よく言われることに、日本語(の話される環境)はハイコンテクストで、
英語(の話される環境)はローコンテクスト、というのがある。
コミュニケーションにおいて、言語そのものにどのぐらい依存するか、
という感じだろうか。
日本では話された文自体とともに、話された状況(コンテクスト)も
併せて聞き手は理解する必要がある。
■日本のレストランで「水がないんですけど」といえば、水を持ってきてくれる
■アメリカのレストランで同じことを言うと「...だから何?」と聞き返される
とかそういうことだ。
中国はどうかというと、日本並み(あるいは以上)にハイコンテクストなケースと、
そうでもないケースが混在している、ように思われる。
仕事での例なのだが、例えば提出されたレポートに対して、
「ここに書いてあるこの部分は、xxxという意味か?」
とメールで質問すると、それには答えずに「修正しました」と言って、
その部分を書き直したレポートを送ってきた人がいた。
私は「そこを直せ」という意図を持って質問したわけではもちろんなくて、
単純に質問しだだけだったのに。
それに対して、いきなり修正版レポートを送ってくるのは、
考えすぎ(ハイコンテクストすぎ)である。
こういうのは日本でもあまり起こらないケースだと思う。
一方で、その同じ人が、別のケースでは文字通り質問されたことに答えるだけ、
という場合もあるので、どういう基準なのかちょっとよくわからない。
もちろん、これは私個人、あるいはその人個人の性格に依存する部分が大きいので、
いきなり「だから中国は」みたいな話に拡大するつもりもないのだが、
結構ギャップを感じるのは確かである。
ちょっと気になるのは、これが日本とか中国とかあんまり関係なくて、
単なる年代ギャップ(私は40代後半、その人は30ぐらい)なのかも、ということだ。
つまり「結局私が年取っただけってことじゃないのか」という懸念が拭えないが、
この辺は、いつか日本に戻って仕事する機会があるときに確かめてみるしかない。
你好,我是中国人。我有一个猜测。首先很多中国人来到日本会说日本人死板,比如一件事可以 1---4去做,2,3可省略,但日本人会1,2,3,4 所以除了你提到的原因,还有中国人的性格和日本人的性格不同。
返信削除你好。我也觉得总体来说中国人和日本人的性格不同。日本人往往根据规则来做或者根据周围的“空气”来做。中国人一般根据个人的判断来做。
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