2012年12月28日金曜日

灵感(linggan) --- 霊感

私は会社から帰るときによく市バスにのる。

今年の秋に日中関係が少しもめてから、
バスの中では音楽(主にFM)を聴くようになった。

隣の人に突然話しかけられて、私の対応で日本人であることが
ばれたりすると気まずいと思ったからだ。

いちおう念のために書いておくが、実際に危険を感じたことは一度もない。
バスの中で仕事の電話に出て、日本語で話したことも何度もある。
周囲の人は怪訝な顔でこちらを一瞬凝視するが、すぐ元に戻る。
これは今年の夏以前と変わっていない。

大都会上海の仕事帰りで疲れている人々は
基本そんなことにかまっている余裕はないのだと思う。

でも、なんとなくいまでもバスの中でよく音楽を聴いている。

今日もバスに乗って、FMを聞いていたら、
珍しく司会者が誰かゲストみたいな人と話をしていた。
ゲストは歌手か何かのようだった。

「どういうときに"灵感"がありますか」
「夜寝る前とかですかね」

その話題では、司会者とゲストは「灵感」という単語を連発していたが、
どうも、幽霊を見たとか、金縛りにあったとかいう類の話題ではなく、
曲作りの話をしているようだった。

きっと「灵感」の意味は「霊を感じること」ではなく、
「インスピレーション」ということなのだろう。

「灵感」に限らず、中国語の「灵」という言葉の意味は
日本語とかなり異なる。同じ漢字とは思えない。

たとえば「灵活(linghuo)」は機敏だとかすばしっこいという意味だそうだ。
日本語「霊」の字からはこんなの想像もできない。





ちなみに「幽霊」のことは中国語では「鬼」というらしい。

現代日本では「鬼」の概念はとても具体的である。
「つのがあって人間のような形をしていて実体がある生き物」

たぶん昔の日本では中国同様もっと広い概念だったと思われるのだが。

きっと童話の「泣いた赤鬼」とかでしか、鬼を知らないからなのかもしれない。

2012年12月24日月曜日

形容詞としての二 (2)

その「一号店」の広告には3つあり、

・スーパーのレジで並んで待っていらいらしている写真に
 「排长队, 二了吧!」の広告コピー
・スーパーで買った大量の商品に立ち往生している写真と
 「自己扛, 二了吧!」のコピー
・返品しようとするがスーパーの店員に適当に応対されている写真に
 「退货烦, 二了吧!」のコピー

いずれも、
 「実際にスーパーに行くよりネットで買ったほうがいいですよ」
ということを訴えているものである。

これを見たとき"二了"の意味がよく分からなかった。
コンテクストから言って良くない意味であることは明白だが。

中国語の先生に聞いてみた。

「あのー、地下鉄駅によく一号店の広告があるでしょ」
「ええ、ありますね」
「その中で"二了吧!"って書いてありますが、あれどういう意味ですか?」
「そうですね、"二"を形容詞として使ったときは"傻"と同じですね」
「よく使うんですか?」
「ええ、よく使いますよ。あの人は"二"だ、とか言ったりします」

辞典で"二"を調べてみても、それらしいことは書いていなかったので、
結構新しい用法なのかもしれない。

ということは、広告コピーはこんな感じか。
 「列にずっと並ぶなんて、ばからしいでしょ?」
 「自分で持って帰るなんて、ばからしいでしょ?」
 「返品が面倒なんて、ばからしいでしょ?」

私は単身赴任なのでそんなにスーパーに行かないが、
それでもWal-martへ行った数少ない経験からいうと、
この広告コピーにはとても心を打たれる。

「確かにその通りなんだよなあ...」

「一号店」が流行るのには、やはり理由があるのだと思う。

2012年12月20日木曜日

形容詞としての二 (1)

地下鉄の駅で電車を待っていると、線路の向こうの壁にたくさん広告があるのは、
日本も中国も全く同じである。

先日見たのは「一号店」の広告だった。

「一号店」というのは最も人気のあるネットショッピングサイトの一つである。

中国のネットショップといえば淘宝が有名で、
淘宝で探せばどんなものでも見つかるといわれている。

最近淘宝は「天猫(tmall)」というブランド名の別サイトを立ち上げた。
「淘宝网」も依然存在しており、そこから「天猫」へのリンクも張ってあるのだが、
「天猫( 淘宝商城)」と括弧書きがある。

「淘宝网」と「天猫」はぱっと見あまり違いがないのだが、
どういう区別があるのだろう。


「一号店」の方はというと、普通はスーパーで売っているような、
食料品や日用雑貨を得意とするネットショップのようである。

中国語の先生に聞いてみると、
 「今日買い物すると明日の午前中には届く」
 「週末は家に、平日の場合は会社に届けてもらう」

などと「一号店」を愛用している様子であった。

あとITや電器関係では「京东(360buy)」がポピュラーのようである。

ちょっと前、日本から持ってきた私用PCが壊れて、新しいのを買ったのだが、
その時相談した会社の同僚(もちろん中国人)は、

「京东で同等クラスのPCの価格を調べてから町のPCショップ行って、
京东より安くなるように交渉すれば、少なくとも間違いはないよ」

とアドバイスをくれた。

京东はある意味信頼のおけるネットショップ、ということなのであろう。
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さて、「一号店」の広告の話に戻ろう。

2012年12月17日月曜日

読書 红楼梦(6) 青少版

贾家や、その周りの家で毎日起こることをたどりながら物語は進む。
楽しいエピソードもあり、辛いエピソードももある。

その中で宝玉と黛玉と互いに愛情を持つようになった。

しかし、結婚することは許されなかった。

黛玉が病弱だったこともあるかもしれないが、
基本的に彼女は贾家の遠縁で身寄りがなく、
贾家としては望ましくなかったからである。

宝玉は親に他の女の子との結婚を強制され、
しかたなく同意するのだが、そのことを知った黛玉は
もともと弱かった身体をさらに悪くして、最後には死んでしまう。

宝玉は一応結婚して、科挙の試験に好成績で受かるものの、
その後仕事につく段になって行方をくらましてしまうところで物語は終わる。

宝玉の「人物点击」には「宝玉は封建時代の反逆者だ」などと書かれているが、
特に積極的に反抗していたわけではない。

物語のなかで、彼は頭も良く、性格も良く、とても良い人のように思われる。

たまたま贾家にきた黛玉と出会ってしまったがために、
悲劇的な結末を迎えることになっただけ、という感じがする。

最近たまたま日経ビジネスオンラインのチャイナゴシップスというコラムで、
中国人の作家がノーベル文学賞をとったことについて書いてある記事を
読んでいたら、

「红楼梦」は実は「痛烈な体制批判の書なのだ」

と書いてあった。

だが、正直これが体制批判なのかどうか私にはよく分からなかった。


2012年12月12日水曜日

読書 红楼梦(5) 青少版

贾家が上流階級、と書いたが、外で働いている父親を除いて、
家族は一日中家にいるわけで、奥さんは家のマネジメントが
かなり大変そうであった。

なにせ、世話係が1人に2人ぐらいいるわけなので、
家族とあわせると全部で20人以上になり、
しかも毎日のように客人が来るので
(遊びに来るときもあるし、イベントに参加しに来ることもある)、

食事一つをとってもきちんとみんなをまとめて動かさないと、
収拾がつかなくなってしまう。

そういったマネジメントを任せられそうな執事とか
世話係のリーダー的な役割はいない感じだった。

上流といっても、すごく上流ではない、ということなのかもしれない。

宝玉や、黛玉などの子供たちは、そういった仕事もなく、
毎日本を読んだり、詩を詠んだり、遊んだりして過ごしているようだった。

彼らが物語の始めが何才で、終わりごろに何才なのか全く分からなかったが、
たぶん中学生から高校生ぐらいの年頃なのでは、と思われる。

遊んで暮らしているといっても、男性は科挙の試験を受けて仕事に就くまでの、
女性は嫁入りまでの、ある意味つかの間の青春に過ぎない、という感じもする。

もちろん、公務員でない家に比べれば超恵まれているのであるが。

2012年12月7日金曜日

読書 红楼梦(4) 青少版

物語の舞台である贾家は、その時代の上流階級である。

贾宝玉のお父さんなど成人男性は政府らしきところで働いているらしく、
家にあまりおらず、いっぽう物語はほとんど家の中で進行していくので、
たまにしか登場しない。

でも登場人物自体は多い。

贾家の人だけでも、おばあさんにあたる贾母、政府で働く息子二人、
その奥さん、二号さん、その子供たち(宝玉や
親戚から引き取られてきた黛玉など)がいて、
さらに子供を含む全員にそれぞれ二人ずつぐらい
身の回りの世話をしてくれる女性がつく。

さらに贾家と付き合いがある家族がいくつかあり、
それぞれが同じくらいの規模を持っているので、
足していくともう百人オーダーである。

実は「红楼梦」に登場する人数を合計すると975人だそうだ。
私が読んだ青少版は端折られているからきっともっと少ないと思うが。

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三国志の時もそうだったが、人間関係を理解するのは非常に難しい。

はっきりとした説明がない(暗示するのみ)ように思われるし、
もちろん、私のほうに読解力がないとか、常識がないという部分も大きいと思う。

红楼梦も結局贾家の家族構成さえきちんと把握できないまま読み終えてしまった。
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少なくとも贾家は全くお金に困っていないようだった。

「お金」に当たるものはこの時代「银子」だったようで、
物語の中でも贾家の人が誰かに「银子」をあげる場面がたびたび出てくる。

贾家がどこから「银子」を得るかは書いていなかったと思うが、
政府関係で働いている男性二人がもらっている給料、
ということなのであろう。

最後の方で宝玉も「公務員試験」というか「科举」を受験するわけだが、
「科举」という仕組み、つまり家柄でなく優秀さを客観的に評価するシステムが
こんな昔からあったのは、すごいことのように思われる。

もちろん「科举」で優秀な成績をとるためには、家がある程度裕福(子供が
働かずに家にいて勉強できる時間がある)でないといけないわけだが、
公務員になればこんなに裕福な暮らしが出来るということであれば、
親戚みんなでサポート、というようなケースも多かっただろう。

宝玉が親から「ちゃんと勉強して試験で良い成績を取ってくれ」
などといわれるところは、現代の受験と全く同じである。

2012年12月4日火曜日

上海マラソン2012 (5) 当日後半

スタートラインを越えるとみんな走り出したので、私たちも走り出した。

足元にはみんなが捨てたカッパが散乱していて走りにくい。
雨はまだ降っていたのだが、やはり走るときはカッパは邪魔なので、
私も走りながらカッパを脱いだが、その場に投げ捨てる気にはなれず、
フリースのポケットにねじ込んだ。

私は全く速く走る気はなかったので、 ゆるゆると走り、
後ろから来る人に次々と抜かれていき、同僚も先に行った。

走るというのは、やはりなかなか孤独なスポーツである。

走っている最中のことは詳しく書かないが、改めて思ったのは、
「走っている間、たいくつだ」
ということだ。

最初から最後まで考える話題が
 「疲れた、足が痛い、今何キロだろう、今何時だろう」
しかないのである。ほんとうにつまらない。

時々沿道に「加油!、加油!」などと励ましてくれる
おばさんグループや、チアガールの格好をした
大学生風の女の子がいるのだが、
正直彼女たちが出てくると「ふとわれに返る」ことができ、
テンションを復活させることできる、という部分がかなりあると思う。
とても助かった。

最初からゆっくり走って後ろから追い越されっぱなしだったが、
疲れて足が痛くてどんどん速度が落ちて、
最後の1/3はほぼぜんぶ歩き、ゴール直前はみんな走っているから私も走ろう、
と思ったがもはや足が動かなくて、歩いてゴールした。

隣ではフルマラソンの人もゴールしていたのだが、
同じ時間でこの倍の距離を走るなんて、本当に信じられない。

結果からいうと、ハーフを3時間でいちおう完走したのだが、
大変だったのはゴールしたあとだった。

飲み物と食べ物をもらって、成績証明書を受け取って、時間計測用の機器を返す、
というだけなのだが、たったそれだけのことに2時間もかかった。

脇で並んでいた日本人の人が「去年も時間がかかったけど、
今年はもっとひどい」といっていたのが聞こえた。

まあ、何万人も参加しているので、うまく捌くのは非常に難しいのだろうが、
もうちょっとやりようがあるのでは、と思った。
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完走したはいいが、本当に足が痛い。家に帰ったら痛さ倍増している。
ゆっくりとしか歩けないし、階段の上り下りが非常につらい。

一週間ぐらいで直ることを祈っている。

2012年12月3日月曜日

上海マラソン2012 (4) 当日前半

土曜の夜は、友人の家で「上海蟹を食べる会」というのあり、
部屋に戻ったのは零時を過ぎていた。

そこから風呂に入ったり準備したりしていて、結局寝たのは1時だった。

目覚ましは5時半にかけたのだが、
緊張していたためか5時15分には自然に目が覚めた。

真っ先に窓から外を見たところ、雨が降っている。最悪である。

6時に待ち合わせた同僚とタクシーに乗って「外滩まで」といったら、
「今日はマラソンだろ」
「そうです、マラソンに行くんです」
「道路が封鎖されてるはずだから、近くまで行くから後は歩いてね」
「はい」
事情がよくわかっている運転手さんだった。

 結局、中山東路と延安東路との交差点のところでもういけなくなり、
そこから北京東路まで歩くことになった。

延安東路から一本入った四川北路、というのを北に歩き、北京北路に向かう。

雨が結構強く降っていた。小雨というレベルではない感じで、
ちょっと歩くとびしょ濡れになる。

歩いていくにつれて、マラソン参加者が続々と湧いて出てきて、
狭い四川北路は満員電車みたいな状況になっていた。

雨が降っているのでかさをさしている人も多い。

またこれが傘マナーが悪くて、後ろから横から人の頭にガンガン傘をぶつけてくる。
満員電車状態だからある程度仕方ないが、ちょっと辟易する。

天気予報では朝にはやむみたいに書いてあったので、
荷物になる傘は持ってこなかったのだが、
これではつらいなあ、と思っていたら、
 人ごみの中でおばちゃんがカッパを売っていた。

カッパは飛ぶように売れており、おばちゃんの横は買ったカッパを来ている人で
あふれていた。

「これは買うしかない」ということで我々もカッパを買った。
1つ5元だったので、それほどぼっているわけではないと思うのだが、
生地はあまりに薄く、着ようと思って袋から出した拍子に
半分ぐらい破けてしまって効果が半減してしまった。

とはいえ、あの状況で5元というのはおばちゃんも私たちもwin-winの取引の
ように思われる。

本当は登録時にもらった衣類袋を預けるわけなのだが、
人が多すぎて預け場所までたどり着けないので、預けるのはあきらめ、
背負って走ることにして、スタート地点に向かった。

正直、スタート地点に行くだけなのに、こんな雨と人ごみの中を30分も歩く、
というだけで、やる気を喪失させるのに十分である。
 
周りの参加者を見ると、ジーンズはいてる人とか普段着の人が
たくさんいたのが不思議だった。
彼らは5kmの健康マラソンに参加するのだろうか。

また、やはり欧米系の参加者が目立つ。
ガタイが大きいから、ということもあるが、
彼らは服装が、なんというか「やたら本格的」だからだ。
本人はそのつもりはないだろうが、男性も女性もみんな
「私はランナーです」ということを誇示しているように見える。

7時になってレースが始まったようだったが、我々はまだ北京北路におり、
結局スタート地点を通過できたのは7時10分ごろだった。

2012年12月2日日曜日

上海マラソン2012 (3)

今日会社が終わったあと、事前登録に行ってきた。

登録場所は上海体育館のところである。

SMSに住所が書いてあったのだが、こういう場所では全く役に立たない。
上海体育館のところには、体育館とスタジアムが隣り合っており、
「そのどちら側にあるのか」で徒歩20分ぐらいの距離があるからだ。

いろいろ探し回ってようやく、体育館とスタジアムの間のところの
登録場所にたどり着いた。

すでに受付終了時刻の19:00近かったので、
並んでいるということもなく、すぐに受付してもらえた。

ハーフマラソンの申し込み、と書いてあるところにまず行く。

すると、当日使うゼッケンと時間計測用の機器を渡される。
「時間計測用の機器」というのはシューズの靴紐に取り付ける
非常に小型のバッジみたいなものである。

スタート地点からゴール地点まで5kmごとに通過時間を
チェックするのだそうである。

さすがに、いまどきのマラソンはハイテクだなあ、と思ったが、
同僚に聞くと、GPSと地図データを使ったスマホのランニング向けアプリで、
走った経路などのデータをクラウドに保存して、あとからPCで参照できたりする
サービスも一般的なのだそうだ(これは上海マラソンとは関係ないのだが)。

スマホのアプリというのは本当にいろいろな可能性を持っていることに
改めて驚かされる。

ゼッケンとかを受け取ると、
係員のおばちゃんに「あっちいって服うけとってきな」
といわれて、歩いていってみると「Sサイズ」「Mサイズ」などど
看板が出ており、「Mサイズ」のところで受け取ってみると
ナイキ製の上海マラソンTシャツだった。

今年はフルマラソンは白のTシャツ、ハーフマラソンは紺色である。
どうみても紺色のほうが格好良いように思えた。

一緒にいった私の同僚はLサイズのところに行ったら「もうなくなりました」
 といわれ、かつ「あなたならMでも大丈夫だよ」といわれたので、
隣のMサイズのところに行ったらなんとそこでも「なくなりました」と
いわれて仕方なくXLサイズのTシャツをもらっていた。

私がもらったMサイズのTシャツは最後から2番目ぐらいだったようである。

Tシャツと一緒に大きな袋をくれるのだが、
この袋は当日服などを預けるために使うということである。

スタート地点で預けると、ゴール地点まで主催者側で運んでくれて、
あとで受け取れるのだそうだ。

朝は寒いから上着が必要だが、走るときは脱ぐから、ということだろう。
あるいはゴール後に着替えるものを預けるのかもしれない。

ゼッケンと一緒にもらったスタート地点の案内には、
「ハーフマラソン参加者14000人」とか書いてあった。

やはり、マラソン人口というのは本当に多い。

今日来た上海マラソンSMSには、
「朝ごはんは消化の時間を確保するためにスタート2時間前には食べてください」
「朝ごはんを食べずに走るのは絶対やめてください」
とか書いてあった。

スタートが7時だから、5時前には食えってことなのだが、
さすがにそれを遵守するのは無理な気がする。


2012年12月1日土曜日

上海マラソン2012 (2)


申し込みすると、当日(12/2)の一週間ぐらい前から、
連日ケータイにSMSが入る。



私は外人(非中国人)だからだと思うが、内容は英語である。

「あと一週間だから体調に気をつけろ」
「ビタミンをちゃんととれ」
「睡眠も十分とれ」

まったく、大きなお世話である。

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ちなみに、この上海マラソンSMSで気になるのは英語の使い方である。

 you は u
 your は ur
 and は n

常にこのように略して表記される。

ぱっと見「なんだ、このくだけた英語は。ふざけてんのか?」と思ってしまった。

しかし。書かれている文章自体はちゃんとしているので、
別にふざけているわけではないのであろう。

私は英語圏でSMSやったことがないので、なんともいえないが、
英語はどうしても字数が多くなるし、字数節約の必要性が高いであろうとは思う。

英語圏SMSでは、これが常識なのだろうか。
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話を戻すと、大きなお世話に混じってたまに必要な情報もくる。

「事前登録をちゃんとしてください」

一度申し込んだだけでは十分でなく、
直前にマラソン運営センターに本人が直接行って、
いわばリコンファームが必要だということらしい。

上海体育館のところに行かなくてはならないということだが、
会社の場所は浦東にあって遠いので、非常に面倒である。

いちおう、同僚と一緒に今日行くことにしている。

2012年11月30日金曜日

上海マラソン2012 (1)

諸般の事情で上海マラソンに参加することになった。

いま、日本ではかなりランニングが流行っているようなのだが、
私は昔から走るのは嫌いである。

マラソンやっている人によると、やはり「ランナーズハイ」みたいな状態は
あるらしいので、そういうのを一度体験すると気が変わるのかもしれないが、
私はそういうことにはならないと思う。

