中国語の勉強を始めたとき、最も先に覚える言葉の一つに"対"がある。
"対"には日本語でも使うのと同じ意味もある。
たとえば「対面」は「面と向かって」とか文字通り「トイメン」の意味だし、
「対于~」は「~に対して」という意味である。
中国語の"対"にはその他に形容詞としての用法もあって、
その際の意味は「正しい」とか「その通り」になる。
相手の言っていることへの同意(あなたの言うとおり)を表現する言葉として、
実際の会話では非常に頻繁に使われる。
「これは、こうすればいいんですか?」
「対!(そうです)」
この「そうです」という意味での"対"の実際の使われ方は、
いろんなバリエーションがあり、繰り返しで使われるケースも多い。
一回の場合 「対!」「対的!」「対啊!」
二回以上繰り返す場合 「対対対!」「対対対対対!」「対、対対対!」
「二回以上の場合」を使うのは主に男性であり、
なんというか「テンションが高いほど回数が多い」傾向があるように思われる。
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テレビで見る「名探偵コナン」で、中国語吹き替えされてるコナンは
頻繁に「没錯」というせりふを言う。
この「没錯」も「その通り」という意味を持っているように思われるが、
どちらかというと「その通りで間違いはない」と「間違いない」部分が
強調されているように思われる。
普段の会話で「没錯」と発言している人には遭遇したことがないので、
口語といってもあまりくだけた感じではないのであろう。
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"対"の使われ方バリエーションがたくさんあるのは、
もしかして、日本語で言うところの、
「そうです」「その通りです」「そうそう、そうなんだよ」「その通り!」
といったニュアンスを全て"対"という一つの文字だけで表現するための、
ある意味苦肉の策的なものなのではないか、とも思う。
実際話すほうの立場に立ってみると、
"対"だけだとさびしい感じもするし、
"対的"だと、ちょっと女の子みたいな感じになっちゃうし(偏見かもしれません)、
"対阿"だと威勢がよすぎるし(偏見かもしれません)、
"対(dui)"は語呂がよくて言いやすいこともあって、
つい「対対対対対!」と5回ぐらい繰り返してしまう。
でも、そのたびに「"はい"は一回だけ!」という教えを思い出して
罪悪感を持ってしまうのは、日本人の性(さが)というべきか。
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