2011年3月29日火曜日

ピンインと声調について(4)

上海ではタクシーに乗る機会が多い。

最初の頃は、言葉で通じなかったら困るので、必ず行き先を漢字で書いた紙を
準備していたものだが、少し慣れてくると、面倒だから口頭で伝えるようになる。

2年ほど前だが、中国語の先生に、
「タクシーの運転手に行き先が通じなかったんですけど...」

と相談したことがある。そうしたら先生に

「あなたのjuの発音がzhuになってるからですねえ」

と指摘されて、ちょっと(かなり)凹んだ。


いろいろ調べてみるに、

zhu、chuといったuと、ju、xuといったuは実は別の系列に属しているらしい。

日本語の"う"の口の形に近いのはzhu側で、ju側はそれほど口をすぼめず、
自然な形のまま、のようである。

とはいっても、言うは易しで、今でもjuとzhuを言い分けられているわけではない。

2011年3月26日土曜日

ピンインと声調について(3)

中国語のピンイン表記には、なんとウムラウトもある(uの上に点ふたつ)。

大学時代に習ったドイツ語はほとんど全て忘れてしまったが、
たぶんドイツ語の(uの上に点ふたつ)の発音と似ているように思う。

たとえば"女"という字のピンインはこれを使う。

PCや携帯でのピンイン入力の際は、"ウムラウト付きu"キーがないので、
"v"で代用されるのだが、最初の頃はこのルールが分からなかったため、
かなり苦労した。

※PCの場合は、日本語モードで漢字を入れて、コピペしていた。

こんなの、自分で見つけるのは不可能である。
最初から誰かに聞けばよいことなのだが。

2011年3月22日火曜日

ピンインと声調について(2)

中国語にも"e"という母音がある。

例えば"和"のピンインは"he"である。

とはいっても"へ"の発音とは全然違っていて、
「はー」と「ふー」の中間に聞こえる。

※なんというか、"へ"の口の形のまま"ふー"という感じ

※中国語は、声調の影響もあって、"e"で終わる場合は長母音的な
  発音となるのが一般的なため、「は」ではなく、「はー」

また、よく使う単語に「とても」を意味する"很hen"というのがあるが、
日本人はローマ字読みしてしまうためか、たいてい"ヘン"と発音する。
でも、中国人の発音だと"ハン"に非常に近く聞こえる。

その他の一文字の母音(a、i、u、o)はまあローマ字発音に近いと思うが、
子音との組み合わせによって、発音が異なる場合がある。

"大" da  「ダー」
"演" yan 「イェン」
"阳" yang 「ヤン」

この辺はもう、暗記で覚えるしかない。

中国語には2文字以上の複合母音も多いが、上記同様子音との組み合わせに
よって発音が異なる場合がある。

"前" qian 「チィエン」
"强" qiang 「チィアン」

ただ、これは覚えてしまえば、「gのあるなし」の聞き取りで混乱する恐れがないため、
実は、かえってありがたい。

"陈" chen 「チェン」
"成" cheng 「チェン」

私には、この「gのあるなし」を聞いて区別するのは絶対無理だと思われる。

2011年3月19日土曜日

ピンインと声調について(1)

中国語で最初に覚えるのは、これである。
日本語でいうところの、ローマ字の役割を持っている。

中国語は漢字ばかりだが、仮名が存在しなくてルビを振ることはできないので、
本の中で「発音のしかた」を示す方法が存在しなかった。

この状態では初級学習者(中国人の子供も)は、音読学習ができない。

※もしかして、中国でこれだけ多くの「方言」があるのも、そのことと
関係あるかもしれない。漢字という書き言葉の標準はあったが、
読み方の標準がなかったわけだから。

英語は新しい単語でもアルファベットを頼りに声に出して読むことが可能だが、
漢字では不可能である。

ピンインは、漢字の標準的な発音のしかたをアルファベットと声調記号で
表現したものなので、日本語にとってのローマ字(もしくは仮名)を覚えることが
重要であるのと同等の重要性をもっている。