というのは、私は以前からひざを痛めており、
ある程度の距離を走ったらもう走れなくなり、
歩いてゴールに向かうかもしくは途中棄権することが
分かっているからだ。

ちょうど来た市バスに乗るために、
停留所まで10メートル走っただけで既に痛いのである。
長距離なんか走れるわけがない。

なのに、なぜ参加するのかというと、浮世の義理である。
何事にも事情というのは存在するのだ。
しかも、マラソンといっても参加するのはハーフだ。

ちなみに、マラソンは中国語で"马拉松"と書く。

外来語としては珍しく日本人が聞いてもすぐ分かる。

いつものパターンだと意訳して別の単語にしちゃいそうだが、
例えば"长跑"だと「長距離走」というジェネラルな意味になっちゃって、
42.195キロという特別な距離を走る感覚が出せないのだろう。

申込書を見ると、正式名称は、
"上海国际马拉松赛"
だそうだ。

2012年11月27日火曜日

読書 红楼梦(3) 青少版

第二回は、女性の主人公である林黛玉が、
実家から離れて遠縁である贾"jia"の家に
引き取られるまでの話が描かれる。

最初は林家とは何の関係もない家の話からはじまるのだが、
その家の一人娘の女の子が突然いなくなってしまって
両親が悲しむ話とかが出てくる。

後に林家に関わる贾雨村という人を登場させるためのエピソードなのだが、
「なぜいきなりこんな悲しい、しかもメインストーリーと
無関係な話ではじめるか」というのがよく分からなかった。

何かの伏線というわけでもなかったし。
まあ、この話全体の結末を暗示している、
という見方は出来るかもしれないが。

第三回は黛玉が贾家に着いたときの話で、男性の主人公である
贾宝玉との最初の出会いが描かれる。

第三回からが本当のストーリーの始まりで、
ここから最後の第五十八回までずっと基本的に贾家と
贾家に関わる家族の話が語られていく。

この「青少版」の(私にとっての)良いところは、各回の最後に、
「人物点击」という題のちょっとした解説、
つまり各登場人物の説明(どういう家庭背景で、
どういう人生を歩むか)が書かれていたことである。

※ちなみに「点击」は「マウスをクリックする」の
 「クリック」のこと

例えば、第三回の「人物点击」は林黛玉の解説だった。
この解説には黛玉が最後にどうなるかまで書いてあるので、
「こんなところでストーリーをばらしてよいのか?」
とも思うのだが、予備知識のない私にはとても役に立った。

2012年11月20日火曜日

読書 红楼梦(2) 青少版

目次を見ると、「第一回」から「第五十八回」までとなっており、
やはり全体として250ページ程度である。

回あたりのページ数は4ページ程度と短く、
さらにその中に挿絵も入っているので、
この程度ならいくら難しくても集中力が途切れずに
回の最後まで読めそうな気がする。

第一回は、導入である。

三国志の最初も仙人みたいな人から始まっているが、これも女性の仙人
みたいな人(女娲的神仙)が最初に出てくる。

この人は、天の欠けたところを石で補修するのだが、
一つだけ魂をもった石が地上(山の中)に落ちてしまった。

この魂を持った石は、たまたま通りがかった和尚と道士が
人間社会の話をするのを聞いて興味を持ち、
「そこに連れて行ってくれ」と懇願する。

経緯はいまいち理解できなかったが、その和尚と道士(仙人とか、
僧という言い方もされていた)は、
仏法を使ってその石をきれいな玉に変えて町に持っていった。


それから長い年月が経ったあと、ある道士が同じ山の中で、
物語が刻まれている石を見つけた。それはあの天から落ちた石だった。
その石は見聞きしてきた人間の物語を刻み込んでいたのだ。

その道士は石に書かれていた物語を書き写し、語り継いでいった。

「红楼梦」は別名「石头记」と言うそうである。

なかなか凝った導入である。

2012年11月15日木曜日

読書 红楼梦(1) 青少版

ちょっと前に「三国志」の青少年向け版に挑戦したが、
今度は「红楼梦」を買ってみた。

いつものように中山公園駅前にある本屋に行って、前に買った「三国志」と
同じシリーズ(中国古典文学四大名著・青少美絵本)のものを
探したのだが、残念ながら置いていなかった。

仕方がないので、別シリーズの「红楼梦」を買った。
これは「四大名著挿画本・青少版」とかかいてあり、
やはり4大古典(三国志、水滸伝、西遊記、紅楼夢)のシリーズとして
出版されている。

「青少美絵本」は「美」が入っているだけあって挿絵がカラーだが、
この「青少版」は挿絵は単色で、装丁も地味だ。

ためしにこの青少版シリーズの「三国志」を中を見てみたら、
全体のページ数が約250ページほどで、
私が読んだ「美絵本・三国志」より100ページぐらい少なかった。
内容も端折られているとみえる。

値段も「青少美絵本」は40元弱なのに対して、
「青少版」は20元弱できっちり半分である。

よく見たところ「青少美絵本」も「青少版」も
「吉林出版集団」という同じ会社がだしているものだった。

こんなに似た本をいくつも出すなんて、
商売的にどうなんだろうというのはちょっと気になったが、
値段が倍も違えば客層も違うのかもしれない。


三国志のときも、ストーリー知識はほとんどなかったものの、
それでも登場人物の名前ぐらいは知っていて多少親しみもあったのだが、
今回は完全に予備知識ゼロからのスタートなので、
前以上に苦労することが予想される。

いちおう、以前中国語の先生(文学好き)から口頭で聞いたところによると、

三国志、水滸伝、西遊記に比べて紅楼夢だけは時代が少し後に書かれたもので、
内容も他の3つは「戦い」がメインなのに対して、
こちらは上流階級の生活や恋愛感情が描かれているので、
どちらかというと女性向きでは。

とのことであった。

別の先生(文学好きでない)は「読んだことないけど、ドラマ化されたものを
ちょっと見たことある」といっていた。

あんまり普通の人が「よく知っている」というほどではないようである。

私自身も私自身も日本の古典文学の知識は全くないので、
偉そうなことはいえないが。

2012年10月6日土曜日

頭がいい

会社で、中国日本間のテレビ会議の時に耳にした日本語の会話。

中国メンバー「こんにちは」
日本メンバー「こんにちは」
中国メンバー「頭はいいですか?」
日本メンバー「えっ?」
中国メンバー「前回のとき、頭痛がする、と言ってたので...」
日本メンバー「あー、そういう意味ですね」


このようなケースでは、「頭痛はよくなりましたか?」などと
「頭」ではなく「頭痛」という表現を使わないと誤解になる。

あるいは「よい」という表現を使わずに「頭はもう大丈夫ですか?」と言うか。

ただ、この場合万が一「もう」という副詞を省略して
「頭は大丈夫ですか?」とやってしまうと、
もっとひどい誤解になってしまって険悪になっちゃうかもしれない。

経験から言って、英語にしても中国語にしても、
外国語の副詞を使いこなすのはかなり難しいので、
こういった副詞の有無で意味が大幅に変わってしまう言い方は
避けたほうが無難であろう。

なんか、日本語を学ぶ人へのアドバイスみたいになってしまった。

ちょっと中国語の話も書いてみる。

彼が「いいですか?」という表現で言いたかったのは中国語の"好了吗?"であろう。

中国語で「頭が"好了"」と言った場合、考えられる可能性は
「以前状態が悪かったのがよくなった」
というような、健康状態のことに限られるように思う。

すなわち日本語で言うところの「頭がいい」という表現は中国語には存在しない。

「安倍さんって頭いいよね?」を中国語に訳すと、
"安倍先生很聪明吧?"になる。


日本語の「彼は聡明だね」と「彼は頭いいよね」を比べると、
「彼」の印象はかなり異なる。

「聡明」と言われた「彼」は、なんとなく、
清潔で上品でそこそこハンサムな青年の感じがする。

一方「頭がいい」と言われた「彼」は、
特定の見た目のイメージがあまり浮かんでこない。
子供かもしれないし、青年かもしれないし、安倍さんかも知れない。

つまり「頭がいい」という言い方のほうが汎用性がある(特定のコンテクストと
結びついてない)、ということなのであろう。


中国語の「聪明」は話し言葉に頻繁に登場する。

おばあちゃんが孫に対して「よくできました! とても聪明」と言ったりする。

私もお世辞で言われることもある。
「こんな難しい中国語の言葉知ってるんだ。聪明だねえ」

中国語での「聪明」の使われ方は、日本語の「頭いい」の使われ方と
全く同じように私には思われる。


倉谷直臣というひとの「英会話上達法」という本に書いてあったことだが、
日本で使われている外来語は、その言葉が入ってきたときに使われた用法に限定され、
もとの汎用性が失われている、という話がある。

「聡明」という言葉が昔の中国から昔の日本に外来語として入ってきたときに、
やはり汎用性が失われてしまったのかもしれない。

2012年9月29日土曜日

没办法

たぶん性格と関係あるように思われるが、私が日本語でよく使う言葉に、

「しかたがない」

というのがある。

何らかの事情によりもう結論は決まっているから、これから頑張っても
無駄である、ということを伝えたり、そのことを認識している相手を
慰めたりする際に使う言葉である。

個人でできることには限界があるのだ、という厳しい意味があり、
頑張ろうとしている相手に言う場合は非常にNegativeな言葉である。

英語では同様の言い回しは存在しないように思う。

英語圏でもまあまあ一般的な、フランス語の「セラヴィ」が
近いニュアンスを持っているかもしれないが。


アメリカの場合は「アメリカ人はpositiveだから」という説明ができるかもしれないが、
UKの場合、イギリス人はNegativeで皮肉っぽくてアメリカ人とは対照的だし、
似たような使われ方をする言葉があってもよいのでは、とも思うのだが、
個人主義が根幹にある欧米は考え方の成り立ちがそもそも異なるのかもしれない。


逆に、英語での印象深い言葉として「通常ならあきらめるような状況なのに、
何らかの事情(世の中とか、社会とか、学校とか)に反抗して頑張る」際に使われる、

"I know what I'm doing"

というのがある。

心配して「それはやめたほうがいいんじゃないか?」とアドバイスを
くれる相手に対して「自分のやっていることはわかっていて、
相応の覚悟を持っているから、もう止めないでくれ」
という意味の言葉だ。
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さて、中国語には「しかたがない」と全く同じ言葉がある。

没办法(没有办法)

方法(办法)が存在しない、という、字面上も「しかたがない」そのものであり、
意味的にも使われ方も日本語とほとんど同じだと思う。

つまり、頻繁に使われる。特に言い訳として。

「なんで遅刻したんですか」
「渋滞だったんです。没办法」

ここで、
「渋滞なんて毎日してるんだから、その分早く家を出てください」
と即座に返せるような会話能力を身につけたい。いや、マジで。

2012年9月22日土曜日

ハイコンテクストとローコンテクスト (3)

だんだん本来の意味からずれた話になってきているが、もう一つ書いてみる。

アメリカ赴任経験がある人が言っていたことだが、

 ■アメリカの会議では、たとえ変な質問をしても日本のように「なんだお前は」と
  白い目で見られることはなく、普通にきちんと答えてくれるので、発言しやすい

ここで「変な質問」というのは、その分野の基礎知識があれば絶対しないような
質問のことだ。

こういう場合日本では、言葉に出さないまでも「素人はこの会議に出るな」
「顔を洗って出直して来い」という表情とともに白い目が返ってくることになる。

アメリカではそういう質問でも普通に「それはね...」といって
きちんと答えてくれる、ということだ。

これは、会議参加者が背景やそれまでの経緯を共有していない(ローコンテクスト)
ことに対して寛容だ、ということで、ローコンテクスト社会であればこそ、
という感じがする。

私は、こういった点に関しても中国は日本よりもアメリカにずっと近いと思う。
少なくとも仕事上においては、変な質問をされること対して中国も寛容なのだ。

ちょっといい例が思いつかないが、他部署もしくは他社とのMTGで、

「ここでこれ聞くか? この仕事しててこんなことも知らないのか?」

と思われる発言が出ても、他の出席者は軽蔑の色を浮かべるでもなく普通に淡々と
話をつづける、という場面に何度も遭遇している。

中国もアメリカ同様「ローコンテクスト的な環境に対しても寛容」なのであろう。

というか、日本が「非寛容」過ぎる、というほうが正しいのかもしれない。

以前ここに「中国語は日本語と英語の間」というのを書いたことがあるのだが、
今回のコンテクストとかいう側面から考えても、

「中国語(の話される環境)はは日本語(の環境)と英語(の環境)の間」

ということができるのではないだろうか。

2012年9月15日土曜日

ハイコンテクストとローコンテクスト (2)

この、ハイコンテクストとローコンテクストの比較の中でよく語られることに、


■日本語(の話される環境)はハイコンテクストだから多くを話さなくても通じる
■英語(の話される環境)はローコンテクストで何でも言葉にするから話す量が多い

というのがある。

だが、このロジックは、中国では成り立たないように思われる。

中国には無口な人はいない、と思われるぐらい中国の人はみんなよくしゃべる。
仕事のMTGでも、とにかくしゃべり続ける人が多い。

やはり、人口が多くて弱肉強食で競争が激しい環境だと、
「いかに自分を主張するか」が重要なので、「相手に時間を与えないぐらい
話し続ける才能」が淘汰されずに残ったから、なのだろうか。

※日本でも時々「相手に話させずに話し続ける才能」を持った人がいるが、
一般的に周りの人の評判はあまりよくないように思われる。

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話はちょっとずれるが...

中国の日常生活(仕事ではなく、買い物とか、レストランとか)で常々感じることは
「遠慮したら負け」と「主張しないものは決して得られない」。

「主張しないものは決して得られない」は欧米も同じだが、
「遠慮したら負け」は欧米とはかなり異なるように思われる。

UKでは、見るからに労働者階級のお兄ちゃんでも、公共の場所での礼儀は
きちんとしていて、「お先にどうぞ」という譲り合いが当然のように
行われる(もちろん例外はたくさんあるが)。

だが、上海でそういうことをやるのは欧米人だけだ(もちろん例外はたくさんある)。

※もちろんUKでも仕事とかでは「遠慮したら負け」という部分は当然あるのだが、
いまは、あくまで日常生活上の話である。

※一方、中国人も友達など知ってる人に対してはある意味欧米以上に
「お先にどうぞ」という態度になる。

なんかこう、マクドナルドでハンバーガーを買うのにも
「人を押しのけないと買えない」のである。並んでいても、
後ろから来た人が次から次へと前に割り込んでくるので、
永久にカウンターに到達できない。

仕方なく後ろから来た人をスクリーンアウトして横入りされないようにする。

しかも、そうしてようやくカウンターの前に来ても、
ちょっと隙を見せると後ろから大声で注文されたりする。
マックの店員も、それに対して「あなたは次だから、ちょっと待て」とも言わず
だまって注文を受けてしまったりする。

だから、カウンターに来た瞬間に注文できるように準備もしないといけない。

ハンバーガーを受け取るころには、もうへとへとに疲れてしまっている。

こういう世界で生まれて育ったら誰でも、生きていくために適応して
混んでいるマックでも、頑張らずに買い物できるんだろうな、と思う。


たまに「ちゃんと並んでる人がいるなー」と思ってみてみると必ず外国人だし。
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まったくコンテクストとは関係ない話をたくさん書いてしまった。

中国語(の話される環境)がハイコンテクストなのは確かだと思う。
日本語ほどではないが、日常会話ではいろんな要素が省略されることも多いし。

また、似た発音の単語が非常にたくさんあるのに、それを正確に聞き分けられるのは、
文脈(コンテクスト)の助けがあるからこそだと思う。

しかし、そのことと実際に話す量が多いかどうかは必ずしも関係はないと思う。
人間は「必要最低限なことだけ話す」わけではないのだから。

2012年9月8日土曜日

ハイコンテクストとローコンテクスト (1)

よく言われることに、日本語(の話される環境)はハイコンテクストで、
英語(の話される環境)はローコンテクスト、というのがある。

コミュニケーションにおいて、言語そのものにどのぐらい依存するか、
という感じだろうか。

日本では話された文自体とともに、話された状況(コンテクスト)も
併せて聞き手は理解する必要がある。

■日本のレストランで「水がないんですけど」といえば、水を持ってきてくれる
■アメリカのレストランで同じことを言うと「...だから何?」と聞き返される

とかそういうことだ。



中国はどうかというと、日本並み(あるいは以上)にハイコンテクストなケースと、
そうでもないケースが混在している、ように思われる。

仕事での例なのだが、例えば提出されたレポートに対して、
「ここに書いてあるこの部分は、xxxという意味か?」
とメールで質問すると、それには答えずに「修正しました」と言って、
その部分を書き直したレポートを送ってきた人がいた。

私は「そこを直せ」という意図を持って質問したわけではもちろんなくて、
単純に質問しだだけだったのに。

それに対して、いきなり修正版レポートを送ってくるのは、
考えすぎ(ハイコンテクストすぎ)である。

こういうのは日本でもあまり起こらないケースだと思う。

一方で、その同じ人が、別のケースでは文字通り質問されたことに答えるだけ、
という場合もあるので、どういう基準なのかちょっとよくわからない。




もちろん、これは私個人、あるいはその人個人の性格に依存する部分が大きいので、
いきなり「だから中国は」みたいな話に拡大するつもりもないのだが、
結構ギャップを感じるのは確かである。

ちょっと気になるのは、これが日本とか中国とかあんまり関係なくて、
単なる年代ギャップ(私は40代後半、その人は30ぐらい)なのかも、ということだ。

つまり「結局私が年取っただけってことじゃないのか」という懸念が拭えないが、
この辺は、いつか日本に戻って仕事する機会があるときに確かめてみるしかない。

2012年9月1日土曜日

台風

もう1ヶ月近く前の話だが、台風11号が上海を直撃した。

もう5年上海に住んでいるが、台風がほぼ真西に進んできて、
上海に来たのは初めてのことだと思う。

たいていは、台湾付近を通って北よりに進む。

上陸するとしても福建省あるいは浙江省あたりで、
そこから北上して近づいてくるので、上海に来たころには、
勢いはずいぶん弱まっている。

今回は海からいきなり上陸するコースで、勢力を保ったままやってきたので、
雨も風も強いことが予想された。

気象局は前の日の夜から「オレンジ色警報」をだし、
うちの会社は火曜の夕方に次のような指示が出た。

---注---
日本は「注意報」「警報」というように名称で区別するが、中国は色で表し、
青、黄色、オレンジ色、赤、という順番で深刻さの度合いが増す。
---------

「水曜は警報情報をチェックし、オレンジ色以上の警報が出ていたら出社せず
 自宅など安全な場所で待機してください」
「警報が解除されたら、2時間以内に出社してください」
「ただし、解除されたのが15時以降だったら来なくていいです」

えっ、と思って上海気象局のWebサイトを見に行ったら、
繋がらなかった。きっと上海中の人がアクセスしてパンクしてたのであろう。

この「待機指示」は(強制力は不明だが)上海政府からのものだったようである。

ちょっと前に北京で史上最大の降雨があって、洪水で被害が出たこともあり、
上海政府も慎重に対処したものと思われる。

しかし「警報解除後2時間で出社しろ」というのは、
警報解除を誰かが電話で教えてくれるわけじゃないので、結構厳しい要求である。

■上海テレビが画面の右下に警報通知をだしているのをずっと見続ける
■天気情報のWebサイト(気象局以外の天気サイトも警報情報はだしている)を
チェックし続ける

などしていないと、情報を得る手段がない。

朝は通常出社同様に起床して警報チェックしないと遅刻になっちゃうかもしれない。
(会社の場所にもよるが、1時間以上かけて通っている人は結構いる)

朝警報を見て出社不要だったとしても、そこでまた寝てしまったりしたら、
もし直後に警報解除された場合「2時間以内」に出社できなくなってしまう。
----

水曜は結局休みになり、警報が解除されたのは木曜の朝5時ごろだったそうだが、
やはりというか、寝過ごして遅刻して半休を取る羽目に陥ってしまった人がいた。

この「朝の5時ごろ警報を解除する」というのも、なんというか、
また会社休みにして(あるいは遅刻を容認して)経済への影響を与えることと、
台風被害を出さないこととの妥協で決められた、という感じもする。

もちろん、それが良くない、ということではないのだが。

2012年8月25日土曜日

吓死我了

会社の帰り、ある人の車に何人かで同乗させてもらうことになった。

出発しようとした瞬間、前に座っていた女性が突然、
 「あ、xxさんがいない!」
と言いだした。

本当ならxxさんも一緒にこの車に乗るはずだったということらしい。

その後、別の男性が、
「xxさんは乗れなくなった、って言ってたよ」
といって一件落着したのだが、その後その女性は思わずこう言った。

"吓死我了"

直訳すると「あー、びっくりした」というところか。

この場合この訳を使うのがふさわしいかは若干微妙かもしれないが。
「あー、どうなるかと思った」とかのほうがよいかも?
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このような、"(なんとか)死了"または"(なんとか)死我了"という言い回しは、
日常会話ではとてもよく使われるし、町を歩いていてもよく聞こえてくる。

"笑死了"   すごくおかしい、超笑える
"烦死了"   超面倒、すげーうざい
"气死我了"  超頭にくる
 
もともとは日本語で言うところの「死ぬほどおかしい」とかに
相当すると思われるが、日本語ではもう「死ぬほど」という表現は
あまり使われないから、 やはり「すごく」とか「超」という感じになる。

また、この"(なんとか)死了"は比較的若い人しか使っていないような気がする。

それほど若者言葉という感じでもないが、
少なくとも非常にくだけた表現だとは思われるので、
学生とかはともかく、社会人が会社であんまり使わないほうが無難かもしれない。




2012年8月15日水曜日

CCTV5でみたオリンピックのサッカー日韓戦(4)

なんてことを考えながら画面を見てみると、もう前半も20分を過ぎている。

「うわー、結構時間が経つのは速いなあ」

と思って時計を見たら、まだ4:55だった。

なんと、いきなり試合時間を10分も端折られている!

