2011年6月28日火曜日

"大"と"小"の用法

中国語では、たぶん口語的用法と思われるが、

■ある一つの名詞が2つのものを指す、もしくは2種類に分けられる場合
  名詞の頭に大小をつけて区別する

ことが多い、というか「なんでも大小をつけて呼ぶ」ような印象すらある。

例えば、私が勤めている会社は、上海近郊に工場が2つあるが、
"大xx"、"小xx"
と大小を頭に加えてそれらを区別するのを聞いたことがある("xx"は会社の名前)。

何を根拠に大小をつけているか、詳しくは不明だが、工場そのものの大きさ、
もしくは、作っている製品の大きさ、であろうと思われる。

日本だったら、大小でなく場所の名前をつけて区別するだろう(世田谷工場と杉並工場、とか)。

かなりビックリしたのが、固有名詞の例だが、
"大威"、"小威"
新聞やテレビで時折見かけるのだが、これは実は人の名前、というか呼称である。

いきなり言われても何のことだか分からないと思うが、"威"は"威廉(Williams)"のことである。

これに大小がつくことによって本来は3文字になるのが、
中国語の「何でも2文字化する」傾向によって、"廉"の文字が取られたと思われる。

「大きなWilliams」「小さなWilliams」

スポーツ好きな方ならもうお分かりかと思う。

テニスのウイリアムズ姉妹のことである(もちろん大きい方が姉)。

2011年6月25日土曜日

小朋友们

前回の続き。

先日、"小朋友们"のちょっと違う使い方を聞いた。

仕事で、他社の人とMTG後に、一緒に昼食していたときのことだ。
その会社の人(若いけれどもそこそこ偉い)が、

「この業界には小さい企業がたくさんあるが、彼らは....」

という文の中の、「彼ら」のところで"小朋友们"と言ったのである。

その他社は、その業界ではやや新参者だが、その隣に位置する伝統的な業界では、
中国で二番目に大きい(見方によっては最大の)企業グループに属している。

彼の自分の会社に対する自信と、業界の小企業への優越感がよくわかる
言い回しだと思う。

まあ、MTGの場ではなく食事の場だったこともあって、
ついこのような言い回しをしてしまった、のであろう。

※このようにかくと、まるで私がその人と中国語でMTGや昼食の会話をしたように
  感じられるかもしれないが、決してそういうことではないので、念のため。
  私はいまだにHSK6級レベルから進歩していない。恥ずかしい話だが。

2011年6月21日火曜日

"朋友"のニュアンス

"朋友"は、中国語をはじめてすぐに覚える言葉の一つだ。

もちろん、友達という意味なのだが、
使い方の感じとしては英語のfriendに近いように思われる。

好朋友  good friend 好い友達(なかよし、という感じか)
女朋友  girl friend  彼女(文字通り、ガールフレンド)

だいたい、日本語で友達という言葉は実際滅多に使わないのに対して、

中国語の口語には頻繁に登場する。

また、中国(に限らないが、欧米以外の外国)で、買い物をする場合、
こちらが日本人なのを見て取ると、
「トモダチ、ヤスイネ」
などと声をかけてくるのが定番だ。

しかし、日本で誰かに向かって「トモダチ!」と呼びかけることはあり得ない。

でも、"朋友"にはそういう用法があるのだ。

大勢の人の前で挨拶をする場合、
「朋友们、大家好」
というのは一つの定番だ。

ここでの朋友们は、友達ではなく、「みなさん」の意味になる。

※まあ、実際に街でよく目にするのは若い女の子に向かって「美女!」と
  呼びかけている光景である。こういう呼びかけ方も日本語にはない。

家の近くのKFCには、子供が遊べる設備(滑り台みたいなやつ)がある。

ある時、夜遅かったにもかかわらず(たしか22時ごろ)、
そこで5人ぐらいの子供が叫びながら遊んでいて、とてもうるさかったのだが、
大音量には寛容な中国人でもさすがにキツかったとみえて、
KFCの店員のおばさんが、