ということで、中国語入門書には、一番最初にこれが書いてある。

見た目、ローマ字みたいなので、日本人にとっては入っていきやすい。

でも、発音はローマ字とかなり異なる。

2011年3月15日火曜日

中国語学習の難しさ(4)

さて、では話す方はどうだろう。


もちろん、まずは声調含めた発音暗記作業が前提条件となる。

さらに、話す際には「声調含めて正しく発音する」という、これまた厳しい条件も加わる。

中国語の発音の難しさは、英語の比ではない。

もちろん「英語をNativeのように発音する」のは難しい(というより不可能)だが
「とりあえず通じる程度に発音する」のであれば、ローマ字発音でもそれなりに何とかなる。

中国語は「何とか通じる程度に発音する」までの壁が非常に高いのだ。

ただ、この辺は、何というか、私だけの問題なのかもしれない。

もともと、私は日本語を話すときも、声が低くぼそぼそ話すので、
一回で聞き取ってもらえないことがしばしばある。

一方中国語は声調が重要である関係上、大きい声で、トーンを高くして話される傾向にある。

まったく私に向いていないような気がする。

ただ、まあ、考えてみれば、大学生の時初めてアメリカに旅行して、
地球の歩き方をたよりに(かなり安い方の)ホテルに行って
「今日部屋はあるか」と一生懸命英語で聞いたのに、

「はぁ?、あんた、何いってんのかわかんないわ」

と、フロントのお姉さんに冷たく突き放された記憶を思い起こせば、
英語も最初の頃はかなり苦労していたのだから、
中国語も地道にやっていれば、いつか「はぁ?」と(あまり)言われなくなる日が訪れる...

と言い聞かせて前向きになるしかない。


2011年3月11日金曜日

中国語学習の難しさ(3)

中国語の発音の難しさは、まず聞き取りの難しさとして現れる。

ある文章を一回だけ聞いたとして、その中のある言葉の発音が下記のどれに当たるかを正確に(声調含め)聞き分ける能力を習得するのは、私には不可能に思われる。

Zhan
Zhang
Chan
Chang
Jiang
Qiang

結局のところ、前後の文章から「これは"強(qiang)"だろうなあ」と予想するしかない。

この「前後関係から聞き取りにくい単語の内容を推測する」こと自体は、どの言語でも必要なプロセスなのだが、中国語は似た発音がとても多いので、推測する際の候補がたくさんになってしまうのだ。

中国人であれば、声調と発音の聞き分けが正確に行えるので、私のように上記リストを全部検索する必要はないはずである。

2011年3月8日火曜日

中国語学習の難しさ(2)

英語はなんだかんだいって中学高校で基礎的な部分は十分カバーされている。

一方中国語は完全にゼロからのスタートになるので、その差も大きい。

読解に関しては、漢字の存在が大きな助けになることは確かである。
もちろん、簡体字を覚えるという前提条件があり、
私はその前提条件クリアまでに1年ほど時間がかかった。

とはいえ、簡体字と、ある程度の文法と、ちょっとした接続詞などを覚えることで、
読解はそれなりのレベルまではすぐ到達できる。


しかし、聞き取りは、本当にゼロから始めなくてはならない。

ここは英語と大きく違うところだ。
英語の場合「読んでわかる単語」と「聞いてわかる単語」の数は、比例する。
読んでわかる単語が増えれば、聞いてわかる単語も増える。

これは、英語は表音的なところがあるからだ。

たとえば、"condemn"という単語は、意味がわからなくとも、
だいたい「コンデン」と読むのだろうという予想は容易につく。
読解によって、文章の中での使われ方がわかるようになれば、
聞いたときの判別もつくようになる。