そりゃあ、ちょっと膠着した試合展開でつまらなかったかもしれないけどさ、
45分しかないのに10分も切らなくても...
こんな、だれも見ないような夜中の時間ににやっているのに...

なんか、どんどんテンションが下がっていった。

試合内容に対してのコメントは溢れているのであえて書かないが、
下がったテンションを、試合内容で持ち上げることはできなかった。
とてもとても残念だが。

結局、前半終了したのが大体5:15分だったので、15分ほど切られていたと
思われる。そこからまた広告が15分延々と続いて、
後半が始まったのが5:30頃で、内容はやはり15分ほど切られていた。

後半、扇原選手に代わって山村選手がピッチに入ったとき、
中国の実況アナウンサーが、
「所属チームの鹿島でのポジションよりひとつ前に入りました」
というようなことを言っていて、それなりに調べているんだなあ、と思った。

さすがに「元々ボランチだから、どっちかというと鹿島での
ポジションがひとつ後ろなのだ」というところまではわからなかったようだが。

あと、韓国が先制したあと「まだ時間はあります」みたいなことを
いっていて、これが中立的な立場からの発言なのか、
あるいは若干日本よりの立場で言っていたのかよくわからなかったのが残念だった。

日中韓の関係は、複雑である。それだけ密接だ、ということでもあるのだが。

とにかく、中国語のスポーツ実況を理解するのは難しい。

日本の試合は日本語の実況で見るに限る。


2012年8月14日火曜日

CCTV5でみたオリンピックのサッカー日韓戦(3)

ようやく試合が始まったので、気を取り直して見ることにした。

この試合は解説者はいなくて、実況アナウンサー1人で放送している。

どうも口頭で両チームのメンバー紹介をしているようだ。

「マーイエ」って誰かな? ああ、吉田麻也選手か。
「ホンシュー」は?  酒井宏樹選手だ。

大半は聞き取れなかった。
そもそも、扇原選手の「扇」や、山口選手の「蛍」はピンインがわからないし。

日本人選手はまだわかる部分があるが、韓国人選手の紹介は全然わからなかった。

日本では、韓国人選手の名前は漢字でなく現地読みのカタカナ表記なので、
「ク・ジャチョル選手」というように書くわけだが、
中国では彼らの名前を漢字表記したうえで中国語読みするので、
そもそも漢字表記がわからないければ、なにがなんだかわからない。

逆に、たとえば日本のオリンピック放送を見ていると、

女子卓球の試合とかで、アナウンサーが、
「福原の相手はテイネイ選手」
と言っているが画面はピンインアルファベット表記だから"DING"とか
書いてあったりするので、「結局なんていう漢字なのだろう」
というのがわからなくてちょっとイライラする。

なんかこう、やっぱりCCTVでこうしてサッカー見ても、
いまいち没入できないなあ、と思った。

2012年8月13日月曜日

CCTV5でみたオリンピックのサッカー日韓戦(2)

朝4:30というのは、ちょうどロンドンが夜中になって、
その日の競技が終了した時間帯である。

4:00に目覚ましをセットしてテレビをつけたところ、陸上競技をやっていた。

陸上競技のことを中国語では"田径"という。
なんか田んぼをイメージしてしまってスポーツという感じがしないけれども。

男子の1600メートルリレーが終わって、4:30ごろに陸上の放送は終了した。

関係ないが、リレーの南アフリカの選手の中に、
オリンピック前から話題になっていた両足義足の選手がいた。

走っている姿は、違和感があったというか、異彩を放っていたというか。

20年後のオリンピックには、
「早く走るためにわざわざ自分の足を切って義足にした」
選手ばっかりになるんじゃないか、と思ったりした。

なんか、まんま攻殻機動隊みたいだが。

よし、陸上が終わったからサッカーが始まるか、と思って待っていたのだが、
5分経っても10分経っても広告ばかりで全く始まらない。

しかも数種類の同じ広告が繰り返されているだけなので、
みていて超つまらない。

広告に出ているのは、おなじみのスポーツ選手たちばかりである。

全仏テニス女子で勝った李娜
110メートルハードルの刘翔
男子バドミントンの林丹

彼らは別にオリンピック期間じゃなくても頻繁に広告に登場するのだが、
こうして10分以上延々と連続してみさせられると、さすがにうんざりしてくる。

まあ、別に彼ら自身のせいでは全然ないのだが。

やっとサッカー放送が始まったのは4:45ごろだった。


2012年8月12日日曜日

CCTV5でみたオリンピックのサッカー日韓戦(1)

今回はちょっと時事ネタで。

先週からロンドンオリンピックやっているが、こういう大イベントのとき
海外にいると見たいものが見られなくてちょっと困る。

NHKはオリンピックの放映権を持っているが、それはあくまで日本国内向けで、
たとえば中国で見られる「NHKワールド」では放送できない。

だから、基本的に中国国内の放送局が放映するものをみることになる。

※これは「一般的には」で、実は中国では日本の放送が見られる場合はある。

中国中央テレビ(CCTV)はたくさんチャンネルを持っているが、
そのなかで、CCTV5はスポーツ専門チャンネルで、
いまは24時間オリンピックばかり放送している。

そのほかに、NHKでいえば総合にあたるCCTV1もプライムタイムは、
オリンピックを放送している。

中国は取得メダルとかも多く、その分参加している競技も多い。

なので、まあ当たり前だが、基本的に中国選手の出ている種目ばかり放映する。

ただ、バスケットとか、サッカーとか、中国が参加していない、もしくは
参加していてもメダルを取るほどではないが、中国での人気が高いスポーツは
他国同士の試合でも放映される傾向にある。

昨日の夜中のサッカーの銅メダルをかけた日韓戦はどうしても
みたかったので、ネットでCCTV5の番組表をしらべてみたところ、
生放送ではなかったものの、中国時間の朝4:30からやるということだったので、
頑張って起きてテレビをつけてみた。

2012年8月1日水曜日

読書 三国演义 青少美絵本 (9)


読み始めたときは全然わからなくてどうなるかと思ったが、やっと読み終わった。
本当に長かった。

三国志のあらすじとか、赤壁の戦いとは何かとか、
いろいろとわかったのはよかった。

もうひとつ「なるほどー」と納得したことがある。

日本から上海に赴任してきて、結構びっくりしたことは、
「会社のハンコの重要性」である。

日本もハンコ社会で、何かというとハンコを使うのだが、
それはあくまで個人の話である。

日本でも会社のハンコ(社印)は登記とかのために重要だが、
いちサラリーマンが「この書類に社印をもらう」というケースは少ない。

でも、中国で働いていると、何かと社印を押す必要のある場面に遭遇する。

会社同士の契約書なんかの場合は、
「社印が押してありさえすれば、署名がなくとも法的には有効」
なのだそうだ。

だから、社印はかなり厳重に管理され、
社印を押すための決済申請、という手続きがあって、
偉い人の承認をもらってからでないと書類に社印を押すことはできない。


三国志を読むと、実は当時からハンコというのは、
「権力の象徴」という側面をもっていることがわかる。

「このハンコを持っている」即ち「この地位についている」

ということだ。だから、「あなたをこの役目に任命します」というとき、
そのためのハンコを渡す。



日本でのハンコの意義はAuthentification、つまり、
はんこを押すのは他の誰でもなくその人(会社)です、という感じする。

一方、中国ではハンコは権力の象徴なので、それを押すということは、
「このハンコが持つ立場として承認してるんです」
という意味合いがより強いように思われる。






2012年7月27日金曜日

読書 三国演义 青少美絵本 (8)

諸葛孔明のおかげで劉備も勢力が拡大する一方、
曹操は漢の王室を追放して自分が皇帝になって魏の国とし、
劉備も蜀の皇帝を名乗り、呉とともに三国が並び立つ状態になる。

しかし、後半になると有力な登場人物が年をとっていくこともあり、
次々と死んでいくので、物語としては勢いを失っていく。


主要登場人物のなかで、諸葛孔明は最後まで生き残り、
劉備の意思に基づいて、 魏の国に対して戦争を仕掛けていく。


最後のほうは、諸葛孔明も超人ではなく、とても優秀ではあるが、
普通の人間に戻っているので、敵方の優秀な人(魏の司馬懿)との
対等な戦いとなり、一進一退の状況の中で、病死してしまう。



諸葛孔明亡き後、魏は蜀の皇帝である劉備の子供を投降させ、蜀は滅びた。

その後、司馬懿の子供が曹操の子供を追い払って晋の国として皇帝となり、
魏の国も滅びた。

残っていた呉の皇帝も晋に投降して、三国の時代は終了して晋が統一し、
中国に新しい時代が訪れた。
----

どこでもそうだろうが、皇帝の2代目は初代より能力が劣るし、
三国が並び立つ状態が続いて、局所的に戦争を続けているものの、
2代目皇帝は戦争の現場には関与せずに貴族化してしまっていた、
ということなのだろう。

諸葛孔明が死んでからは「話としてつじつまを合わせた」という感じで、
あっという間に終了した。

2012年7月22日日曜日

読書 三国演义 青少美絵本 (7)

100ページを越えたあたりでようやく諸葛孔明が登場する。

劉備のいわゆる「三顧の礼」で、諸葛孔明は劉備の軍師というか、
参謀になることを承諾する。

しかし、なぜ日本では諸葛孔明が通称になっているのか?

諸葛孔明の姓は諸葛、名は亮、字は孔明
劉備の姓は劉、名は備、字は玄徳
関羽の姓は関、名は羽、字は雲長

中国人は通常「諸葛亮」というように言及する。
他の人物も基本的に姓名で呼ぶ。

日本も他の人物は姓名で呼ぶのに、諸葛孔明だけなぜか字で呼ばれているのは、
本当に不思議だ。

さて、諸葛孔明が登場してからは、主役は一気に孔明に移り、
常人とは思われない能力を発揮して、 劉備の勢力を拡大していく。

赤壁のところで、曹操からうまく矢を回収するくだりなんかは、
 「いくら頭がいいからって、三日後の天気を正確に予測して、
しかもそれに命を賭けるってどういうこと?」


あと、中国語の勉強しているときに出てきた、
「只欠东风」
 という諸葛孔明の台詞もあった。

これも、諸葛孔明の思惑とおり東風が吹いてくるわけである。

架空の人物としか思われないリアリティのなさであるが、
ドラマの登場人物としては、これぐらいじゃないとインパクトがないのかも。

2012年7月17日火曜日

読書 三国演义 青少美絵本 (6)

あらすじ本的だからかもしれないが、女性はほとんど登場しない。

劉備の奥さんはなかなかよい役回りで登場するが、ちらっと、という感じである。

もう一人、呂布が謀反を起こすきっかけを作る踊り子の女性はその回では
主役級の扱いとして登場する。

当時、まだ曹操がのし上がる前の漢の国の政府というか朝廷というかのなかで、
董卓という権力者がおり、呂布はその養子に入っていた。

ただ、董卓の悪政に対して将来に不安を持った部下の一人が踊り子の女性に、
「董卓を倒さなくてはならない。手伝ってくれ」
とお願いする。踊り子はその人に恩があるので承諾する。

なにをやるかというと、董卓と呂布の両方を誘惑し、仲違いさせて、
呂布が董卓を殺すように仕向けるのである。

もちろんこの計画は成功した。

子供向けの本で、ほとんど唯一登場する女性がこの役割とはどうなんだろう、
とちょっと思った。
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子供向けとしてどうか、という意味では、
きっとこの本には書かれていない残酷な描写が元の本には
たくさんあるのであろう。

もちろん、この辺は日本の戦国時代の話も同様なのだろうが。



2012年7月12日木曜日

読書 三国演义 青少美絵本 (5)

劉備は"黄巾"の反乱を鎮圧して功をなした。
続いて曹操だとか、呂布だとかが登場してくることになる。

目次を読む限り、諸葛孔明の登場は100ページ近くで、まだまだ先が長く、
そこまでは、主に曹操がのし上がっていく過程である。

劉備は義理の人で信頼が厚いが、あまり欲がなく、ずるさみたいな部分に欠けるので、
諸葛孔明が味方につくまでは戦いに負けてしまうことも多く、あまりぱっとせず、
一時地盤を失って曹操のところに世話になったりする。


三国の残りの一つである呉(本の中では"東呉"と呼称されている)は、
地味で脇役的な扱いだが、孫権(のちにその子供)というリーダーのもと、
本の最初から最後まで安定した存在感を確保している。

この本はほとんどあらすじ本なので、あまりドラマチックな場面はないのだが、
曹操が戦いに負けて逃げるときに敵の大将に見つかるが、
なぜか本人だと思われなくて、
「曹操はどっちへ逃げた?」
「あっちです」
という危機一髪な場面はあったりする。

曹操は野心ばりばり、目的達成のためには味方も裏切る、
といった冷酷無比な感じで描かれる。

ただ、結局のところ、漢の皇帝から権力を奪い取ってしまうし、
三国の中では地盤的にも洛陽や長安といった当時の中国の中心を
もっているので、勢力としては一番な感じがする。

2012年7月9日月曜日

読書 三国演义 青少美絵本 (4)

いくら三国志を読んだことがないといっても、
名前を聞いたことがある登場人物ぐらいはいる。

劉備、曹操、諸葛孔明、関羽とか。

でも誰がどの国の人だとか、誰が敵で誰が味方だとか全然知らなかったし、
「項羽」も「劉邦」も漠然と三国志のひとなのかも、と思っていた
(中国の人と歴史の話をしなくて、本当によかった...)。

前回書いたように、最初は文章があまりに難しくて読み進めるのが
非常につらかったが、2ページ目で早くも劉備と関羽が出てきたときはほっとしたし、
文章解読の手がかりが(ほんの少しだが)増えた気がして嬉しかった。

話としては、まず漢の国が既にあり、支配層の腐敗が進んだことに不満がたまり、
"黄巾"とよばれる人たち(黄色いマフラーでも巻いていたのか?)が
反乱を起こすところから始まる。

なんか、この"黄巾"を立ち上げた人は、どこかの山で仙人に会って
予言された(というか、そそのかされた感じだが)のがこの反乱の
きっかけだったみたいである。

ここで劉備(漢の王室のちょっと血を引いているみたい)が登場し、関羽、張飛と
出会って漢の国を守るために"黄巾"をやっつけることで意気投合し、
桃園で義兄弟の誓いを交わす。

ここまでが第一回で、約5ページである。

たぶん、もともと長い話を5ページに短縮しているから当然なのだと思うが、
物語を進めるため以外の描写は一切なく、淡々と話が進んでいく。

「きっとあらすじ本というのはこういうもんなんだろうなあ」と思わせる内容である。

2012年7月4日水曜日

読書 三国演义 青少美絵本 (3)

ということで、読み始めてみたが、

「全然分からない...」

というのが正直な第一印象だった。

私は日本人で漢字が分かるので、たとえ現代中国語であまり使われない言葉が
出てきても、漢字から文章の意味は推定することができるし、
現代中国語を知らない分だけ、「現代中国語との違い」を意識できないのでは、
と思っていたが、かなり違う感じがする。

※逆に中国語の昔の単語で、現代中国語では消えているのに、
日本語のほうが温存されている、というケースがあるのも確かだと思うが、
やはり少数派である。

きっとこれでも現代の子供向けにかなり読みやすくしているはずと思うが、
なんというか、感覚的には日本で言うところの「現国と古文」の違いほどでは
ないにしても、その半分近くに相当する違いがあるような気がする。
(分かりにくい例えですみません...)

だから、そもそも普通に文章を読んでも理解率がとっても低い。

さらに、三国志だから地名も人名も大量に出てきて、これがまた厄介である。

■地名は現在の中国と異なるので、どこにあるか全然予想がつかないのと、
現在常用されていない漢字がたくさん使われている

■人名については(現代中国語の読書でも当初そうだったが)、
文の中でどれが人名なのか区別がつかない
(これは単純に読解力がないだけなのだが)

さらに人名は姓があって名があって字まであって覚えきれない上に、
同じ人がしばしば異なる呼称で言及されるので、
読んでいて誰が誰だかわからず混乱する

敵にも味方の両方に、同じ姓の登場人物が何人かいて区別がつかず、
いまどの国の話をしているのかわからなくなる

もし、仮に私に三国志の基礎知識があったら、
少なくとも人名や地名で苦労することはないのでずいぶん違ったと思うが、
最初の数十ページはかなり読み進むのがつらかった。

2012年6月29日金曜日

読書 三国演义 青少美絵本 (2)

まず、この本はいままで買った本に比べて値段が高い。

小説類はすべて15~20元程度なのに、これは40元ぐらい(39.8元)する。
ページ数も全部で370ページほどで、小説と大差ないのに。

しかも、青少年向けということだからか、数ページ毎に挿絵がある。

ちなみに、この「三国演义」は、「中国古典文学四大名著」シリーズの1つで、
他の3つとは、「水滸伝」「西遊記」「紅楼夢」だそうだ。

先日、中国語会話の先生に「四大名著」の話をちらっとしたら、
「私は紅楼夢が一番好きだ」と言っていた。
 先生は女性なので、戦うことを主眼とする他の3つは面白くないのかもしれない。
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さて、まずは「三国演义」の目次を見てみる。

「第一回   宴桃园豪杰结义 战黄巾刘备立功」から始まり、
「第六十四回 入西川二士争功 降孙皓三国归晋」で終わる。


「章」でも「節」でもなく「回」であるのが不思議である。
テレビドラマみたい。


第一回は9ページから始まり、第六十四回が終わるのは366ページ。

つまり、「一回」あたり6ページ弱、ってことだ。

特に外国語の本を読むとき、こういった章とかの単位が短いことは
読みやすさにとってとても重要である。


しかし、目次を見ただけで、内容の難しさが想像されるので、

「でも"刘备"っていう名前は聞いたことがあるぞ」
「確か台北の空港は" 桃园"とかいう名前だったけど、関係あるのかな」

などと、頭の中にある記憶を総動員して親しみやすさを演出してみる。

果たしてちゃんと読めるだろうか...