「小朋友们~!太吵了!」

と怒鳴っていた。

日本なら「子供たち~!」と呼ぶだろうか。

2011年6月18日土曜日

読書 双面胶(4)

【注】ストーリーなど詳しい内容を書きます。

その後、親夫婦は一度実家に戻って、奥さんにとっては幸せな時間が戻ってくる。

だが、悲劇はここから始まる。

ダンナのお姉さんの夫の会社が投資を募っている、そのお金を集めないと
姉の夫はクビになるが、家には十分なお金がないということで、
奥さんの上海の実家に「投資に参加してくれ」という話が来るのだ。

ダンナに頼まれた奥さんは何度も断るが、最終的には実家のおかあさんの
貯金をその投資に回すように説得してしまう。

あまりに絵に描いたような転落の伏線である。

その後、ダンナのお父さんが病気になり、実家の病院では手の施しようがないが、
上海の大病院ならなんとかなるかも、ということで親夫婦は上海に戻ってくる。

大病院の医者は「何もせずに死を待つか、大金がかかるが治療するか」の
選択を迫り、ダンナは治療を選んで、どんどん経済的な困窮に陥いっていく。

まあ、もうあらすじを書くのはやめておく。

こういったストーリー展開は、テレビドラマには合っているのかもしれないが、
私はあまり読むのも見るのも好きではない。つらいから。

とりあえず「さすがに最終的にはハッピーエンドでは」
との期待を持って、頑張って最後まで読んだ。

使われている中国語は、かなり難しかった。
このレベルの本をもう少し理解できるようになりたい。

2011年6月14日火曜日

読書 双面胶(3)

【注】ストーリーなど詳しい内容を書きます。

この本の主人公の奥さんは上海出身、ダンナは東北地方出身である。

上海は伝統的に「女性が強い」と言われていて、結婚しても料理は
ダンナが作るもの、という話もよく聞く。

ダンナの親夫婦が来るまでは、この夫婦もそうやって暮らしていた。
奥さんが「お茶入れて」というとダンナが持ってくる。

中国でも、東北地方というのは田舎の代名詞のようで、保守的で男尊女卑の思想が
根強く残っているところ、というように描かれている。

また、ご存じのように中国は親子関係が日本より絶対性が強く、
基本的に親に対して子供は反抗しない、というところがあるが、
この面でも、上海(より日本に近く、絶対性は比較的弱い)と
東北(絶対性が強い)では異なっている。

ダンナの親夫婦が同居してから、共働きということもあって、
家事は基本的に姑が行うようになるのだが、

■姑が、ダンナが家で奥さんにお茶を入れたりするのを禁止する
■さらに、奥さんが家事をやるよう「教育」を試みる

ことなどで、亀裂が深まっていく。

家の借金を返すなど、経済的には奥さんが働くことは必須の状況なのに、
なぜこれほど違う扱いに甘んじなくてはいけないのか。

日本だったら、間に挟まれるダンナは、両方の言い分を聞くと思うのだが、
この本に描かれるダンナは親の言い分を奥さんに押しつけるだけだ。

少し不思議なのは、奥さんの方はそのことに対して不満があることを隠さないし、
面と向かってダンナの親に反抗的な態度をとるわりには、
結局、基本的にダンナの言い分を受け入れるところである。

日本なら即「実家に帰ります」になりそうに思う。

ダンナが奥さんに、何度もこう懇願する。

「お願いだからおれのメンツをたててくれ(求你给我个面子)」

日本では、こんなせりふを言っても全く効かないのではないだろうか。

2011年6月11日土曜日

読書 双面胶(2)

【注】ストーリーなど詳しい内容を書きます。

家族に関する中国語は非常に細かい。

奥さん(老婆)
ダンナさん(老公)
姑、ダンナのおかあさん(この本の中では公婆、と呼ばれているが、辞書では婆婆)
舅、ダンナのおとうさん(公公)

