくれるのは、日本人の中国語に慣れている、
つまり間違った声調を、文意から修正して解釈してくれる学校の先生だけだ。

何度も書いたことだが、中国語では正しい声調でなければ、
一般的に通じない。逆に声調さえあっていれば、ピンインの発音は結構適当でも
通じるように思われる。

「話すときは声調をちゃんとしないと」というプレッシャーもあって、
声調がはっきりしない単語を話すのがためらわれるのだと思われる。

これは、自分で毎日少しずつやれば改善できるだろう。

よし、これだ! ということで、4年前に始めて習った会話教科書を
引っ張り出してきて、各章の新出単語の声調をきちんと覚えているか試してみた。

2011年8月13日土曜日

四と十

「これいくら?」と聞いて、「スィークァイ!」という答えが返ってくると、
四元なのか十元なのか区別がつかない。

※"kuai"は元の口語表現。街で買い物するとき、元(yuan)はまず使われない。

ピンインでいうと、四(si4)と十(shi2)で、本来これらは結構発音が違うように思う。

siは、スーという感じで発音
shiは舌を前歯の裏につけた状態でシーと発音

目の前の店のおじさんはどう聞いても「スー」と言っている。
でも、何となく変だ。そう、声調が四声ではないからだ。

これは四なのか十なのか?

「どっちなんだ?」と瞬間頭の中が真っ白になってしまう。

こういう時は「声調が優先する」というのは、
後から考えればわかるのだが、まだ体に身に付いていないので、
とっさに判断が出来ないのである。

話す方でも、shiの発音がうまくできないことと、声調を正しくできないことが
重なって、先方に聞き取り間違いをされるケースがある。

※さらにいうと、十(shi)と十一(shi yi)もヒアリングでは非常に紛らわしい。
  たいていの中国人は早口だし、yiは軽声ではっきり発音されないので。


先輩赴任者の実話として、レストランに電話して四人で予約したつもりが、
行ったら十人で準備されていた、というのがあった。

だから、ということでもないが、私は(日本語が通じない)レストラン予約の電話は
実はまだ自分でしたことがない。

2011年8月6日土曜日

面(麺)の概念

面は、麺の簡体字である。"面と向かって"の面の字も同じ字なので、
簡体字化によって、面と麺が合併して、両方の意味を面という字で
表すようになったということである。

さて、ここでは麺の意味で使われる面の概念について少し書いてみたい。

日本語で麺というと、小麦粉などで作られた細長い形をしたもの、という意味になる。
そばやうどん、ラーメンなどが代表的なもので、スパゲティなども含まれる。

さて、中国の面は、ラーメンのように細長いものもあるが、
裤帯面のようにきしめんよりさらに幅広いタイプが存在し、
一方、刀削面のように若干形容が微妙なものも含まれ、
さらに餃子やワンタンも含んだ広い概念である。

ビーフンのような原材料が米であるものは面とは呼ばない。
烧卖や小龙包などの点心も、面とは呼ばれないようである。

状況から推測するに、中国でいう面の必要条件は、

■主に小麦粉を材料とする
■(おかずでなく)主食としての地位を確立している

である模様だ。

※中国北方では餃子は主食である。餃子定食というメニューは
    多くの中国人にとってまだ受け入れがたい、と思う。
    確か「餃子の王将」が中国のどこかに出店していたと思うが、
    どんなメニュー構成なのだろうか。

※ただし、飲茶で出てくる「エビ餃子」みたいなのは例外的に、
    焼売とおなじグループにはいるのだと思う。主食って感じではないし。

ところで、この中国の面の概念は、イタリアの「パスタ」の概念と非常によく似ている。

パスタには、タリアッテレからベルミチェッリまで太さの異なる細長い系の種類が存在し、
かつマカロニなどの異形もあり、さらに具が中につまったラザニアも含まれる。

さきほど推測した中国の面の必要条件は、100%そのままパスタに通用する。

以前読んだ、玉村豊男というエッセイストの人が書いた本(題名忘れました)の中で、
「イタリアのパスタは、イタリア人のオリジナルでなく、
シルクロードを通じて東洋から輸入された後に発展させたもの」
というイタリア人が聞いたら怒りそうな説を展開していた。

真実はもちろん分からないが、少なくとも中国での面の概念とパスタの概念は、
偶然と呼ぶには似すぎているというのは確かであろう。

2011年8月2日火曜日

主語と述語

「彼の背は高い」という文の主語と述語は何か?
これはまあ明らかだろう。「彼の背は」が主語で「高い」が述語になる。

では、次はどうか。

彼は背が高い

「彼は」が主語で「背が高い」が述語と解釈される。
日本語では、一つの文(正確には節)も述語になりうるのだ。

ここは、英語と全く異なる。
英語の文章には常に動詞が必要で、述語は常に動詞となる。
先の文を英語にしても、be動詞が常に必要である。

 (不自然な文章だが) His height is high
                                 He is tall

これは"tall"がたまたま「背が高い」という意味を持つ形容詞だから成立する、
という話もあるので、もう一つ例を挙げてみる。

彼は顔が赤い
He has a red face (His face is red)

もはや英語では同じような表現ができないので、別の言い方をするしかない。

では中国語ではどうだろうか。
「彼の背が高い」「彼は背が高い」を中国語にすると、
それぞれ次のようになるだろう。

他的个子高
他个子高

最初の文は明らかとして、後の文の主語と述語が何か、
というのは議論があるところかもしれない。

"个子高"を節とみなして、その節が述語という考え方もできる。
最初の文から単に"的"が省略されただけで、"高"が述語なのだ、
とも考えられる気がする。

もちろん私は文法の専門家ではないし、「どちらでもよい」わけだが。