2012年6月25日月曜日

読書 三国演义 青少美絵本 (1)

日本では、三国志は名前を聞いたことがない人はいないぐらい有名であるが、
私にとっては「ちょっと気になってはいたけれども、
入っていきにくい世界」だった。

私が大学に行っていたのはもう25年ぐらい前だが、その時の同級生に
「吉川英治の三国志を全部読んだ」と豪語している人がいた。

本屋の文庫本コーナーに行けば必ず目にするので、その存在は知っていたのだが、
当時、それは本屋の棚の一段をまるまる占領するぐらい大量の巻があったように
記憶している(さっきwikipediaでみたら、実はたった10巻だったようだが)。

いくら面白くても、そんな全部で何冊あるか分からないぐらい大量の文庫本を
読むなんて、途方もないことに挑戦する気力はまったくなかったし、
当時私の興味は「中国よりアメリカ」だったので結局手をつけなかった。

それ以来、そのままになっていたのだが、中国に来てから、
三国志の話題がでることが多くなった。

ちなみに、三国志は本家中国でも同様に有名なのだが、必ず「三国演义」と言葉が
使われ、「三国志」や「三国志演义」という言い方は聞いたことがない。

日本のwikipediaによると、厳密な定義があるようだが、まあそれはそれとして、
中国で一般的にこの話題に触れるときは、「三国演义」と言ったほうが
通りがよいと思う。

中国語の勉強のときも、先生は「日本人もよく知っている中国の歴史」ということで、
三国志の登場人物とかの話をするときがある。

また、中国国内旅行する、というときも
「どこそこは三国志ゆかりの地で...」
みたいな話になることがある。

さらに、数年前「赤壁」という映画があったが、私はそれが三国志と関係あるとは、
中国語学校の先生に聞くまで全然知らなくて、かなり恥ずかしかった。

というようなことがあったせいで、

「せっかく中国にいるんだし、三国志を読もう。大人向けは難しすぎだろうし、
しかも長すぎるだろうから、簡単な子供向けの」

とずーっと思っていたのだが、先日いつもの中山公園駅の近くにある本屋の
児童向け本コーナーで、ついに購入してしまった。

2012年6月22日金曜日

"あー?"

ほんのちょっとしたことなのだが...

例えば、相手の声が小さかったり、周りがうるさかったりで
よく聞こえなかったとき、日本語だと"えっ?"というように聞き返す。

中国の人はこういうとき"あー?"という。
携帯で話している人が多いこともあって、
外を歩いたり乗り物に乗ったりしていると、頻繁にこの"あー?"を聞く。

文章だとうまく伝わらないのだが、この"あー?"は、
日本では(かつての)不良学生だとか、あるタイプの方々が
「なんだよ、文句あんのか」
という意味で発する"あー?"と100%おなじトーンなのである。

中国の人と話していて、面と向かっていきなりこの"あー?"を言われた日本人は、
気の弱い人は萎縮するだろうし、気の強い人はけんか腰になってしまうだろう。

私の場合、中国語をあまり話さないこともあって、
直接自分に向かってこの言葉を言われたことは少ないのだが、
それでも例えばタクシーで行き先を告げたときなどに、
運転手からこういう反応を受けることがあり、頭では
「これはそういう意味ではなくて単に聞き返してるだけなんだ」
と分かっていても、動揺は抑えられない。

習慣の違いというは、ときにやっかいなものであり、
背景や意味を正しく理解することによってのみ(理性を使って初めて)、
乗り越えることができる、と思う。

2012年6月19日火曜日

新HSK(31) 高級 結果

まだ試験日(5/20)から30日経っていないが、今日(6/18)試しにHSKサイトを
確認してみたら、もう結果が出ていた。
さすがに、試験受ける人が少ないだけのことはある。

以前書いたように、試験当日の印象があまりに悪かったため、
全く期待はしていなくて「あれで何点なのだろうか」という興味しか
なかったのだが、結果はなんと63点で合格。



とはいえ、「わーうれしい」という感じでもなく、心境はかなり複雑なものがある。

自分では「まあ50点ぐらいかなあ」と思っていたので、
結果を見て「いったいどう採点をすれば63点がつくのだろう」という
採点方法への疑問が、前にも増して大きくなっている。

まともに答えられなかった私がこの点数ということは、
きっと他に受けた6人は全員合格しているに違いない。

もう当分試験勉強しなくてよい、という開放感から、
この1ヶ月間すっかりHSKのことは忘れていたのだが、
試験のときの状況を思い出し、無理やり分析をしてみよう。

点数配分予想は、前に書いた(ケース2)を前提として、
63点になるような採点を逆に考えてみる。

※点数配分はあくまで予想です。

"听后复述"は、3問中3問とも結論が全く理解できなかったが、
多少部分点がもらえていたとして、
8/15点、7/15点、6/15点ぐらいで、合計21/45点。

"朗読"は、まあそれなりの点数はついているであろう。12/15点ぐらい。

"回答問題"は、15点、15点、といったところで、合計30/40点。

これで一応63点になる。こんな感じだろうか。


"回答問題"は六級の作文のときと同様「内容は稚拙でもよいから、
とにかく構成だけは整えて時間内に終わらせること」が最も大切なのだと思う。
これは、多少練習すればすぐ慣れる。

作文と違って通勤途中でも、お風呂の中でも、お茶飲んでるときでも練習できる。
一回練習したって3分以内に終わるから、やる気だけの問題である。

まずは合格を目指す、という状況の場合、問題集の模範解答みたいな立派な回答は、
あくまで高得点を目指す人のためのもので、「いまの自分には関係ない」と
割り切る気持ちが必要であろう。

"朗読"も、単調にならないように注意しつつ「とにかく時間内に
全部読みきること」が重要なのだと思う。ピンインや声調間違いのせいで
速度が落ちたり止まったりしないように、「多少の間違いは当然」ぐらいの
心構えを持ったほうがよさそうである。

具体的には、私の場合、"听后复述"あとの十分間の準備時間の半分ぐらいを
"朗読"準備に費やした。

読み方のわからない漢字にはピンインと声調を推測して書き込むとか、
ある程度わかっている漢字でも、できるだけ声調だけでも書き込むことで、
読む2分間は読むことだけに集中するためである。

練習のときによくあった、読んでいる最中に迷って時間を無駄にする、
ことを出来る限り避けたかった。

時間内に読む、ということに関しては、このやり方は成功したと思う。

"听后复述"は、ストーリー全体が理解できなくても、聞き取れたところだけ話せば
部分点は獲得できる感じなので、わからないところが多くてもあきらめず、
分かったところだけでもとにかくがんばって話す、ことが大切だと思う。
----

ということで、六級も高級もかなり心残りはあるものの、
新HSKはこれでいちおう終了ということになった。

2012年6月15日金曜日

"斯诺克"(スヌーカー)" 後半

CCTV5でやっていたスヌーカーを見て、
UK時代を思い出して懐かしくなっていたところ、
若干「ちょっと違うなあ」ということに気がついた。

中国人と思われる選手がイギリス人選手と試合をしていたのだ。

まあ、だからCCTV5が放送していたのか、とある意味納得がいったのだが、
それにしても中国人選手がスヌーカーをやるとは。

スヌーカーをご存じない方は、よくわからないかもしれないが、
これはきわめてイギリス人向きのスポーツである。

どうしてかというと、スヌーカーは自分が玉を入れる、という目的を遂げるため、
「いかに相手を邪魔するか(それによって次に自分を有利にする)」が勝負の鍵で、
もちろん玉を突く技術は非常に高いものが要求されるものの、
それが同等レベルなら「うまく相手を邪魔できたほうが勝つ」、
つまり、言ってみれば陰険さを競うスポーツだといってもよい。

※わかりやすくしているだけで、悪口ではありません、念のため。

イギリス人以外がこんなスポーツを好きになることはないと思っていた。

中国人は、イギリス的(スヌーカーみたいな陰険さ比べ)ではなく、
アメリカ的(豪快に玉を突くビリヤード)だと思うのだが。

ただ、スヌーカーも、この相手を邪魔する陰険さ比べが終わると、
玉を自由にコントロールする高い技術を駆使して、
台の上にあるたくさんの玉を次々にポケットに入れていく段階に入り、
「いったいどの玉をどういう順番で入れていくんだろう」
という我々素人の疑問を、選手がまるでパズルを解くがごとく解決していくのは、
見ていて 気持ちがよい。


実際は、かなり強い中国人選手もいるみたいだし、
UKで行われている大会なのに、イギリス人選手のユニフォーム
(といってもジャケットのない3ピーススーツみたいな洋服)の
胸のところに中国企業の広告がいくつも縫い付けられているところを見ると、
中国でのスヌーカー人気は、かなりありそうである。

2012年6月12日火曜日

"斯诺克"(スヌーカー)" 前半

十数年前、UKに4年ほど住んでいたことがある。

UK発祥のスポーツで、世界に広まったものはたくさんある。
サッカー、ラグビー、テニス、ゴルフとか。

でも、UKでしかやられていないスポーツもたくさんある。
クリケット(野球の元になったもの)が代表的なもので、
これはUKだけでなく旧植民地であるインドやパキスタンでも盛んである。

 もっとマイナーなものもある。たとえば「ボーリング」。

「ボーリングって他の国でもメジャーじゃん」

と思うかもしれないが、そのボーリングはUKでは「10ピンボーリング」という。

UKで「ボーリング」と呼ばれるのは別の競技で、
内容は一言でいうと「芝生の上で丸いボールを使って行うカーリング」 。

芝生なのでカーリングみたいにブラシ(?)で掃いたりできないが、
それを除くと、ほとんどカーリングである。


このボーリングは実際どのぐらいUKで盛んなのかよくわからないが、
少なくとも当時はテレビで結構放送されていた。


UKだけで盛んなスポーツはもうひとつある。それはスヌーカー(snooker)。


スヌーカーというのは、ビリヤードに似たスポーツだが、
台がビリヤードよりかなり大きく、さらに一つ一つの玉のサイズが小さいため、
技術的な難易度はかなり高いように思われる。

ビリヤードと違って、スヌーカーは日本では全くメジャーではない。

UKでのスヌーカーは、クリケットほどではないが、
ボーリングよりずっとメジャーで、年中テレビで大会をやっている。

当時、UKでスヌーカーの大会をテレビでよく見ていたが、
出ている人はイギリス人ばかりだった。

中国に来て驚いたのは、CCTV5(中国中央テレビのスポーツ専門チャンネル)で、
UKと同じぐらい頻繁にスヌーカーを放送していたことだった。

2012年6月8日金曜日

疑問文への答え方

例えば、"你是日本人吗?"という文であれば、回答は"是"であることは分かる。

たぶん意味的に言うと、"是"は英語で言うところの"Yes"に相当するような気もするが、
文法的には"是"は英語のbe動詞のようなものだから、
"Yes, it is"のisだけでYesを含めた全体を表しているような感じがする。


では、"昨天你看他吗?"でも、"是"なのか?

この場合は、"是"ではなく、"看了"と答えることになる。
先ほど同様"Yes, I saw him"の"saw"つまり"看了"でYesの意味も含んでいる。


さらに、"原宿在东京吗?"であればどう答えるか?

なんとなくだが、この場合は"在"でも"是"でも"対"でも答えとし
て成り立つように思われる。
実際の会話の時に誰かにこう聞かれたら、たぶん私は"対的"と言ってしまうだろう。

「原宿は東京にあるんですか?」「そうです」

みたいな感じで。

これは文法的にどうなのだろうか。

あまり自信がないので、こういった疑問文に答えるときは、
いまだに「これで本当にいいのか」という逡巡がある。


日本語も英語も、とにかく「はい」とか「Yes」と言えばとりあえず会話が成立するが、
中国語はそういう万能の言葉がないから困る。

2012年6月4日月曜日

再见瓜师

また、外来語、かつスポーツネタで申し訳ない。


今日たまたまCCTV5のスポーツニュースを見ていたら、
FCバルセロナのグアルディオラ監督辞任のニュースらしき画面とともに、

 "再见瓜师"

のタイトルが出ていた。

これは、どう見ても「グアルディオラ監督さようなら」という意味であろう。


毎度のことだが、通じればいいってもんでもないような...


続いてのニュースでは、中国サッカーリーグでのゴールシーンと
おぼしき映像とともに"里皮"の文字が現れ、
銀髪の監督がガッツポーズしていた。

そして、選手のユニフォームには"恒大"の文字が。

「えっ?あのリッピが中国リーグ(広州恒大)の監督してるの?」

本当に驚いた。

サッカーが好きな方なら良くご存知だと思うが、リッピといえば、
ユベントスや、イタリア代表チームを率いてきた超のつく大物監督である。

日本でもJリーグが始まったころは、ジーコを始め世界の有名選手が
たくさんきていたものだが、監督は、どちらかというと「今後有望な」タイプが
多かったし、リッピほどの超大物監督はいなかった。

いまのJリーグではなおさら、こんな大物の招聘は決してできないだろう。

もちろん、必ずしも大物監督が望ましいというわけではなく、
個人的には現在のJリーグの外国人監督のレベルは高いと思っているけれども、
少なくとも、中国の勢いというか、経済力を改めて思い知らされるのは確かだ。

そういえば、ドルトムントで活躍していたパラグアイ代表のバリオスも、
たしか 広州恒大に移籍したはず。


また、ACLで何年ぶりかに中国のチームが予選リーグを突破した
というニュースを見た気がするが、そのチームはたしか広州恒大だったはずだ。

リッピを招聘した効果は十分出ているように思う。

中国がサッカー大国になる日も、そう遠くないかもしれない。

2012年6月1日金曜日

マルとバツ

中国に来て「日本とこれは違う!」と思うことはいろいろあるが、
今日の話題はその中でも、個人的にかなりビックリしたものである。

テストの採点などの際、回答が合っている場合は「マルをつける」といい、
実際の答案用紙には「○」を書いて表す。

間違っている場合は「バツをつける」といい、
実際の答案用紙には「×」もしくは「チェックマーク(下記)」を書いて表す。






さて、中国ではどうなのか。

なんと、合っている回答には答案に「チェックマーク」をつけるのである。

同じマークが、日本とは全く逆の意味なのだ。
こういうのを「コペルニクス的転回」と呼ぶのかもしれない。

仕事していると採点でマルをつけたりする機会はあまりないので、
特に問題は生じないのだが、
日本から中国への留学生のかたや逆に中国から日本へ留学しているかたは、
まず最初にこれに面食らってカルチャーショックを感じるのではないだろうか。

ちなみに、中国でも間違っている場合は「×」をつけるので、こちらは同じである。

いちおう中国語の話もちょっと書いておくと、

・チェックマークをつける、は「画个勾」
・バツををつける、は「打个差」

だそうだ。

バツの方は差を使うあたり、いかにも「ダメ」な雰囲気が出ているように思われる。


2012年5月29日火曜日

"没问题"と"没关系" 補足

"没问题"について、前回書ききれなかったところをちょっと補足する。

中国語での"问题"には、日本語にはない意味がある。


説明やプレゼンなどを行った後よく言われる言葉に、

"有问题吗?"

がある。もちろん「問題ありますか」ではなく、
「質問ありますか」の意味である。

質問がない場合、この質問への回答は当然"没有问题"あるいは"没问题"となる。

つまり、 "没问题"は「問題ありません」ではなく、
「質問ありません」という意味を持つ場合があるのだ。

まあ確かに、プレゼンに問題がある(可能性がある)からこそ質問するんだ、
という見方もできる。

問題と質問というのは日本語的にはまったく別の概念のように思われるが、
実際は意味的に繋がりがあるんだ、ということを気づかせてくれる。

これは中国語に限らないが、外国語を勉強するときの面白さの一つは、
このような物事に対する認識の違いの発見を通じて、考え方というか、
文化の違いを多少なりとも理解するところにある、と思う。


2012年5月25日金曜日

新HSK(30) 高級 試験当日 4/4

いよいよ試験が始まった。

"听后复述"の1問目。

「一人の詩人が散歩していると、反対方向から、いつも彼を批判している批評家が
歩いてきた...」

おお、それなりにわかるかも。

と一瞬期待したのだが、その後の彼らのやり取りが聞き取れなかった。
なんか、批評家が何か言ったのに対して詩人がやり返したことと、
「譲る」というのがそのやり取りのキーワードで、最後に詩人が批評家に
「道を譲った」らしいことはおぼろげにわかったのだが...

2問目。

「教師が太陽を子供に教えるとき、赤い丸をかいて、その周りに点線を描くのが
普通ですが、ある有名な教師は子供に自由に太陽を描かせました。すると、
いろんな形で、いろんな色で太陽が表現されました...」

でも、結論わからず。

3問目。
「幸福の定義はいろいろです。ある人はxxxを幸福だといい、別の人は
xxxといいます。でも、幸福というのは心理状態ですから、人によって
千差万別です...」

やはり、結論わからず。

話す能力も足りないが、やはり聞き取る能力が絶対的に不足している。
ここまでわからないとは...


"朗読"はやっていた模擬試験に比べて比較的簡単で、
少なくとも2分以内に読むことは問題なかった。

いくらヘッドホンをしていても、回りの6人も同じ文章を呼んでいる声が
ある程度聞こえるので、仮に難しい文でもペースを保つことは
それなりにできるのでは、と思う。


最後の"回答問題"は、
「くじで500万RMBあたったらどう使いますか」
「 タバコを吸うと体に悪いとこれだけ言われているのに、
吸う人が多いことをどう思いますか?」

難しいというほどでもない問題なので、話すには話したのだが、
学校の先生に指摘されていた、
「例などを挙げることによる内容の豊富さ」
の部分は結局解決できずじまいだった。
----

というわけで、まあありていに言って全然な結果だったわけで、
結果がちっとも楽しみにできないのは残念だ。

とはいえ、全体からみると「もてる実力はそれなりに出した」と思うので、
結果の点数は「私の実力の点数」だと思う。

判っていたこととはいえ、やっぱり「まだまだ」だ。


2012年5月24日木曜日

新HSK(29) 高級 試験当日 3/4

KFCでゆっくりしていたら、時間がなくなってしまい、
試験時間の5分前に教室に入ると、すでに他の受験者はすべて着席していて、
係員の説明を受けているところだった。

「やはり全部で7人なんだな...」

入口で受験票とパスポートの確認を行うと、
「カバンとかはそっちの棚においてください」

口頭試験でのカンニングはちょっと難しそうに思うのだが、
今回はちょっと厳しめだ。

「ペットボトルの水もダメですか?」
「だめ。棚においてください」

「風邪引いてのどが痛いんだよ。水ぐらいいいじゃん」とは言えなかった。

この教室はいわゆる「LL教室」 みたいな感じで、各机にはマイクつき
ヘッドホンが備え付けてある。

声が回りに響かないように机の前と横にちょっとした壁もあり、
寝ていても先生には決してわからないつくりだ。

「あなたはD3の机に座ってください」

といわれ、席に着くいて周りを見渡すと、他の6人は全部若い。
大学生ぐらいだろうか。女の子が4人で、見た感じは韓国のひとのようだ。
 
さっきまで6人の試験生に試験説明をしていたおばさんが、
私のところに来て説明を始めた。

「まず名前を言うようにいわれますから、マイクに向かって言ってください...」

それが終わると機器のチェック。

「ちょっとしゃべってみてください」
「再生しますよ。自分が話した声は聞こえますか?」


私が遅れてきたせい、だけでもないと思うが、
 試験が始まったのは、もう16:40分近くだった。

2012年5月23日水曜日

新HSK(28) 高級 試験当日 2/4

ほぼきっちり1時間で赤峰路についた。

大規模ではないが、駅前の商店街は賑わっている。

まずは、大学に行ってどの建物かだけでも確認しないと。
交通大学みたいに、ばかでかいキャンパスだったら建物探すだけで大変だし。

駅から"中山北一路"を西のほうに歩いていくと、大学の入口はすぐ見つかった。
警備室があって警備員が立っているが、大学らしく出入りは自由である。

警備室の横に案内板があったので、そこで目当ての建物を探した。

単科大学だからか、キャンパスは広くないので、
試験会場の建物まで5分もかからなかった。

大学内で最初にすれ違ったカップルがNativeな日本語を
話していたことにビックリしたが、まあ大学だし、そのあと何人かの
欧米系の留学生らしき人が学生寮とおぼしき場所から
出てくるのを見たりしたので、もちろん日本人がいてもおかしくはない。

今回の会場は親切に「HSK試験会場入口はこちら」という看板(ホワイトボードに
紙を貼って作ったもの)を建物のところに準備してくれていたので、
これなら後から迷うことはない、ということを確認して、

駅前に戻ってKFCで試験時間を待つことにした。

いちおう、最後の勉強をしよう。

2012年5月22日火曜日

新HSK(27) 高級 試験当日 1/4

いよいよ当日(5/20)。

今日の会場は「上海財経大学」というところだ。
上海の中心部から北に行ったところで、地下鉄(軌道交通)3号線の
「赤峰路」の近くである。

試験でもなければ、こういったところに行く機会は決してないだろう。

家から行くと、地下鉄を乗り継いで1時間ほどかかる。

「まったく、たった30分の試験をうけるために、なぜ往復2時間もかけて
会場にいかなくちゃいけないのか?」

という気持ちがないでもないが、まあ仕方がない。

昨日(5/29)学校で受験票をプリントアウトしてもらったのだが、
受験番号は"00007"。

今回も学校に受験申し込みをしてもらったのだが、
私から頼むのが遅くなってしまったせいで、締め切り最終日ギリギリでの
申し込みだった。

「ということは、受けるのって7人しかいないのか...」

筆記の六級はあんなに人がいたのに、口頭試験に人気がないにもほどがあるんじゃ...