まあこの辺まではよいとして(これ以降は本には出てこないが)、

母方のいとこ(表姐、表妹、表哥(表兄)、表弟弟)
父方のいとこ(堂姐、堂妹、堂哥(堂兄)、堂弟)
父方のおじいさん(爷爷)
母方のおじいさん(老爷)
父方のおばあさん(奶奶)
母方のおばあさん(姥姥)

言葉を覚えるまえに、家族の分類の仕方を覚えなければならない。

日本も欧米と比較すると、それなりに細かく分類されていると思っていたが、
中国はその比ではない。もう覚える気にもならないぐらい複雑だ。

こういった、ある分野の物事に対する語彙の多さは、
その言葉を話す国、あるいは文化圏がその物事をいかに重要視しているかの証だ、
という話を聞いたことがあるが、中国はそれだけ家族間の関係が
重要だ、ということなのだろう。

それはともあれ、この本は基本的にある夫婦とダンナの親夫婦の関係を
描いた作品である。

嫁姑の確執、というのは日本でも普遍的なテーマなので、
それなりには入っていきやすかった。

物語はまず、奥さんに確認せずにダンナが許可して親夫婦が家に押しかけてきて
同居するところから始まる。

2011年6月7日火曜日

読書 双面胶(1)

【注】ストーリーなど詳しい内容を書きます。

最近読んだ本について、少し書いてみたい。

やはりこの本も、本屋でなんの予備知識もなく選んだものだ。

作者は"六六"という名前の女性である。

この本の前に既に何冊も本を出していて、帯に書いてある宣伝文句によると、
テレビドラマ化もされているとのことなので、おそらく人気があるのだろう。

この本を選んだのは、単に一番薄くて読みやすそうだったからだ。

まだ、(外国翻訳ものでない)中国人作家が書いた小説を読むのに
慣れていないし、状況が想像しやすいものが望ましい。

題名の中にある"胶"は、ゴムという意味である。

題名全体としては「ふたつの顔を持つゴム」ということなのだろうか。
嫁姑の間に挟まれてゴムのようになってしまうダンナ、という意味か?
読み終わった今でも、よくわからない。

上海を舞台にした、嫁姑の確執と、間に挟まれるダンナの話のようなので、
気軽に読めるかなあ、と思っていた。

が、大間違いだったことがあとで分かる。

2011年6月4日土曜日

HSK初中等(8) 結果

結果が出るまでには1ヶ月弱かかる。

最終的には、一見賞状っぽい、「あなたはxx級です」という証明書みたいな紙が
送られてくるのだが、Webサイトで見ると結果はもっと早く分かる。

そろそろ発表かな、という時期になったら、毎日のように結果サイトの
チェックに行ったものである。

結果はどうだったかというと...

  聞き取り 62
  文法    77
  読解   100
  総合   85
 総得点  332

予想通りというか、聞き取りの力不足がもろに露呈している。

学校の先生から「読解が満点なんてすごいですね」とほめられたのがせめてもの慰めだ。

総得点的には7級に届いているのだが、聞き取りが5級相当の点数のため、
最終的な級は5級より1つ上まで、というルールにより、6級になる。

実力通りで仕方ないと思いつつも、かなり残念だったので、
その当時は「聞き取りがんばって初中等で8級挑戦するか」とも思ったし、
学校の先生には「次は高等うけますか」とか勧められたりもしたが、
結局、その後一年半ぐらいは、受けずに過ごしている。

この試験のために勉強して改めて思ったのは、

「プレッシャーがないところに進歩はない」

普通の会話クラスでもたくさん勉強するのだが、試験というプレッシャーがないので、
必死で覚えることをせず、忘れるのも早い。

試験というのは練習問題をたくさんやるから、覚えた記憶を定着させる
効果もあるのだと思う。

HSK試験を受けた後、会話クラスに戻ったとき、以前と比較して
「少し上達したんじゃないか」という違いを感じた。

でも、またその後一年半停滞しているので、
そろそろ新たなプレッシャーが必要な気もしている。