だが中国語の「责备」という単語をなんと読めばよいかは、全く予想がつかない。
読解では、前後関係から「こりゃ責めるって意味か」と理解することは可能だが、
それと聞き取りで理解することとの間には「この単語の発音を暗記する」という
英語にはないプロセスが必要だ。

聞き取りをきちんとするためには、この「発音の暗記」を全ての「読んでわかる単語」に行う必要があるということだ。まったく気が遠くなる作業のように思われる。

さらに、仮に暗記しても、同音の漢字が多い上に、似た発音も多いので、
多くの候補の中から文脈に沿って当てはまりそうな言葉を選ぶ作業が必要、
という次の難関まである。

2011年3月4日金曜日

中国語学習の難しさ(1)

上海に赴任しているといっても、私の場合仕事で中国語を使わなくてもよい環境にある。

上海は日本人も多く(少し前にニューヨークを抜いて世界一多いらしい)、
生活するのために必要な中国語は決して多くない。

ある意味とても恵まれた環境と言えるわけだが、
しかし、やはり多少なりとも中国語が出来るようにならないと、
日本に戻ったとき「中国に赴任してました」と言いにくい。

さらに、現在のような先の見えない状況では、いつリストラになるかわからないし、
そうなった場合「中国語が出来ます」というのは多少なりとも有利に思われる。

つまり、実のところ私には中国語を学ぶための「自発的な動機」はなく、
どちらかというと「やっぱやったほうがいいよねー」という受動的なものだ。


英語の場合は違った。

小説を読みたい、歌を歌いたい、TV番組をみたい、という語学の先の目的があったからだ。


私が中国にもう4年近くいるのに、いまだに中国語がこのレベル(実用にならないレベル)に
留まっているのは、このモチベーションの違いが一つの要因のように思われる。

でも、その他にも大きな要因がある。

2011年3月1日火曜日

家庭教師と学校

赴任当初、まず会社に紹介された家庭教師の先生に教わった。

その先生は平日は某有名監査法人で社員として働いていて、
週末バイトとして中国語を教えていた。日本語がかなりうまい。

その先生はとてもよい先生だったのだが、いくつかの理由で
一年ほどあとに学校に切り換えることになる。

・「困ったときに日本語で何とかする」という癖を
強制的に直すような環境にすべきだと思ったこと

先生が日本語が上手だと、どうしてもそれに甘える気持ちを抑えることができなくて、
うまく通じない場合日本語に切り換えてしまう。最初はある程度仕方がないが、
だんだんマイナス面が大きくなってくる。

さらに、ときどき日本語での雑談モードに入ることもあり、
それはそれで楽しいわけだが、
一方で「このままではまずい」との気持ちも強くなってきた。


・先生は本業が忙しい時期がときどきあり、希望通りの授業日程が組めなかったこと

「すみませんが、これから杭州の客先に長期出張なので、次回は1ヶ月後で...」
というのがちょっと困った。


上海には日本人向けフリーペーパーがたくさんあるが、そこに広告を出していた、
比較的家に近い学校に電話をかけて「無料体験授業」を受けてみた。

そのときの先生も実は日本語が非常にうまい先生だったのだが、
授業中は基本的に中国語のみで行われ、「ちょっと日本語で...」などという
甘えた態度が許容されにくい適度なプレッシャーがあった。

また、先生もたくさんいて、一週間前に予約すれば希望の時間に
必ず授業を受けることができる、ということなので、
1時間あたりの単価は少し割高だったが、この学校に行くことにした。

実際、先生の教え方のレベルはかなり統一されていた。
もちろん「授業中どのぐらい本題から脱線するか」は先生によって異なったし、
それを含めた会話のかみ合い具合もいろいろだが、
逆に先生によって脱線するときの話題がいろいろあったり、
頻繁に使用する語彙が異なっていたりするので、
一人に固定されるよりも学習効果は高いように思われる。

結局、それ以来2年半ぐらいずっとそこに通っており、いまも続けている。