しかも、試験開始時間はなんと"16:30"。

「日曜の夕方かよ...」

別に用事があるわけじゃないけれども、午後でもいいから、
せめて早い時間にしてほしかった。

というわけで、今日は昼過ぎまで家でだらだらと(というほどでもないが、
家事みたいなことをしたりして勉強しなかった)過ごし、
行ったことのないところなので、超時間の余裕を見て14:00過ぎに家を出て、
赤峰路に向かった。

2012年5月21日月曜日

新HSK(26) 高級 試験前日 後半

今日(5/19)は学校に行って、試験前最後の練習(模擬試験)した。

やはり"听后复述"3問のうち、1問は内容が全然わからなかった。

また、1問は内容はわかったがうまく話せなかった。
その内容とは、誰でも知ってる"矛盾"の由来の話。

"この矛はどんな盾でも突き通す" の「突き通す」が出てこない。
というか、そもそも知らないし、聞いた文章でなんといっていたのかも覚えてない。

「突き通す」がわからなければ、話が続かない。

内容は完全にわかっているのに話せないというのは、とても悔しい。


"朗読"は内容が比較的易しかったせいで、珍しく2分以内で読めた。
ただもちろん読めない(ピンインと声調を正しく暗記していない)漢字が
たくさんあり、その部分はやはり先生に指摘された。


"回答問題"は、まあ何とか答えたのだが、先生からは、
「 もっと具体的なエピソードとかを追加するようにしてください」
「話す速度が遅いから、内容が少なくなっちゃうんですよね。
もっと速く話して内容を増やさないと」

と前日にもかかわらず厳しいお言葉をいただいた。

 結構ショックだったのは、授業が終わって帰り際に先生に
「運が良かったら合格できますかね」

 と聞いたら、

「運が良くて、 あと"回答問題"の内容を豊富にできれば」
といわれたことだ。

条件が多くて満足するのは無理かも。

同じ先生から、六級のときは「 まあだいじょぶでしょ」って感じで
いわれていたので、高級での合格はほとんど無理だと思ってるらしい。

まあ、実際そうだから文句も言えないけれども。

とりあえず、明日の運が良いことをまず祈ろう。

2012年5月20日日曜日

新HSK(25) 高級 試験前日 前半

いよいよ試験は明日(5/20)に迫った。

いきなり言い訳からになってしまうが、今週はいろいろあって、
あまり勉強ができなかった。

まず、月曜に会社支給のPCが新しくなった(といっても新品ではなく、
他の人が半年ほど使ったお古)関係で、家でもPCのセットアップの一部、
つまり、現PCから新PCへのファイルコピー作業を家でやった。


しかも、同じ月曜に会社支給の携帯も新しくなった(といってもこれもお古)。
いままで使っていたのは、いわゆるフィーチャーフォンだったのだが、
スマホ(Android)になった。恥ずかしながら、スマホを使うのは生まれて初めてだ。

SIMカードの入れ換えぐらいはできるが、問題は使い方だ。

画面ロックの解除の仕方もわからなければ、電話のかけ方もとり方もわからない。
電話帳データの移行はどうすれば?と同僚に聞いてみたものの、
誰も良くわからないようだったので、手作業で移行した。


中国は携帯からGooglePlayは使えないらしいが、
アプリはどこに探しに行けばよいのか?日本語入力は?

仕事時間にはできないから、家に帰ってからPCで調べていろいろやったものの、
なんかイマイチだ。

新しいPCのセットアップは(夜は遅かったが)月曜中に終わったのに、
スマホのセットアップはいまだに中途半端だ。

PC歴は25年程度あるが、スマホセットアップには何の役にも立たなかった。

「デジタルデバイド」という言葉の意味をはじめて実感したような気がする。

週の前半の夜はこれで時間をとられた。
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週の後半は、前回のHSK六級に引き続き、お約束のように風邪をひいた。
 
水曜に会社で、のどの違和感と若干の寒気を感じたことが始まりだった。
木曜には、のどが猛烈に痛くなった(でも熱はあまりなかった)。

薬を飲んで症状は改善して、今日(5/19)はのどの痛みはほとんどなくなったが、
鼻水 が出るようになってきた。また最悪の展開になりつつある。
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ただ、まあ口頭試験の良いところは、
30分ぐらいあれば模擬試験を一回やることができるところだ。

とりあえず、一日一回は模擬試験の練習をやれたので、
最低限の最低限、というところだろうか。


2012年5月17日木曜日

新HSK(24) 高級 点数の考え方 後半

各項目ごとの見込みはどうだろうか。

まず、"听后复述"。

一つ明らかなのは、"听后复述"の3問のうち、1問は(概要という意味での)内容を
正確に聞き取れない可能性が高い、ということだ。

笑い話のオチがわからない、とか内容自体が難しい、とか。

3問とも内容をわかった上で答えられれば、それはラッキーである。

概要が正しく聞き取れなければ、6割の部分点は達成できないと思われる。
つまり、貯金どころか、ここで少し借金を背負ってしまうことを
前提として戦略をたてなければならない、ということである。

先の(ケース2)を前提とした場合、目標点数としては
3問全体で25点(配分は11、9、5とか)ぐらいだろう。

仮に2問以上わからなければ、その時点で「残念でした、
やはり実力不足」とあきらめる。


続いて"朗读"。

模擬試験では、かならず読み方もしくは声調がわからない単語がいくつかあった。
さらに、2分以内に終わらせるために、やや速度を速める必要があり、
そうすると覚えている単語の声調も怪しくなる。

緩急つけるとか、文節の区切りを意識するとか努力して、
それがうまく行ったとしても、まあギリギリ6割というところだろう。

つまり、(ケース2)前提で9点である。



最後に"回答问题"。

ここまでの合計は34点。60点までには あと26点必要である。
計算から自動的に、一問あたり13点(65%)が目標になる。
----

まあ、この点数であれば、もちろん運に左右されるわけだが、
五分五分の勝負、という感じで希望が持てないわけではない。

点数配分も採点方法も全然わからないのにこんな皮算用してバカみたいだが、
いちおう気持ちを落ち着けることはできる。

気休めでもないよりはましである。


もうあと試験まで間がないわけだが、一夜漬け的に努力しても
報われる可能性が高いのは、"回答问题"だと思われる。

 "听后复述"も"朗读"も、聞き取れない、読めない単語が出てくるリスクを
コントロールできない。

その点 "回答问题"は問題文は答えるのが難しい哲学的な内容の場合があるにせよ、
「問題文の意味がわからない」可能性は低いので、練習を多くすれば、
定型パターンにはめるための引き出しを増やすことができるだろう。

最後の追い込みということで、モチベーションを切らさずにいきたい。

2012年5月15日火曜日

新HSK(23) 高級 点数の考え方 前半

模擬試験をある程度練習して、考えたことを書いてみる。

まず、前提として、合格ラインは100点中60点をとることである。

六級などの筆記の場合は、聞き取りが苦手だったにせよ、
読解など貯金できることを期待できたので、
苦手なところはその貯金を使い果たさないレベルを達成すればよかった。

つまり、苦手な聞き取りは6割以下がそもそもの目標だったわけである。

しかし"高級"の試験は、どこにも貯金は期待できない。
基本的には「すべての問題で6割を達成する」のを目標とし、
かつそれを達成する必要がある。

"高級"の試験項目はどれも苦手な中、かなりのプレッシャーである。

とはいえ、本当に「全部6割」が現実的な目標なのか?

これを検討するに当たっては、各問題が何点かを知る必要がある。


だが、模擬試験問題集とかを見てみても、点数の配分はどこにも書いていない。
全部で6問あって単純に割り切れないが、予想としてはこんな感じか。

(ケース1)
听后复述 10点x3問で30点
朗读   30点x1問で30点
回答问题 20点x2問で40点

(ケース2)
听后复述 15点x3問で45点
朗读   15点x1問で15点
回答问题 20点x2問で40点


(ケース3)
听后复述 15点x3問で45点
朗读   25点x1問で25点
回答问题 15点x2問で30点
----

もっとも穏便な(ケース2)を前提として、詳しく考えてみる。
単なる個人的な予想なので、念のため。

2012年5月13日日曜日

新HSK(22) 高級 試験全体

今回は、個々の部分ではなく、全体の流れについて書いてみる。

試験は音声が流れ、それに対して自分の声をマイクを通して録音する、
という形で行われるようである。

試験問題以前にも、
「あなたの名前は何ですか」
「あなたはどこの国の人ですか」
「試験番号は何番ですか」
という質問があり、口頭でマイクに向かって回答する必要がある。

名前は、日本語の名前を言えばいいのか? 
それとも名前の漢字を中国読みしたほうがいいのか?

とか思ってしまうが、まあこれは日本語の名前を言うべきだろう。

これが終わると"听后复述"が始まる。
3問連続でやると、全部で10分もかかっていないのに、
私はもうへとへとに疲れている。
もちろん、あまり聞き取れない中、がんばって内容を推測し、
それに基づいて文章を考えるのが非常に大変だからだ。

そのあと、"朗読"と"回答問題"の準備として10分間与えられる。
これは準備もそうだが、より重要なのは気持ちをリセットして
モチベーションを再度持ち直すことだ。

ただ、もし "听后复述"が全く答えられなかったりしたら、
合格の可能性も消えてしまうので、その時点でやる気はなくなってしまうだろう。
その意味で、"听后复述"をいかに頑張れるかが、まず大きなポイントである。

10分の準備期間の後は、"朗読"と"回答問題"がまた連続でやってくる。

 私の場合、読むのがゆっくりで"朗読"は常に時間ぎりぎりまでかかるので、
 終わった瞬間に"回答問題"の1問め、ということで息つく暇がない。

これが気持ちを落ち着かせられないまま "回答問題"に入る要因になっている。
ここできちんと気持ちを立て直せるかどうかも、大きなポイントである。

全体としては30分足らずの短い試験なので、うまくいかなかった問題を、
いかに後に引きずらないように、集中を維持できるかが重要だろう。
うまくいかない問題は必ずあるので。

言うは易し、ではあるが。

2012年5月10日木曜日

新HSK(21) 高級 回答问题

これは、問題用紙に質問が書いてあってそれに口頭で答えるわけだが、
出題は2問あり、中身はさまざまである。

「あなたの趣味は何ですか」
「ブランド商品は好きですか」

こういうのは比較的話す内容を思い浮かべやすい。
ただ、もちろん2分半の回答時間を埋めて、かつ話を終了させなくてはならないので、
きちんと構成は考える必要がある。

趣味の話は、終わらせ方が難しいと思う。

「子供のころから趣味は読書でした」
「こんな本が好きです。なぜかというと...」
「これからも読書を楽しみたいと思います」

なんか、 小学生の作文みたいでイマイチな気がするが、
他にどう終わらせればいいのだろう。

「 あなたもこの本を読んでみたらいかがですか」とか?

もっとイマイチな感じがする。

こういう問題がきたら無意味に悩みそうなので気をつけないといけない。


これに比べれば「ブランド商品」への回答は定番の構成に従えばよい。
「好きです。理由は2つあります」
「1つ目の理由は....」
「2つ目の理由は...」
「これらの理由で私はブランド商品が好きです」

内容は時間も踏まえて考える必要はあるが、少なくとも構成に悩むことはないので、
気は楽である。



「両親は子供に対して厳しくすべきですか、それとも優しくすべきですか」
「現代は痩せていることが美とされる時代ですが、それについてどう思いますか」

こういう、とっても深い質問もある。
まじめに答えて「一概にはなんとも言えない。なぜなら...」と
言いたくなってしまうが、そこをぐっとこらえて、
無理やり「定番の構成」に当てはまるような単純化した回答を考える。

なんか不本意だが、ただの中国語の能力を問う試験なのだから仕方がない。

模擬試験問題集には、これら質問への模範解答が載っているのだが、
私が決して使えないような成語を含む語彙を駆使して、構成もしっかりしている
本当に立派な回答が書いてある。

しかもえらい長文で、私が読んだら決して2分半以内には終わらないであろう。

これが100点だとすると、私の回答(子供みたいな文章で、
文法も発音もたくさん間違っている)は、いったい点数を取れるのか、と思う。


2012年5月5日土曜日

新HSK(20) 高級 朗读

朗読は文字通り朗読の試験である。

問題用紙に書いてある文章を朗読するだけ。

単純極まりない。

どのように採点されるのかよくわからないが、
まずはピンインと声調を正しく発音することが必要で、
さらに、文章の内容に応じて読み方を調節する。

句読点があるところはもちろん、ないところでも、
日本語で言うと文節の区切りのところで一呼吸おいたりする。

また、意味的に重要と思われる部分はゆっくりと強めに読む。

基本的なところは、日本語の文章を朗読するのと同様に思われる。

模擬試験の問題文をいくつか見てみると、
やはり中には私がぜんぜん読めない単語が一つ二つは必ず混じっている。

こういう場合は適当に読むか、最悪の場合は飛ばすとかすることになるが、
重要なのはそこで読むのを止めてしまったりして、流れを壊したりしないことだ。

これは朗読という観点からそのほうが望ましいというところはもちろんだが、
朗読する時間は2分と決まっていて、私の読む速度では、
油断してゆっくりしていると2分以内に読み終わらなくなってしまうからだ。

また、朗読の練習では学校の先生に声調の誤りをたくさん指摘されるのだが、
その大半は「単語で読めば正しく読める単語」であった。

 つまり「いくら読み方を知っている単語でも、文章の流れの中で読むと、
 声調を正しく言えない場合が多い」ということだ。

前後との関係でそうなってしまうのかもしれない。


先生に指摘されたのは「1声が2声や4声になることが多いですよ」だった。
1声は明確に1声として発音するように注意しなくてはならない。

まあ、実際は「声調をなんとなくしか覚えてなくて、これは1声だ、という
確信なしにあいまいに読んでるから」という部分も大きいのだが。

とはいっても、以前も何度も書いているように、声調の全暗記は私にとっては
途方もない作業で(覚えたつもりでも3秒たつと忘れるから)、非常に厳しい。

とにかく「朗読らしい流れ」だけは何とかできるようにしたい。



2012年5月2日水曜日

"没问题"と"没关系"

「没问题」は、英語のNo Problem、日本語の「問題ありません」に非常に近い。

日本語の「OK、問題ありません」を中国語で言う場合は、
「好的、没问题」という直訳ですむので簡単である。


これと似た言葉で中国語でとてもよく使われる言葉に「没关系」がある。

中国語の「关系」は日本語の「関係」の意味を持っている。
また日本語でいう「コネ」の意味も持っている。

「彼は若いのに偉くなったんだね」「"关系"があるからだよ」


ただ、「没关系」は単純に「関係ありません」という意味ではない。

「助けてもらってありがとうございました」に対して「没关系、应该的」
「ごめんなさい、ちょっと汚しちゃった」に対して「没关系、擦一下就好」

どういたしまして、とか、大丈夫です、とかのニュアンスになるだろうか。


また、こういう場合もある。

「これとあれとどっちがいいかなあ」に対して「没关系、都可以」

この場合は「どっちだって関係ねーよ」という感じの「関係ありません」であろう。



上海でゴルフに行ったときのことだ。

ついてくれるキャディーさんはとっても目がよくて、
たとえ天気が悪くてボールが見にくい場合でも、

「これはバンカー」「これはラフ」「池に入った」「OBかも。ちょっと危ない」

ティーショットを打ったその場で落下地点を的確に教えてくれる。

私はゴルフ歴は10年以上あるが、100を切れない下手なゴルファーであるため、
ティーショットがまっすぐ飛ばず、右へ左へ飛んでいく。

私        「いま打った球、大丈夫かなあ? 林に入っちゃった?」
キャディーさん 「没关系」
私        「...」

下手であるがゆえのひがみ根性というか、
「あんたみたいなスコアだったら、どっちだって関係ねーよ」と
言われた気がしてしまう。

もちろん実際は「大丈夫ですよ、2打目はちゃんと打てますよ」という意味なのだが、
こういう場合は、できれば「没关系」でなく「没问题」と言ってもらえると嬉しい。

2012年4月29日日曜日

新HSK(19) 高級 听后复述 後半


さらに問題によっては「これは記憶力を試す問題なのか?」という感じのものもある。


例えば問題文が「北京を紹介する文章」だった場合、

北京はxx年の歴史があり、現在の人口はxx人で、名所はどこで・・・

みたいな内容になるが、歴史と人口と名所は論理的なつながりのない
単なる羅列なので、覚える手がかりがなく「とにかく聞いたことを
全部記憶しておく」必要がある。

年をとって記憶力も悪くなっているからなのか、
集中力の欠如なのかよく分からないが、
全部覚えられなくて、最初と最後ぐらいしか回答できなかった。

学校の先生からは、

「できるだけメモを取ったほうがよいですよ」

とのアドバイスがあった。

試してみたが、書いてるときに聞いた部分がわからなくなったりしたので、
やはり練習して慣れることが必要であろう。


"听后复述"は3問あるが、模擬試験を2回やってみたところ両方とも、
先の笑い話みたいな物語風なものが1問、論述風なものが2問、
という構成だった。

問題はやはり、結局のところ聞き取り能力が絶対的に足りない、ということだ。
どの問題も100%理解できたものがなく、たいてい話の構成上重要なところで
わからない単語が出てきて、口述の文章が構成できなくなってしまっている。

わからなくてもハッタリで話す、ということも必要なのかもしれない。

いずれにせよ、見通しは非常に厳しい。


2012年4月26日木曜日

新HSK(18) 高級 听后复述 前半

高級口試の最初は"听后复述"である。

100文字強程度の文章が読まれ、それと同じ内容を口述する。
必ずしも聞いたのと100%同じ言葉を使う必要はないが、
意味を変えてはいけない。

口述のための時間は2分間で、終わる10秒前になると
音が鳴って教えてくれるそうである。

タイプとしては六級にあった作文と同じ感じである。
六級の作文は、読んだ文章と同じ内容を作文するものだったが、
こちらは聞いた文章と同じ内容を口述する、ものである。

これが3問ある。


話される文章の長さとしては六級の聞き取りの第一部分のような感じだが、
六級聞き取りは大意が分かればよくて、
しかも選択肢から答えを選べばよかったのと比べると、難度はかなり高い。

まだ問題をたくさんやったわけではないが、六級の聞き取りと比べると、
使われている単語も難しいものは少ないし、
話題も比較的分かりやすいものであるような気がする。

とは言っても、甘く見てはいけない。

学校でやった、最初の練習問題は、下記のようなものだった。

>>> ある女性が店から出てきたら、町中の人が注目して、ひそひそ話をしている。
>>> ほどなく、一人の老人が女性に「あなたの髪はカツラですか?」ときいた。
>>> 女性は恥ずかしそうに「ええ、そうです。でも店の人は、
>>> 見た目じゃ分からないと言ってたんだけど」
>>> 「普通は分からないと思います。でも値札がついてるんですよ」

という笑い話だ。


私は2つの単語を除いて聞き取れていた。
だが、聞き取れなかった2つの単語が致命的なものだった。

「かつら」  "假发"
「値札」    "商标"

正確にいうと、聞き取れなかったのではない。
"假发"と"商标"という言葉を、そもそも知らなかったのだ。

これらが分からないと、笑い話であることさえ分からなくて、内容なんて話せない。

この問題が普通の聞き取りの問題だったら、4つの選択肢を見て内容を推測できるので、
笑い話であることもたぶん分かるだろうし、正しく答えることができると思う。

口述試験であるがゆえ、聞き取りに要求される能力は六級の"听力"以上だと思う。

またまた、最初から先が思いやられる。

2012年4月21日土曜日

新HSK(17) 六級 作文の練習法

結果がギリギリだが合格点だったから、それなりに意味もあるかと思うので、
私がやった作文の勉強法を書いてみる。

といっても全く特別な話でもないし、あくまで
「時間内に400字書いて、かつ文章を完結させること」
だけにポイントを置いたやり方なので、追い込まれたときだけの方法といえる。

私は学校で作文練習しても時間内に終えられなくて内容も非常に悪かったので、
せっぱ詰まって、試験日2週間前から、「毎日ひとつ作文を書く」ことをやった。
毎日、といっても仕事が遅くなった日とか同僚と食事に行ったりする日は
できなかったので、実質やったのは10日ぐらいだっただろう。

課題文は、問題集をつかった。
以前学校で練習したことがあるものもあるし、そうでないものもあった。
一回やったものでも、作文に何書いたかなんて全く覚えていないし、
逆に同じ課題文を何度かやる方が練習にはなるかもしれない。

本番解答用紙みたいにちゃんとマス目があって400字が数えられる原稿用紙を使い、
本番同様に鉛筆(シャーペン)と消しゴムを使い、
かつちゃんと時間を計る。ただ、時間を計るのに私は時計でなく音楽を使った。

だいたい全部で40分ぐらいのInstrumental(Fusionというか)の
CD(から作成したMP3)を準備し、作文を書き始めるとともに再生を開始する。

そのCDは何度も聞いたことがある好きなCDなので、
曲を聴くだけで、おおよそいまCDのどの部分なのか、
つまり40分のうちどのくらいまで来たのかがわかる。

まあ、時間については、もちろん時計を使う方が本番にも近いし望ましいと思うが、
なんか、私は昔から静かなところで勉強するのが嫌いなのだ。

また、最初のうちは、条件をゆるめて、作文を書いているとき課題文は見ないが、
辞書で表現や漢字を調べるのはありとして、
その分の時間も合わせてCDが終わるまで(40分)で400字を書く、というようにした。

私は電子辞書は使わず紙の辞書を使っており、調べるのに結構時間がかかるので、
5分時間を多くしてもそんなに何度も調べられないのだが、
まだ本番まで間があるので、表現や漢字を覚えるという側面も考えて、
そのようにした。


最初は、やはり全然40分で終わらなかったのだが、3~4回やっているうちに、

「いま3曲目が終わったところで原稿用紙のこの辺を書いているというのは、
昨日より速い」
「あと残り2曲しかないのにまだこんなに残っているから、
全部で45分ぐらいかかりそう」

とか、35分で400字を書くペース配分の感覚がつかめてくる。


また、同時に原稿用紙の使い方というか、

「この文章をちょっと増やして次の行まで持たせて、
次の文から新しい段落にすれば、字数が稼げる」

というような小技による調整も利くようになってくる。

できるだけ書く文字数を少なくしつつ、原稿用紙400字を達成するために、
段落がえは非常に有効な手段である。

一回の段落がえで20文字近く得するのを使わない手はない。
うまくやれば全体の15%以上を合法的に空白にできるのだ。


一週間これを続ければ、書く速度のペース配分、どのように段落がえをつかうか、
あと書く内容の配分(課題文のどの部分を400字中のどの辺に書くか)の感覚が、
なんとなく分かってくる。

で、2週間目からはだんだん辞書を引くのを我慢するようにしつつ、
全体を35分以内で(最後の1曲が始まる前に)書き終えられるように練習する。

最後の方はだいたい35分以内で400字が書けるようになり、
もちろん本番は音楽は聴けないが、それでもその感覚のまま、
ほぼ400字ピッタリで全体を書き終えることができた。

ただ、繰り返すが、私の場合、文章の中身はひどいものだった。
本来は、文章の添削も一緒にやって、全体を向上させていくべきだと思う。

2012年4月18日水曜日

新HSK(16) 六級 結果


今日(4/17)サイトを見に行ったら、成績が出ていた。
試験日が3/18だから、30日目になる。

听力 77.0
阅读 80.0
写作 62.0
总分 219.0

決して威張れるような点数ではないが、まずは不合格でなくてよかった、
と一安心というところだ。

不合格だったら、もう一回5月に受けようと思っていたが、
とりあえず受けずに済む。


"听力"と"阅读"は思っていたよりはよかったように思う。

"听力"は全部で50問のところが77点だから、
単純計算でだいたい12問間違っていたことになる。

聞き取りの第一部分で「全く見当もつかない」問題もいくつかあったので、
その分の点数をないものとすると、その他の出来は結構良かったのかもしれない。

あるいは、もう三十年近く前になる大学受験の時に培った、
「マークシート選びのカン」が冴えて、分からなかった問題も
雰囲気で正解できていたかのかもしれない。

以前(2年半前)受けた旧HSK初中等では、聞き取りが全体の足を引っ張ったが、
今回はそうでなかったということで、いちおう進歩が確認された感じでうれしい。


"阅读"は全部で50問のところが80点だから、単純計算で10問間違っていたことになる。

第一部分の"找病句"は、試験前の練習では、全くカンが冴えておらず、
ほぼ全滅状態だった。

マークシートだから10問やったら2問ぐらいは合っていそうなものだが、
一つもあっていないことも結構あった。

本番を受けた印象も練習通りだったので、結果は単純に確率の問題だ。
つまり、合っていたのは10問中、多くて2~3問と思われる。

さらに第二部分でも、本番では自信のない問題が練習時よりもたくさんあったし、
第三部分は、練習時は確信があっても結局必ず2個以上間違っていたので、
全体として80点というのは上出来だったと思う。


結局、実力というよりマークシート技術がものをいった、ということだろう。


一方、"写作"は「実力相当」な点数な感じがする。

文は稚拙だし、構成もきちんとしていなくて、決して高い点数はつけられないが、
いちおう400字ぐらいで完結していて、内容もいちおう課題文を
何となくだが網羅しているので、不合格の点数(60点未満)をつけるほどでもない、
ギリギリ合格の点数

丸つけする人の気持ちがよーく分かる気がする(単なる想像だが)。

この結果から考えるに、合格することが目標なのであれば、とにかく「時間内に
400字書いて、かつ文章を完結させること」が、重要なのではないだろうか。
----

こうして結果が出て見ると欲が出てくる気もするが(特に "写作" )、
それは贅沢というものであろう。



2012年4月11日水曜日

新HSK(15) 高級 概要

六級の試験後には、風邪が悪化したりといろいろあったが、あれからもう3週間ほど経ち、
結果が分かるまであと一週間ほどになった。

いちおうさっき成績がみられるサイトに行ってみたが、さすがにまだ結果は出ていなかった。

ということで、六級の結果は来週のお楽しみということにして。


いちおう予定通り、5月に今度は口頭試験の「高級」を受けるということで
少しずつ勉強をはじめている。

今回は、「高級」の概要について書いてみる。

おさらいということで書くと、新HSKは筆記が一級から六級というように分かれており、
口頭試験が初級、中級、高級に分かれている。

高級というのは、旧HSKの「高等」の中にあった口頭試験とだいたい同じレベル、
ということになっている。

口頭試験だが、試験官相手に話す、というわけではなく、
マイクに話してテープに録音する、という形をとるそうである。

試験は3つの部分に分かれている。

(1)听后复述
(2)朗读
(3)回答问题

まず、(1)から。
読んで字のごとく、聞いた話と同じ内容を口述する、というもので、
100字強ぐらいの文章が読まれ、続く2分間の間にその内容をテープに向かって話す。
これが3問ある。

(2)は問題用紙に250字ぐらいの文章が書いてあって、それを文字通り朗読するもの。

(3)は問題用紙にある問題が書いてあり(あなたの趣味について話せ、とか)、それに回答する。
時間は2分半で、これが2問ある。

(1)が終わると、(2)、(3)の準備のための時間が10分間とられるが、それを含めても
全体の試験時間は約25分だそうで、本当にあっという間である。

さて、どのぐらい難しいのだろうか。

2012年4月2日月曜日

"清明节"前

今日(4月1日)は日曜日だが、中国的には出勤日である。

前にも書いたと思うが、中国では祝日を必ず3連休に設定する
(例外は7連休の"春节"と"国庆节")。

今日朝のテレビのニュースでは3連休のことを"小长假"と呼んでいた。
相変わらずなんにでも"小"をつけるものである。

4/4(水)が"清明节"という祝日ということで、その前の2日間も併せて3連休となり、
それに伴って、その前の週末の土日は出勤日、というカレンダーになっている。

"清明节"はお墓参りをする日だそうだ。
"扫墓"という表現があるので、お墓参りというより、
お墓の掃除をする日なのかもしれない。
うちの会社では、英語で"Tomb-Sweeping Day"と表現していた。

朝のニュースでは「上海から帰省するために電車に乗る人は春節以上」
というようなことを言っていたが、春節の場合は当日のかなり以前から
徐々に帰りはじめるのに対し、"清明节"では日程的に帰省が集中する、
という感じなのかもしれない。

さて、"清明节"のおかげで、今週は月曜から今日の日曜まで7連続出勤日だった。

7日連続で会社に来るとそれなりに疲れるが、後で書くように週末の仕事は少し楽で、
明日から3連休が控えていることもあって、今日の気分はそれほど悪くはない。

まず、やはり中国でも週末出勤日では有休を取る人が多くなり、
それだけで全体的にリラックスムードが漂う。

さらに、私のいる日系企業の場合、週末は日本から来るメールが激減する
(実は週末でも家で仕事する人も結構いて、少しはくるのだが)。

メールの数が減るだけでずいぶん気持ちに余裕ができる。
返事をする必要がない(読む必要すらないものもある)メールだとしても、
受信フォルダの大量の未読メールの存在自体がプレッシャーなのであろう。

しかも、今日は上海ではたぶん1年に3日ぐらいしかない最高の天気だった。

上海の四季はデジタル的で春と秋がほとんどなく、
常に「寒い」か「暑い」かのどちらかだ。
しかし、今日は雲一つない快晴(これ自体も珍しい)だった上に、
午後2時頃の時点で「暑くも寒くもない」という超希有な日だったので、
まったくオフィスにいるのがもったいない。

実は上海にも結構桜があり、花が咲き始めている。

明日は曇り予想だが、明後日は晴れるようなので、花見にはうってつけになりそうだ。

2012年3月28日水曜日

読書 百合花房秘语 (2)

「百合花房秘语」は全部で200ページほどと短いのも、
今回のようなシチュエーションでは望ましい。

話は、主人公とでもいうべき女の子"王睿"の視点から語られる。

いちおう、三人称の形をとってはいるが、最初から最後まで彼女の行動を追い、
彼女の気持ちを綴りながら進む。

最初は彼女が何歳なのかよく分からずに読んでいたのだが、
実は17歳だったことが後から分かった。

前作の「雾锁天途」も主要登場人物はみんな高校生だった。
この「少女莫兰系列」は探偵役の莫兰が15歳だから、
基本その年代の少年少女を中心に据えたストーリーにしているのかもしれない。

王睿の家で殺人事件が起き、たまたま滞在していた莫兰と母親がそれに巻き込まれる。
もちろん、最終的には莫兰が謎解きして解決するわけだが、
全体としては、なんというか「普通じゃない」構成をとっており、
読んでいて「次はどうなるだろう」という期待感の方向が異なるので、結構新鮮だった。

今回は莫兰の彼氏も父親も登場しなかったのだが、次また出てくるだろう。


200ページで短かったこともあり、HSK試験のあった週末で読み終わってしまった。

本来試験前日の土曜日はもっと勉強したいと思っていたのだが、
風邪で具合が悪かったこともあって、勉強せずに「一休みの読書」ばかりしていたし、
試験当日は午前中で試験が終わっちゃったので、また読書し、その日に読み終わった。

HSK試験とは言っても、それなりに精神的に緊張していたようで、
試験終了後に一気に風邪が悪化して、数日後は発熱して病院に行く羽目になった。

2012年3月25日日曜日

読書 百合花房秘语 (1)

実は、この本を買ったのは、新HSK六級試験の一週間前だ。

試験勉強の時の集中力には限りがあるため、私の場合、区切りを頻繁に設ける。
たとえば、聞き取りを30分やっては一休みし、読解をやっては一休みする。

一休みするときにちょっと読めるような気軽に読めるものが欲しかったのである。

また中山公園駅近くの本屋に行って、二階の小説コーナーをぐるぐる回って探した。

土曜の夜だったのだが、それなりに人も多かった。

日本人の若い(大学生ぐらい?)男の子と、中国人らしい同年代の女の子が二人で本を探していた。
友達なのか恋人なのかはよくわからないが、それなりに親密な二人は日本語で会話して、
どうも女の子が男の子のために本を探してあげているような雰囲気だった。

上海では行くところに行くと(決して本屋にはいないが)明らかに不釣り合いな日本人男性と
中国人女性のペアがたくさんいて、見ている方が非常に暗い気持ちになるが、
彼らのように両方若いケースは、見ていて微笑ましい。

さて、やはり中国人作家の推理小説のところを中心にみたのだが、
今回の条件は「試験勉強の合間にでも気軽に読めそうなもの」だったので、
読んだことのない作家はリスクがある。

やはり、鬼马星か。

以前ここにも書いたように、前回「雾锁天途」を読み、その読みやすさにビックリしたので、
今回も同じ作者にしておこう。来週試験だし。

ということで、表紙に「少女莫兰系列」の2番目と書いてある「百合花房秘语」を買った。

2012年3月22日木曜日

新HSK(14) 六級 試験当日 4/4

続いて、読解が始まる。

いままで勘違いしていたのだが、読解の試験時間は50分だった。
どっかの資料に45分と書いてあったのだが、まったく適当で困る。

まあ、5分長くなるからもちろん悪い話ではなく、1問1分でいいんだ、
という心理的余裕が多少はできた。

とりあえず第一部分の"找病句"からはじめる。
予想通り難しく、わかったように感じるところもあったが、試験前の勉強でも「これだ!」と思っても
全然はずれというケースが非常に多かったので、当てにはならない。

第二部分が、予想より結構難しくて、確信を持って答えられないケースが半分ぐらいあった。

第三部分は、難度は予想通りではあるが、選択を迷う部分がやはりいくつかあり、
そこが違っていると結構被害が大きい。

第四部分に入って時計をみると、ここまでは非常に正確に「一問一分」のペースだった。
本当は、すこしこれより速いペースを期待していたので、ちょっとプレッシャーである。
実際は、ここでもペースを守ることはできて、時間ピッタリに終了した。

これは時間のせいというより、問題の難度が高いからだと思うが、
確信がない回答は試験前の勉強より確実に多かった。

読解は6割は期待できると信じたいが、そうだとしても他をカバーするための上積みが
どの程度あるか、である。


最後は作文。

問題文が配られ、10分間読むように指示される。
メモをとるな、ということなのだが、私の隣の女の子(日本人のおじさんとは反対隣)は、
鉛筆を持ってサラサラ音を立てている。

「おいおい、いいのかよ、これ」

全然文を読むのに集中できない。まったく、本番の試験はいろんなことがある。
やがて、係の女性が巡回してゆっくりと近くに来ると、さすがに音は止まった。

読解の問題を急いで読む速度を持ってすれば、10分という時間は十分である。
ただし、単にあらすじを記憶するだけでは文章は書けない。

ある程度文章を書くために必要な事柄を特定して、それを集中して記憶する必要がある。
私の場合は、何はともあれ漢字だ。書きたい漢字が書けなかったら最悪だ。

全く書けないであろう"陶罐"、"鉴定"、"赝品"をはじめ、
その他曖昧に記憶している漢字を探して、必死に暗記した。

気分的には、10分の半分近くを漢字の暗記に費やしたのではないか、ぐらいに思う。

10分経つと、係の女性が文章を回収し、解答用紙への記入が始まる。

書いた文章はいちおう400字には到達したものの、覚えていることを断片的に書いた、
というのが明らかで、ストーリーのつながりに乏しく、文の構造も稚拙なので、
作文としての出来は小学校低学年レベルだと思う。

学校の先生にも先週「もっと副詞を使ったり、接続詞をつかって文を長くすると良い」と
言われていたが、そう簡単には向上しない。

いったい、これで何点とれるんだろう。
----

全部終わったのが11時半ぐらいで、まあ、あっという間である。

読解や作文は時間が足りなくて焦っていたりしたからか、鼻水もあまり気にならなくなっていた。
心配していた咳はほとんどでなかった。

それより、隣の日本人のおじさんの咳がうるさかったのが気になった。

終わって帰るとき、隣のおじさんのさらに隣に座ってた若い日本人の男の子も、
友達に「となりのおっさんの咳が!」と愚痴を言っていた。

また、試験監督係の女性が帰り際、
「もしHSKの勉強をしたい場合は、ここにパンフレットがあります!」
と宣伝していた。

パンフレットもらいに行ったら名詞をくれたのだが、
彼女はどっかの中国語学校の先生だったのだ。
学校は南京西路にあるみたいで、遠くて行く気がしないが、
HSKコースがたくさんあって結構充実しているみたいだった。

本気でやる場合はこういうところに行った方がよいのかもしれない。

まあ、とにかく終わったので、結果が出る1ヶ月後を待つことになる。
ぜんぜん期待できないが。

2012年3月21日水曜日

新HSK(13) 六級 試験当日 3/4

まずは、解答用紙が配られ、名前や試験会場を記入するように促される。

続いて、問題用紙が配られ、封を破って中身を確認して
印刷がきちんとしているかみるようにいわれる。

封を破るのがうまくできなくて、問題用紙の最初の2ページが封の半円形の形に抉れてしまった。
まったくもって、幸先が悪い。

ラジカセから、聞き取り問題の音声が流れる。
まあ音質も音量も悪くないが、教室の窓が開いているので、外の車の騒音がちょっとうるさい。

あと、窓が開いているせいかちょっと寒くて、少し鼻水がでてきて、
数分ごとにティッシュでそれを拭わなくてはいけない。

条件が悪いなあ、などと考えていたせいか、それとも、そもそも問題が難しかったせいか
わからないが、、聞き取りの第一部分は最悪だった。

本文を聞く前(あるいは本文が話されている間)に選択肢を読んで理解する、というのが
全然間に合わず、聞き終わってから選択肢を読み、考えていると次の問題が始まる、
最悪スパイラルに陥ってしまった。

試験前の勉強では、第一部分は半分ぐらいは確信を持って答えられていたが、
今日はほとんどそういうのがなかった。いきなり意気消沈。

第二部分のインタビューは、難度的にも試験前の勉強とそれほど変わらなかった。
話される本文が非常に長いので、多少気持ちを立て直すことができたが、
本文の「該当部分」を正しく聞き取れないと答えられない問題がいくつかあり、
そこは常識に基づくカンで回答する。

第三部分は、6つぐらいある本文のうち、半分は「話されている話題はおぼろげにわかるが、
どういう状況で話されているか全然わからない」といった感じで、完全に当て推量だった。

試験前は「聞き取りでも、なんとか6割はいけるかも」と思っていたが、
聞き取りが、6割正解できている確率は非常に小さい、と言わざるを得ない。

聞き取りが終わると、5分間「回答を写す時間」というのがある。

意味がよくわからないが、どうも、聞き取りの音声を聞いているときは、
マークシートを塗る時間がないだろうから、全部終わった後に塗る時間を5分間あげますよ、
ということのようである。

私がマークシート塗りに慣れているからかもしれないが、この5分はいらないんじゃないの、
と思う。というか聞き取りより読解にこの5分間を設けてほしい。

2012年3月20日火曜日

新HSK(12) 六級 試験当日 2/4

教室を見回すと、全部で30人分ぐらいの席があるが。欠席している人も数名いた。

安くない受験料払っているのに、休むなんてきっとインフルエンザとかよっぽどの事情が
あるのだろうなあ。

私も今日は咳や鼻水を我慢しながらやることになるし、
他の人の迷惑にならない程度だったらよいのだが。

受験票には、私の受験会場は"第六考场D"と書いてあり、会場はDまでしかない感じだったので、
六級を受ける人はこの会場全体では120名ぐらい、ということなのだろう。

もうすぐ開始時間なのに、ヘッドフォンはないのか?
前回、旧HSK初中等を上海交通大学で受けたときには、
全受験者にワイヤレスヘッドフォンが配られ、そのIT化の度合いに感動したものだ。

今回もそれを期待していたのだが、ふとみると、教壇の上に安物のラジカセが置いてある。

やはり、中国有数の大学である上海交通大学が特別だったのだろう。
今回の場所は"静安区业余大学"というところで、名前からしても、
キャンパス(というほどでもないが)の大きさからみても、普通の大学ではなさそうなところだ。

まあ、ラジカセでもいいんだけど、音が悪くなければいいのだが。

また、前回は「鉛筆と消しゴムと時計以外の試験に不要なものは、
とにかく全部教室の前面の指定された場所においてください」とか持ち物の管理が
異様に厳しかったのだが、今回はそれもなかった。

これも「前回は会場が上海交通大学だから」だったのだろうか。

などということを考えているうちに9時になり、係の女性が試験開始を告げた。

2012年3月19日月曜日

新HSK(11) 六級 試験当日 1/4

いちおう、予定通り7時前に起きて、地下鉄に乗って試験会場に向かう。

会場は、静安寺駅から7号線で一つ北に行った駅のそばだった。

以前、旧HSK初中等を受けたときの会場は、上海交通大学だった。
大学の構内が広くて、学校の先生の案内がなければ、いくのにすごく時間がかかったと思うが、
今回のところは、駅の出口からすぐだし、非常に分かりやすかった。

先週、学校の先生に「六級受けるのはあなた一人だし、自分で行ってください」といわれて、
若干寂しい感じもしたが、まあ当然といえば当然か。

8時半すぎに会場のある建物に着いたが、案内がないので、
その建物のどこに行けばよいのかわからない。

受験生らしき人も結構歩いているが、迷っている様子の人は見あたらない。
みんなはじめてではないのだろうか?

入り口から入ってうろうろしていると、少し奥へ進んだところにもう一つ大きな入り口があり、
そこである人が「会場はどこ?」と聞いているのに出くわした。

その人も私同様日本人のおじさんで、六級の場所を聞いていたので、
さりげなく通り過ぎつつ聞いてみると聞かれた若いお兄さんは「3階ですよ」と言っている。

そのお兄さんは係の人なのだろうが、外見は大学生みたいで、
全然受験生と見分けがつかない。

いったいあのおじさんはなぜ彼に聞こうと思ったのだろう。

まあ、ともあれ3階に上り、試験会場は無事見つかった。

教室に入って係の女性にパスポートと受験票を確認してもらって、
名前が書いてある席に着く。

まだちょっと時間があるので、一息ついたらトイレに行きがてら構内をぶらぶらしてみる。

受験生は大半既に到着していて、廊下で友達としゃべったりしている。

しかし、聞こえてくるのは韓国語ばかりだなあ。
韓国ドラマ以外で、こんなに大量の韓国語を聞くのは初めてだ。

日本語も多少聞こえてくるが、声が小さいからか、ぜんぜん目立たない。
中国人も声がでかいけれども、韓国人も声がでかいなあ。

受験生は見た目で99%東洋系、というか極東系で、受験生に中国人はいるわけないから、
日本人と韓国人ということなのだろう。大学生ぐらいの若い人が多い。

席に戻ってみると、さっき会場を聞いていた日本人のおじさんが
私の隣に座ったのでちょっとビックリした。

2012年3月18日日曜日

新HSK(10) 六級 試験前日

明日(2012年3月18日)は、六級の試験日である。

試験前の今週は、仕事も早々に切り上げて、直前集中ということで、
問題集とか作文をやろうと思っていた。

だが、水曜の昼、会社にいるときから、「これは風邪の初期症状」といわんばかりの
具合の悪さが襲ってきて、その日は夕食後に勉強できる状況ではなかったので、
風邪薬を飲んですぐ寝た。

木曜朝起きてまず熱を測ってみた。3月になったけれども、周辺にはポツポツとインフルエンザに
なった人がいて「もしインフルエンザだったら試験も受けられない」と思ったからだ。

幸い、熱は出ていなかったので普通に会社に行ったが、体調としてはやはり良くなかった。

金曜日になったら、ちょっと咳が出るようになり、のどの腫れも感じるようになった。
少しだが鼻水もでる。この状態で、ぎりぎり3時間の試験に耐えられるか、という感じだ。

これ以上咳や鼻水が出るようになったら、とても受けられまい。

もう事前勉強とか言ってる場合でなく、とにかく試験を受けられる体調にしなければ、
ということで、今日の試験前日の土曜日は「完全休養日」となった。

思えば、今週は、仕事もその他もついていないことが多かった。

ほんの少しの差で電車やバスに乗り遅れたり、
道路を歩いていて信号にさしかかった瞬間に赤になったり。

仕事はともかく、それ以外は全然大したことじゃないので、
その分の運がもっと重要なところに回ってくれれば良いのだが。

本当は今週は毎日、聞き取りも読解も作文も毎日ちょっとずつやるつもりだったが、
水曜以降は全くできず、土曜日に模擬試験を一回やれただけだった。

試験の時に咳き込んだりしないように、今日も早く寝ないと。

明日は7時に起きて、試験会場に行く。

2012年3月13日火曜日

新HSK(9) 六級の阅读 後半

残りの第二、第三、第四部分について。

全般的にいうと、それほど「難しい...」という程ではないと思うのだが、
なにせ第一部分でほとんど点数をとれないことがわかっている状況だと、
「絶対間違えられない」というプレッシャーがあり、
かつ少ない試験時間によるプレッシャーとも重なって、
ケアレスミスを誘発する環境にあるといえる。

第二部分は、ある文の中に4つほどの空欄があって、そのなかに当てはまるものとして、
もっとも適切なものを選択肢の中から選ぶものである。

旧HSK初中等の総合にあったものに似ているが、こちらは4つの単語の組を選ぶものなので、
1つ空欄がわからなくても、そのほかの3つの空欄にあてはまるであろう単語を頼りに
回答を選択できるので、理論的には「4つのうちどれかわかればよい」ということで、
ある意味では易しくなっているとは言える。

もちろん実際には、ある空欄の候補は「4つ選択肢のうちどれ選んでもよい」場合も
あったりするのでそんなに簡単ではない。

基本的には、単語のニュアンスは日本語に近いところがあるので、
日本人にとっては非常に有利なのだが、ときどき違ったりするので、そこは覚えないといけない。

例えば...「ここの空欄には「建設」「建築」「建立」「修建」のどれが相応しいか?」

橋とかを作る場合は中国語の場合「修建」がピッタリするそうである。


第三部分は、ある長文の中から5つの文が抜き出されて空欄になっており、
その5つの文は下の方にABCDEの選択肢としてならべられている。
で、文章の中の空欄に相応しい文を選択肢から選ぶ、というものだ。

一見簡単だし、決して難しい、ということでもないのだが、「これはどっちも当てはまるなあ」
とちょっと迷う場合があり、問題の性質上1つ間違うとそれが他の空欄に影響を与えるので、
雪崩的にたくさん間違ってしまう。

私は第三部分は結構苦手で、たいていの場合一つの長文中2つ間違う。

第三部分は全部で10問(つまり長文が2つ)なので、両方2つずつ間違ってしまうと、
第一部分で想定される間違い数(7から8)とあわせて12とかになってしまい、
本当に「もう決してそれ以上間違えられない」状況になる。

なので、本番では第三部分の出来不出来が非常に重要である。


第四部分は、まあ、普通の読解問題で、文章と問題文をちゃんとよめば間違うことはない、
のだが、なにせ時間がせっぱ詰まっているので、時間との戦いになる。

先に一回文章を読んで、その後質問を読む、というやり方だと、
質問を読んだ後にまた必ず文章の該当箇所を読み直すことになって
時間の使い方としては、決して効率はよくないように思われる。

私はこのやり方に慣れてしまっているので、いまさら変えるつもりもないが(本番まであと一週間)、
試験時間は非常に貴重で一分でも節約できると効果は大きいので、
これから受けるかたは、どうすれば第四部分を速くやっつけられるか、
いくつか方法を試してみるとよいのではないでしょうか。

2012年3月11日日曜日

新HSK(8) 六級の阅读 前半

さて、阅读である。

前述したように、中身は4つの部分から構成される。

第一部分 10題  間違いのある文章を探す
第二部分 10題  空欄に当てはまる単語を選ぶ
第三部分 10題  空欄に当てはまる文を選ぶ
第四部分 20題  文章に関する質問に答える

一回、模擬試験みたいのをやってみたが、とにかく時間が短い。
問題が50問なのに、時間は全部で45分しかないから、
単純計算で1問に1分かけていたら足りなくなることはすぐわかる。

なのに、第三部分と第四部分は長文を読まなくてはいけない。
速読できることが必須である。

私にとって最も難しいのは第一部分である。
一見どれも正しそうな4つの文が並んでいるが、ひとつには間違いがある。

間違いは、文法的なもの、意味的なものなど、さまざまなのだが、とにかくわからない。
どれを読んでも意味はだいたい通るし、「うーん」とちょっと考えているうちに
すぐ1分経ってしまい、最初から時間が足りなくなる。

模擬試験をやったときは、10問中2問しか当たらなかった。

こんなことなら「全部Cを選ぶ」ことにして、第一部分全体を1分で終わらせた方が
ましなのでは、と思ってしまう。

この模擬試験ではないが、練習問題をやっていて非常にビックリしたのは 

「白菜、にんじん、ピーマン、リンゴといった野菜は....」
という文は「リンゴは野菜じゃないから」間違い、という例があったことだ。

確かに間違いなわけだが、なんというか、これはもはや中国語の試験ではないように思われた。
こんな問題、決して英検でもTOEICでも出さないと思う。


この他にも、
「この文章の状況では、この成語をつかうのは大げさすぎる」
「この動詞に対してこの目的語を使うのは、意味的にみて不適切」

など「程度問題なだけで、普通に意味わかるじゃん」と思ってしまうようなものがたくさんある。

2種類の練習問題とかやってみると、ある程度パターン化されているところもあるように思うので、
ここで点数をとりたい人は、問題をできるだけたくさんやった方がよいと思う。

ただ、本屋でちょっと問題集を立ち読みしたところ練習問題の答え(どの文が間違いか)は
書いてあるが、その文の「どこが間違っているか」を解説してくれる本は多くなかった。

身近にそこを正しく教えてくれる中国語の先生がいればともかく、
それがわからないといくらたくさんやっても向上しないと思うので、
問題集を買うときは、注意した方がよいと思います。

2012年3月9日金曜日

新HSK(7) 六級の听力

復習も終え、いよいよ六級の聞き取り問題にトライしてみた。

まず、勘違いしていたことがひとつある。

第二部分(インタビュー)のところは、旧HSK高等でも同等の内容があったので、
てっきり同じように「本当の一般人にインタビューした音声を使う」のかと思っていたが、
新HSK六級のインタビューは、他の問題同様「問題を読むプロの人」が読むようである。

従って、旧HSK高等で難しいとされていた、
「一般人なので滑舌が悪くて聞き取りにくい」
「必ずしも標準語を話す人とは限らないので、なまりや方言に対応する必要がある」
というところはなくなっており、その点は受験者にとってはやりやすくなっていると思う。

改めて、聞き取り全体の話をすると...

第一部分は、短い話(100字ぐらいか)を聞いて、その内容に合致した回答を選択肢から選ぶ。
ここは他と違って質問文が読まれない(常に「合致した内容を選べ」)。
なので、聞く前に選択しに目を通しておく、ということの重要性が高い。

旧HSK初中等の第一部分は、気分的に苦手だったが、それは内容がどうこうというより、
ひとつの文しか読まれないので「あっという間に終わってしまう」からだった。

ちょっと前の問題が気になっていたりすると、次の問題を聞き取る体制になる前に、
文章がもう読み終わっていて、選択肢を選ぶ手がかりすらない。
で、迷っていると次の問題も、というような悪循環によく陥った。

その点、新HSK六級聞き取り第一部分は、量が結構あるので、若干聞き逃しても
「大意がわかればいいや」という心理的な余裕がある。

断片的に聞き取れた単語をもとに全体を構成し「常識的に考えてこういうことに違いない」
というロジックで選択肢を選ぶ、というのが基本的なやりかたになる。

ときどき大意ではなく、ある特定の一部分を聞き取らないと答えられない問題もあるが、
それは、もう半分あきらめである。

第二部分は、最初も書いたがインタビューの内容で、それに基づいた問題がいくつかだされる。
量も多いし、専門的な内容もあって単語が難しいので、広範な知識がないとちょっとつらい。

ただ、インタビューだから特別な何かがあるという感じではなく、
本質的に、第三部分の長文をきいて質問に答えるのと同じタイプ、ということはいえる。

長文聞き取りは、旧HSK初中等でもかなり難しい場合があったので、
感覚的にだが「その難しいレベルの問題ばっかりになった」気がする。

逆に言うと、それに比べて段違いに難しい内容になったようには思わない、という意味だが、
これは単純に私が「難しくてわからない問題は、レベルの判断ができない」からであろう。


後は全体的に量が多くて、途中で聞き疲れて集中力を切らしてしまうかもしれないので、
大量の文章を連続してきくのに慣れておく必要はあると思う。

まあ、試験まであと10日ぐらいしかないし、本質的な聞き取り能力向上は望めないので、
試験のやり方に慣れるように練習をしたいと思う。

でも、仕事から帰ってきてからやるのはかなり意志の力が必要で、
ときどき負けてしまっている。

2012年3月4日日曜日

新HSK(6) 六級の听力…のための復習 後半

最初は結構順調に思えた。「おお、結構わかるなあ」
でも第三部分のところが全くわからず、結果は50問中35問正解。

「全然変わってないじゃないか... この2年半の進歩はゼロだったってことか?」

自己嫌悪モードに入る。


次の日、気を取り直して次をやってみたが、やはり34/50。

「これで新HSK六級なんて受けられるのかなあ...」


その次の日、また次をやって、38/50。

「まあ、ちょっと良くなってきたか...」
「でもこれでも旧HSK初中等での6級程度なよなあ...」


その次の日、劇的に結果が好転する。なんと45/50。

「おお、これならいけるかも。でも、たまたま問題が簡単だっただけなのでは...」


その回以降最後まで8個のテストをやったのだが、39/50だった一回を除いて全部40~45の間、
45/50も3回という結果だった。

問題集作った人が意図的に後半を簡単にしていたのだろうか?

あるいは、なんだかんだ言って2年半の間にそれなりに進歩したということか?

今回、問題集をやって感じたのは、

「中途半端にわからない問題が前回に比べて減った」

ということだ。

わかる問題はかなり確信を持って答えられる。
わからない問題はやはり全然わからない。

語彙の量は少ないものの、その範囲であれば聞き取れるようになった、
ということなのかもしれない。

また、だんだん点が良くなっているのは、
「わからない問題を答えるときのカンが良くなっている」
という側面もあるように思われる。

やはり、試験には慣れも必要なのだろう。単なるテクニックなのかもしれないが。

これで復習用の問題集もやり終わっちゃったので、
いよいよ新六級聞き取り問題集をやってみようと思うが、
はたして、この限られた語彙での聞き取り能力で歯が立つのかどうか...

ちょっとドキドキする。

2012年3月1日木曜日

新HSK(5) 六級の听力…のための復習 前半

以前も書いたように、旧HSKの初中等を受けたとき、聞き取りが最も足を引っ張った。

今回の新HSK六級聞き取りは、当たり前だが、いっそう難しくなる。

学校や本屋から、いくつか六級の聞き取り問題を仕入れてみたのだが、
実はまだやっていない。

では、何もやっていなかったのかというと、もちろん決してそんなことはなく、
旧HSK初中等聞き取りの復習をやっていたのだ。

前回も本屋に行って大量に問題集を仕入れたのだが、全部やり終わったわけではない。

聞き取りに関しては、まず前回やり残した問題集をやってみて、
耳を慣らしてみようと思ったのだ。

北京語言大学出版社 「HSK初中等 听力理解分项强化」

全部で18個の聞き取り模擬試験があるが、半分以上残っていた。

以前受けたのはもう2年以上前だから、もうあまり記憶もないが、
その当時やった模擬試験の結果を見ると、

50問あるうち、正解は35付近に分布し、最高は38

この状態では、初中等の本試験で聞き取りが5級相当だったのもやむなし、と思える。

あれから聞き取り力の向上があっただろうか。

まず、ひとつ試験をやってみる。

2012年2月23日木曜日

読書 雾锁天途 (3)

あっという間に読み終わった。

全部で330ページほどなのだが、ほぼ一週間という時間で全部読み終わったのは、
最速記録だと思う。

先週は北京への出張があったので、飛行機の中でずっと読んでいたり、
虹橋空港との地下鉄2号線の往復の車中でも読んでいたので
(浦东に住んでいるので地下鉄の車中はかなり時間がある)、
普段の週に比べて読む時間が多かったのは確かだが、それにしても早かった。

いままで書いてきたように、翻訳物も含めて多くの中国語の本を読んできたが、
こんなに分かりやすい文体は、アガサ・クリスティの翻訳本以来かもしれない。

ミステリーといっても、気軽に読めるタイプのものと、重々しくてとっつきにくいものがある。

マンガで例えて言うと気軽に読めるのが「コナン」で、
重々しいのが「金田一少年」という感じだろうか。

この本は気軽に読めるタイプの典型的な例だ。

ミステリーというのは、結末でいかに「作者にビックリさせられるか」というのが、
面白さのひとつの基準である。

もちろん、これは必ずしも「犯人が意外なことにビックリさせられる」とイコールではない。

その点、この本はその基準はクリアしているように思う。


こんど機会があったら、この作者の本はもう一度読んでみよう。

2012年2月21日火曜日

読書 雾锁天途 (2)

高竞が3人の失踪事件に遭遇してから3年後、再び事件が始まる。

あの電車の中にいた女の子が死体で発見されたのだ。

3年前のことがずっと気になっていた高竞は、新聞でその事件を知り、
友達の莫兰と一緒に事件のことを調べていく。

まあ、もうあらすじは書かないことにしよう。
今の時点ではまだ2/3ぐらいしか読み終わってないので、結末もしらないし。

現代の推理小説らしく、事件の話だけでなく、主人公莫兰の家族の話、
高竞の家族の話、莫兰と高竞の恋愛などが重なり合いながら進行していくので、
いったいこれは推理小説なのか?、とちょっと思ったりもしたが、まあ十分推理小説である。

莫兰は15歳で、高竞が20歳、という若干不自然な感じがぬぐえない設定だし、
警察でバイトしている親戚に過去の事件の資料をコピーしてもらうとか、
医者をしている莫兰の父親が過去に世話をしたという理由で、
銀行の人が事件関係者の口座のお金の出入りを調べてくれるとか、
ちょっとあり得ない(中国ならあり得るかも、と思うのも確かだが)方法で捜査を進めるのだが、
その辺はご愛敬、という感じであろう。

この本の中でもっとも面白い登場人物は莫兰の父親である。

すごく頭がよいのだが、常識外れの方法で物事をすすめたり、変なことに異常にこだわったりする。
昔風の本格推理小説に探偵役として登場したらピッタリだと思う。

ただ、 莫兰の恋愛に関しては親らしく、高竞に「莫兰が18になるまで我慢しろ」と言いつつ、
「私も若いときはいろいろあったから」などど二人を暖かく見守っている。

莫兰自身は、非常に頭が良く、料理も上手、しかも可愛い、という、
まあリアリティという観点からはコメントしにくい人物像なのだが、
本の中では、若いがゆえの失敗をしたり、それなりに感情移入することができる。

高竞は「3年も待つのは長すぎる」などと思いながらも、
とてもまじめに言いつけを守る。

まあそうでないと小説にならないだろうが。


2012年2月18日土曜日

読書 雾锁天途 (1)

先週土曜日、また中山公園駅のところにある"上海书城"にいって新しい本を買った。

2階にあがってすぐのところに、中国人作家ミステリーコーナーみたいなのがあり、
前々から中国ミステリーを読んでみたいと思っていたので、そこで探すことにした。

いままで、結構たくさん中国語の本を読んできたが、ミステリーは専門用語とかあるし、
敷居が高いのでは、と思って、避けてきたところがあるが、まあ、もうそろそろ大丈夫だろう。

いつもの通り、予備知識がなんにもないので、本の帯に書いてある宣伝文句が頼りだ。

最初に目に飛び込んできたのが、

「中国推理少说女王最新力作」

と書いてある帯であった。

作家名が「鬼马星」となっていて「ペンネームにしたってちょっとインパクトありすぎでは?」
と思ったが、内容は「史上最聪明的女中学生 少女莫兰系列」ということなので、
少女が探偵役ならまあそんなに凄惨とかいう話でもないだろうし、
たぶん読みやすいだろうから、と思い、これを買うことにした。

しかし、いつも思うのだが、中国の本は安い。
この本も330ページもあるのにたった20元である(今のレートだと日本円で250円)。


序章は、この本のもう一人の主人公、というかワトソン役で、当時高校生の"高竞"が
北京から故郷のS市に戻る電車の中から始まる。

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彼が座ったボックス席で前に座った若い女の子が、彼のとなりのおじさんに向かって、
「トランプやらない?(会打牌吗?)」と声をかける。

となりのおじさんは息子が止めるのを制して、その誘いに乗り、賭トランプが始まる。
女の子は自分の大学の学費を元手にしようとしたので、
こちらも一緒にいた弟がやめさせようとするが、全く聞かない。

そうこうしているうちに、北京で友達と遊んで疲れていた高竞は眠ってしまった。

「起きろ」と言われて目を覚ますと、おじさんの息子が立っていた。

おじさんと女の子とその弟が3人ともいなくなってしまったのだ。

息子や高竞や車掌が、電車の中を全部探したが影も形もない、謎の失踪。
----

序章はここで終わり、話は3年後、高竞が20歳になったところから再スタートする。

なかなか、悪くない出だしだと思った。

2012年2月8日水曜日

新HSK(4) 六級の写作

さて、春節休みも終わったし、そろそろ本気で準備を始めなくては。

六級の作文(写作)は、400文字程度の文を書くものである。

旧HSK高等の作文もやはり同様に400字程度の文を書くものだが、
与えられるテーマはかなり異なる。

旧HSK高等の作文は、ある題目が与えられた自由作文である。

例えば題目が「ペットを飼うことの良いところと悪いところ」とあったら、
自分で構成等を考えて400字程度の文章をつくる。

一方、新HSKの作文は、作文というより「要約」である。


最初「作文は要約だよ」と聞いて、「ああ、旧HSKより簡単かも」と思ったが、
大間違いだった。


まず、1000文字程度の長文が与えられ、10分間それを読む。

その後、400字程度でその長文の要約を書く、ということなのだが、
書く際にはもとの長文の紙は回収されてしまうので、見ることはできないそうだ。

解答用紙にメモをとってもダメらしい。

何回か、練習問題をやってみたが、全く歯が立たない。


長文のあらすじを理解することはできるが、いざ書く段になると、
書きたい内容は思い浮かぶのだが、それを中国語の文にすることができない


「彼は一見つまらない仕事の中でさえも、学ぶことができることはたくさんあるのだ、
ということを彼女に伝えたかったのだ」

"つまらない"ってもとの長文ではなんて書いてあったっけ? 覚えてない!
仕方がないから"简单"で代用するか? でも意味が変わってくるなあ...


「上司の費用精算処理代行からから得られるものは大きい。
どのように費用を使うかは会社の活動そのものなのだから」


"費用を使う"ってどう書く? "做费用"? それとも"花费用"? なんか違うような...


こんなことを考えているうちに制限時間があっという間にきてしまう。


つまり、長文の意味がわかるだけでなく、要約を書くために必要な情報
(ストーリーだけでなく、単語や言い回し)を
全部頭の中に記憶しておく必要があるということだ。


あるいは、長文と同様の内容を自分の言葉で表現できるだけの作文力をつけて、
記憶力を補う必要がある。


このままでは、まともに400字なんて書けないので、何か対策を考えなくては。


あと、くだらないのだが、超根本的な問題として、

そもそも、正しく書けない、または書くのに時間がかかる簡体字が非常に多い

というのもある。最近は手書きの機会なんて全然なくて日本語の漢字も
かなり怪しいので、ある程度仕方がない気もするが、これも困ったものである。

2012年2月5日日曜日

読書 「8分钟的温暖」と「凉宫春日的忧郁」  (3)

再び「8分钟的温暖」。

少しびっくりしたのが、小説の中で参照される「日本関連の話題」が
意外と多かったところである。

たとえば、
・「道明寺」のようなキャラは現実にはそういない。

とか、
・あの4人は「F4」だ。といってもFはFatのFだけれど。

といった表現があったりする。

また、主人公の女の子"顔泽"が好きな人"李霄"にあげるプレゼントを悩んでいると、
"贺新凉"が「彼はEveryLittleThingが好きだからCDあげたら」とアドバイスするところもある。

あと、これは"贺新凉"のキャラ設定に依存していると思うが、彼が"顔泽"に向かって、
・クレヨンしんちゃんみたいな眉だ
・目の周りのクマが夜神月の敵役みたいだ(デスノートの"L"の顔を思い出してください)
などと言う場面もある。

さらに「千と千尋の神隠し」に言及した場面もある。

少なくとも、この小説を読むような若い人にとっては、これらは「前置きなしで
いきなり話題に出しても話が通じる存在」だということだ。

まったく、コンテンツの影響力の大きさを再認識させられる。


あとちょっと面白かったのが、登場人物たちがビックリしたときに言う「哈啊?」という言葉。
想像だけど、これも日本語の「はぁ?」からきてると思うんだよねえ。
つかわれるシチュエーションがそのまんまなので。


さて、「8分钟的温暖」というのは、

>いま、この瞬間に太陽が消えてなくなっても、地球上にいる我々は、
>8分間後になって始めて気がつく。その8分間はいままでと変わらず地球は暖かい。
>太陽はもうなくなっているのに。

ということだそうである。

全体の展開からみると、主題は、

「あの人がどんなに大切な人だったかは、
いなくなって(しかも少し時間が経って)から始めてわかる」

という感じかもしれないが、まあそんな単純なことではなさそうな気もする。


春節休みで、両方やっと読み終えた。

2012年2月3日金曜日

読書 「8分钟的温暖」と「凉宫春日的忧郁」  (2)

一方の「凉宫春日」は、これがまためちゃくちゃ読みやすい。


いちおう、念のために書いておくが、
私は以前「凉宫ハルヒ」の名前を聞いたことはあったが、
本は読んだことはなかったし、アニメも見たことはないので、
ストーリーは知らなかった。

なぜ名前を知っていたかというと、 「ゲーム的リアリズムの誕生(東浩紀著)」という本を
読んでいたことと、フジテレビTWOでやってた「平野綾だけTV」を見たことがあったから。


「8分钟」は、1時間で10ページぐらい読めればよい方だが、「凉宫春日」はたぶん倍以上いく。

これは、もともとライトノベルが読みやすいからなのだろう。
たぶん日本語で読んだら1時間ぐらいで1冊読み終えてしまうと思う。

ただ、前回書いた話の逆で、中国の読者は日本の高校での毎日が
あんまり実感できないだろうから、その辺は理解しにくいんじゃないかと思う。
部活動がどういうものか、とか。

「8分钟」でも主要登場人物の" 贺新凉 "がバスケ部だったりして、普通の部活動もあるようだが、
一方、主人公の"顔泽"は「体育部幹事」とかいう役職をやってて、
どんな仕事かよくわからなかった。どうも学校の体育祭(体育节)の時に忙しいようなので、
部活動というより自治会みたいな仕事のようだ。


「凉宫春日」の話に戻る。


この本の主人公は日本語では「キョン」というあだ名で呼ばれているのだが、
翻訳は「阿虚」になっている。阿は名前につける愛称(xxxちゃんと呼ぶ場合の"ちゃん"に
ちょっと近い)なので、キョンは虚、と訳したことになる。

きっとどういう字を当てればよいか悩んだことだろう。



ストーリーとかはネット上にいくらでもあるだろうから書かないが、
小説なのに、まるでマンガを読んでいるような気にさせられるところにもっとも驚いた。

文章の表現形式の問題なのだろうか。
それとも、ストーリーがいかにもマンガ的だからか?


どうでもよいことだが、これを読んで、「セカイ系」や「ハーレムもの」といった
言葉の意味が少し分かった気がした。ついでに言うと、「セカイ系」の元祖というか、
根っこのところには「ドラえもん」があるんじゃないかという気もした。

まあ、ともあれ、もうこの一冊で十分、という感じはある。

2012年2月1日水曜日

読書 「8分钟的温暖」と「凉宫春日的忧郁」  (1)

前に書いたように、この2冊は昨年の大晦日に買った本である。

両方とも高校が舞台の話だが、テイストは全く異なる。

「8分钟的温暖」が中国文学界でどういった位置を占めているかよく知らないが、
日本のライトノベルとは違って当然なのだが。

本の装丁は「8分钟」は純文学っぽいが「凉宫」はハルヒが表紙でいかにもライトノベルっぽい。

まずは、「8分钟」から。

主人公は"颜泽"という女の子で、彼女と同級生の日常を通じて、
微妙な人間関係や恋愛模様が淡々と描かれる。


中国語という観点だと、私にはめちゃくちゃ難しくて、わからないところが非常に多い。

主人公や友達の心理描写には直接的な表現は使われないし、
成語みたいな表現が非常に多い。知らない単語もたくさん出てくる。

しかも中国の高校生活の常識がわからなくて「このイベントは何なんだ?」という感じで、
想像力で補うことが難しい。

この本はまず、ディベート大会、みたいな場面からスタートする。
「勇者と智者はどちらが勝つか」といったお題で、三国志の例を挙げて双方が論陣を張る。

中国の高校では、こんなディベートイベントが普通なのだろうか。
なんか、アメリカみたいである。

こういうのを読むと、やはりこういったところで日本はどこの国にもかなわないなあ、と思う。

世界的に見て、日本はそれなりに経済的に大きな国なわけだが、
外交を見ても、議論下手というか、交渉下手さは際だっている。
なんというか、「したたかさ」に欠けるように思う。

日本人も、欧米に対しては「何考えてるかわからない東洋人」を演じることで、
若干煙に巻くこともできるが、対中国ではそれも通じまい。

日本人の強みってなんなんだろう、と思う。
短期的には結果が得られなくても、長期的視点に立って頑張れる勤勉さぐらいか?

まあ、それはともかく、頑張って読んでいく。

2012年1月25日水曜日

F1と3D

タイトルを見ると、中国語と関係ない感じもするが、
今回は、数字読みの感覚について、である。

以前中国語会話学校の先生と話をしていたとき、

「今度の週末"エフイー"を見に行く」
「"エフイー"って何ですか」
「車のレースです」
「ああ、F1のことですね」

余談だが、F1すなわちFormula1を中国語で表記する場合、

「一级方程式赛车」

と書く。いくらFormulaだからって、「方程式」って...

ここでのFormulaは、レースのルール分けというか、クラス分けみたいなものなので、
「一級赛车」だけの方がかえってわかりやすいのでは、と思ってしまう。

話題は数字に戻るが、最近映画やテレビでは3Dがはやっているが、
これも中国語で呼ぶ場合"サンディー"となる。

これも最初聞いたときは戸惑ったが、3の発音が日本語と同じだからか、
意味はすぐ推測することができた。

F1も3Dも、日本語では数字を英語読みするのが普通だ。


たぶん、F1も3Dもひとつの固有名詞のようなもので、
アルファベットと数字が一体になっている。

外来語は基本的に元の言葉をそのまま使う傾向がある日本語では、
数字だけを日本語読みするのに違和感があるのだと思われる。

日本語でも、修士課程の大学院生のことをM1(エムイチ)などと称していたが
(20年前はそうだった。今は知らない)、これはF1などと違って
英語の呼称を輸入したのではなく、日本で「マスター1年生だからM1だ」
ということでつくった和製のことばだからであろう。

一方、中国語は外来語を意訳というか大胆に変更して取り入れる傾向があるが、
その大きな理由のひとつは外来語に慣れていない中国人にも
できるだけ覚えやすいように、というところがあるのでは、と想像される。

そういう意味では数字の読み方を中国語化するのは、必然なのかもしれない。

2012年1月14日土曜日

新HSK(3) 六級の構成

筆記6級試験の構成は、聞き取り(听力)、読解(阅读)、作文(写作)から構成される。

詳しくはまた後から書くとして、まずは全体の概要を。

聞き取りは3つの部分から構成され、第一部分は短文、第二部分はインタビュー音声、
第三部分は長文が流れ、それぞれの後に質問がある。

第一部分と第三部分は、まあ一般的なリスニング試験の構成と言えるが、
特徴があるのは第二部分であろう。

インタビュー音声というのは、つまり一般人が話した文章を聞く、ということである。
訛りがあったり、聞き取りにくいところがあったりとかするわけで、
まさに「実際に使える中国語であるかどうか」を試験しているわけである。

以前、HSK初中等で聞き取りが5級相当しか点を取れなかった私には超難関である。

実は最近、本棚にまだ初中等の聞き取り問題集が残っていたので、
まだやってない模擬試験問題を試しにやってみたら、やはり5級程度の点しかとれなかった。

2年前から全く進歩がないという事実は、何もやってないから当然というのは頭ではわかるが、
やはりガックリくる。


さて、次の読解もやはり4つの部分に分かれている。

第一部分は間違いのある文を選ぶものである。間違いは文法とは限らない。
第二部分は、短文にいくつかある空欄に当てはまる単語を選ぶもの。
第三部分は、長文の中にある空欄に当てはまる単文を選ぶものである。
第四部分は、いわゆる読解で、長文があってその後その内容に関連する質問に答えるもの。

全体としては、読解というより、総合の試験と言った方が相応しいように思われる。


最後の作文は、長文が与えられ、その後それを四百字ほどで要約する、というものである。
旧HSKの高等ではあるテーマに対して勝手に四百字で文章を書くものだったが、要約に変わった。

この変更により、簡単になった部分もあり、難しくなった部分もある。

これから、もっと詳しく書いていく。

2012年1月7日土曜日

新HSK(2) 六級と高級

新HSKと旧HSKの最も大きな違いは、筆記と口頭試験が完全に分かれているところだ。

旧HSKの高等は、マークシートの筆記と、作文と、口頭試験が全て含まれており、
その全体の結果が一定レベル以上であれば9級から11級までの級がつく。

新HSKは筆記が1級から6級までの6種類の試験となっており、
6級試験が旧HSKでの高等(9~11級)に相当する、と書いてある。

6級試験は、基本的に合格不合格しか結果がないため、ぎりぎり合格でも6級、
満点合格でも6級、ということになる。ただ、とった得点も併せて表示されるらしいので、
自慢したい人は履歴書に「新HSK6級(xxx点)」と書けばよいであろう。

口頭試験は、初級、中級、高級の3種類があり、高級が旧HSK高等に相当するそうだ。
結果は、やはり合格と不合格しかない。

筆記と口頭試験は全く別の試験であるため、別の日に受けてもよいし、
もちろん同じ日に一緒に受けてもよい。

試験日程によると、3/18は筆記試験しかないので、まずその日に6級の筆記を受けようと思う。

来年最初に口頭試験があるのが5/20だそうなので、その日に高級の口頭を受けるよう
スケジュールを組もうと思う。

3/18の試験の結果が悪かったら、5/20にもう一回筆記をうけることも考える。

2012年1月4日水曜日

読書 经济为什么会崩溃(4)

その後、島の生活が豊かになったことを聞きつけた周辺の島の人々が
どんどん移住してきて社会を形成していき、いきなり話が現実世界に近づいていく。

お金の誕生、公共事業をやる意義、周辺の島との貿易、国家の誕生

といった話題の後、国家がどのようにその島の経済をダメにしていくか、という話に移る。

このあたりになると、もう寓話とかそういう感じじゃなくて、
単純に最近のアメリカの経済運営を比喩を使って批判しているだけに感じる。

"伯南柯"という登場人物がでてくるが、これはまんまバーナンキのことだと思われる。

たぶん、作者がいいたいのは、
  ・経済は良い時期もあれば悪い時期もある
  ・政治家は選挙民の支持を得るために悪い時期を無理矢理良くする政策をとらざるを得ない
  ・それが続くと、中長期的には、急激に悪くなる(つまり"崩溃")という形で調整が入る
ということのようだ。

いま欧州で起こっていることも、根本的には同じ話だろうし、
日本も借金が増える一方なのに、政府支出削減も増税もできなさそうだから、
遅かれ早かれ「急激な調整」がはいるであろう。時期がいつになるかだけの問題だ。

ちなみに中国も"中岛帝国"という名前で登場して、
せっせとその島に資金を供給する役割を担っている。

絵が入っていて読みやすかったこともあって、わりと早く読み終えた。



2012年1月2日月曜日

2011年大晦日

ご存じのように、中国は春節が伝統的な新年なので、
元旦は祝日のひとつ、ということだが、
会社のメールでは"新年快乐"という挨拶もあったりして、
こちらでもだんだん"新年"という雰囲気を持ってきているように思われる。

今年は、元旦から3日までの3連休が中国政府が定めた祝日だ。
つまり、大晦日は土曜日なのに出勤日だったわけだ。

中国の祝日は太陽暦の10月1日である国慶節と元旦をのぞいて、
太陰暦で定められており、かつその当日を含めて3連休が基本である(春節と国慶節を除く)。
祝日は当日だけで、その後の2日間は週末の振り替えという扱いなので、
祝日の前後の週末は出勤日になってしまうケースがよくでてくる。

2012年は1月1日が元旦なので、1日から3日まで3連休、1日は祝日だが日曜でもあるから
2日はその振り替えという扱い、3日は直前の土曜(つまり12月31日)の振り替えとなり、
12月31日は出勤日となった。

中国で一般的かよくわからないが、私のいる会社は有給休暇が12月末で
期限切れとなり、しかも翌年に繰り越せないので年末は余った有給を消化する人が増え、
しかも今年は12月31日が土曜出勤日だったことから、その日の会社に人はまばらだった。

ということで、残業もせず早めに会社を出たわけだが、今年は家に帰っても紅白は見られない。
マンションには"NHKワールド"というチャンネルがあり、毎年きちんと紅白をやってくれるのだが、
一週間ほど前に、部屋のテレビが壊れてしまったのだ。
マンションからの借り物なので、管理人に取り替えを依頼したが「1月7日になります」。

正月の3連休にテレビがないのも、かなり寂しい。本でも買ってこなければ、
と思い、"八佰伴"の近くにある本屋"上海书城"に行って新しい本を探すことにした。

3連休の時間を持て余してしまっても困るので、今日は是非とも何か買わなくては。

ただ、入った時間がもう閉店時間に近くて、ゆっくり選んでいられなかったので、
適当に目に入った本を買った。

「8分钟的温暖」     夏茗悠
「凉宫春日的忧郁」  谷川流

最近読んだ「经济为什么会崩溃」とは180度異なる路線で、
まったく、両方ともいい年をしたオヤジが読む本ではない。

そのうち、これらの本のことも書いてみる。